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オフサイドトラップ列伝~1998年11月1日の悲劇~

『大逃げの後ろから』

 第118回天皇賞・秋の始まりを告げたのは、大方の予想通り、サイレンススズカの大逃げだった。もともと古馬になってから、4歳時にもまして2番手以下を大きく引き離して逃げるようになったサイレンススズカだったが、この日の大逃げは、それでもファンの度肝を抜くものだった。

 スタートと同時に大きく飛び出したサイレンススズカは、あっという間に後続を置き去りにして、引き離していく。2番手のサイレントハンターすら馬群を約10馬身引き離して「逃げ」ているのに、サイレンススズカは、そのサイレントハンターをさらに約10馬身、否、おそらくそれ以上に引き離しているのだから、尋常ではない。

 しかも、時計を見ると、サイレンススズカのペースは、予想以上に速かった。1000m57秒4。1分57秒8のレコードタイムで大差勝ちした金鯱賞は58秒1、距離が200m短い毎日王冠ですら57秒7だから、そのどちらより明らかに速い。

 もし前半と同じペースで後半も走り抜いた場合、勝ちタイムは1分54秒8になる。当時のレコードタイムは、1990年にヤエノムテキが記録した1分58秒2である。並みの馬であれば、持たない。持つはずがない。・・・だが、逃げているのは、サイレンススズカである。

 スタンドからは、大歓声があがる。まるで、それがサイレンススズカの天皇賞制覇の前祝いであるかのように―。

 そんな異常な雰囲気の中、柴田騎手は、好スタートを切ったオフサイドトラップをうまくなだめながら、3番手で競馬を落ち着かせていた。引き離されてはいるが、サイレントハンター、そしてサイレンススズカの様子をしっかりと確認できる位置に陣取っている。

 柴田騎手は、後になって、

「すごくいいリズムで走っていたんですね。楽な感じで走っていたんです。ああ、こういう走り方はいいな。上の方の着順を狙えるな」

と、この時の手応えを振り返っている。・・・無論、この後に何が起こるのか、そしてそこにいることがどのような意味を持つのか、柴田騎手がこの時点で予測できるはずはない。

『冷徹なる眼』

 サイレンススズカが急激にペースを落としたのは、第3コーナーを過ぎたあたりのことだった。スタンドの大観衆やテレビ中継のファンにとっては、ちょうど大欅で死角になる近辺である。

 ・・・柴田騎手は、サイレンススズカを直接視界に入れてはいなかったが、おそらくそれを見ているであろうサイレントハンターと吉田騎手の姿を視界にとらえていた。かなり先行されてはいたものの、彼らの姿ならば、中間に何の障害もなくはっきりと見ることができる。・・・そんな彼らが、突然体勢を崩しながら進路を外へと変え、まるで何かから逃げようとしていることに気づいたからである。

 サイレントハンターの異常な動きを見た柴田騎手は、サイレンススズカに故障が発生したため、吉田騎手がそれをよけるためにサイレントハンターを外に逃がそうとしている、と考えた。柴田騎手の真骨頂は、さらにその先である。

 柴田騎手は、サイレントハンターだけでなく、そのさらに先、東京競馬場の第4コーナー手前あたりにいるであろうサイレンススズカの動きも考えた。レース中に馬が故障した場合、騎手は馬を内か外のどちらかに寄せて、レースの邪魔をしないようコースアウトさせようとする。東京競馬場の構造上、その付近で故障した馬は、コースの外へと逃げていくのではないか。そして、サイレントハンターが内側ではなく外側に逃げていったのであれば…先頭を行っていたサイレンススズカが通るはずだった馬場の内側は、ガラ空きになるのではないか?

 ただ、柴田騎手は、はやる気持ちをいったんは抑えた。

「勝つにはまだ(仕掛けるタイミングが)ちょっと早いと思いましたね。(直線が長い)東京だから、もう少し遅い方がいいと」

 オフサイドトラップにはいい末脚があるが、そう長く使えるわけではない。加藤師から聞かされていた、安田騎手から蛯名騎手への乗り替わりの原因にもなったオフサイドトラップの長所と短所のことを、柴田騎手は忘れていなかった。それに、彼が気付いたゴールへの最短コースは、他の馬たちの現在位置を考えれば、そうそう奪うことなどできないはずである。

 柴田騎手は、ここでは意識をひたすらラチ沿いの経済コースに置きながら、勝負の時を待った。

『戦いに生きる宿命』

 オフサイドトラップが追いついていくと、案の定、サイレンススズカは、故障を発症して第4コース付近で懸命にコースアウトしようとしていた。2番手にいたサイレントハンター、そして外から早めに上がっていったメジロブライトは、コースアウトしようとするサイレンススズカのあおりを受けて、さらにその外を大きく回る形となっていた。・・・柴田騎手の見立て通りである。前の2頭と、最内の経済コースを進むオフサイドトラップとの差は、ここで大きく縮まった。

 おそらく、この日の出走馬に騎乗する騎手たちの中で、サイレンススズカの異常を真っ先に認知したのは、吉田騎手だったことだろう。しかし、レース中の思わぬ大惨事によって動揺した吉田騎手は、「2番手の馬が先頭の馬をかわす」という決定的なタイミングで、視線を前方ではなくサイレンススズカの方へと奪われるほど、平常心を失っていた。メジロブライトに騎乗する河内騎手も、2番人気ということからすれば、サイレンススズカに鈴を付けに行くべき立場にあったが、もともといた中団の位置からその使命を果たす、必然的に外を衝いて上がっていったところで、目標が外に向かってコースアウトしようとしているところに巻き込まれ、その動きを大きく制約されていた。

 その点、柴田騎手は違っていた。誰もいなくなった内側を衝くことで、レース前にはまったく予想していない形での勝機が拓けることを、彼ははっきりと意識していた。・・・そして、柴田騎手の手が動いた。オフサイドトラップも、彼の手綱に応える。ぐいぐいとゴールへ向けて前進するパワーは、8歳馬のものではない。彼らの前には、馬も人もいないゴールへの最短距離が広がっていた。

 この時の場内は、レースが最高潮を迎える歓声ではなく、サイレンススズカに起こった事態を把握したファンによる悲鳴と慟哭に包まれていた。だが、彼らの戦いは、まだ続いている。サイレンススズカを除く11頭に、脚を止めることは許されない。

『栄光』

 残り400m地点付近で、オフサイドトラップはサイレントハンターをかわして先頭に立った。サイレントハンターとの脚色は明らかに違う。・・・ただ、府中の直線は長い。果たして、このまま押し切れるのか?

 柴田騎手は、後方からメジロブライト、シルクジャスティスといった実績馬たちが追い上げてくる展開を予想し、覚悟していたという。・・・だが、彼らはなかなか来ない。むしろ、オフサイドトラップと後続の差は、いったん大きく開いていく。

「なんで後ろ、来ないの?」

と柴田騎手が疑問に思っていたところ、馬群の中から1頭だけ、鋭い差し脚でオフサイドトラップとの差を詰めてくる馬・・・Gl連続2着のステイゴールドが、今度こそという思いを燃やして飛んできた。手綱を取るのは、オフサイドトラップの覚醒を導いた蛯名騎手である。・・・それでも、オフサイドトラップは止まらない。

 ステイゴールドは、いったんオフサイドトラップに半馬身差ほどまで肉薄した。・・・しかし、2頭の差は、そこから縮まらなくなった。末脚の攻勢終末点を迎えたステイゴールドを、オフサイドトラップはさらに引き離しにかかる。

 最後は、オフサイドトラップがステイゴールドに1馬身4分の1差をつけて、栄光のゴールに飛び込んだ。・・・それが、第118回天皇賞・秋の決着だった。度重なる屈腱炎の発症にも屈せず、努力を重ねた8歳馬についに訪れた栄光であり(なお、この最高高齢制覇記録は、2009年にカンパニーが新表記8歳、つまり9歳で天皇賞・秋を制したことによって更新された)、彼を取り巻く厩舎関係者、そして馬主の渡邊隆氏らにとって、それはこれまでの苦労のすべてが報われた瞬間だった。

 もっとも、隆氏は

「天皇賞に思い入れがある親父の名義にしておけばよかった」

とも思ったとのことである。喜八郎氏がプレストウコウで挑み、春はレース中の鞍ズレ、秋はまさかのカンパイによって夢破れてからちょうど20年、渡邊父子二代の夢は、ここに成ったのである。

『超えられなかった幻影』

 ただ、この時の東京競馬場の雰囲気は、サイレンススズカの故障の影響で、いつもとはかなり違っていた。伝統の大レースの勝者を称える声はいつもより小さく、そしてその中にはオフサイドトラップに向けられた敬意や祝福とは異なる、サイレンススズカに向けられた感情も相当数混じっていた。・・・彼らの不安と心配は、予後不良と診断されたサイレンススズカがその日のうちに安楽死になるという最悪の結果として、現実となる。

 柴田騎手のこの日の騎乗は、サイレンススズカの故障という突発事態に対応し、内の最短距離を衝くだけでなく、仕掛けを直線まで遅らせるという会心のものだった。しかし、勝利騎手インタビューにおける彼の表情は、言葉を選びながら対応していたように見える。・・・それでも、自らの騎乗が成果をあげたことについて

「笑いが止まらないです」

という表現を使ったことは、サイレンススズカ陣営への思いやりを欠くものとして顰蹙を買い、非難の対象となった。また、柴田騎手が勝利騎手としてウィナーズサークルに呼ばれた際には、スタンドに向けて

「数少ないオフサイドトラップファンの皆さん、応援ありがとうございました」

と呼びかけている。・・・この日のスタンドのざわめきは、本来称賛を浴びるべき勝者の心にも、影を落とさずにはいられなかった。

 オフサイドトラップの勝ち時計となった1分59秒3は、天皇賞・秋の距離が2000mに短縮された84年以降の良馬場での開催と比較すると、84年のミスターシービーと並んで最も遅い(後に05年のヘヴンリーロマンス、14年のスピルバーグがより遅いタイムで優勝)。サイレンススズカが天皇賞・秋に至るまでの中距離レースを高速タイムで制してきただけに、ファンの間から

「もしサイレンススズカが故障していなければ・・・」

という声があがることは避けられなかった。ステイゴールドを抑えるオフサイドトラップのさらに何馬身も前に、「止まらなかった」サイレンススズカの姿を幻視するファンの想像をとどめることなどできるはずもないが、オフサイドトラップの最大の栄光が、その幻影によって印象を薄められてしまったのは、非常に残酷な歴史の事実である。

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