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ミスターシービー本紀~三冠馬の栄光と挫折~

第3章:「府中、再び燃ゆ」

『三冠馬のいない春』

 ミスターシービーが5歳を迎えた1984年、中央競馬では歴史に残る一大変革が行われた。この年中央競馬に初めてグレード制が導入され、Glを頂点とするレース体系の整備が図られたのである。日本の近代競馬が、ここに始まろうとしていた。

 番組表も一新されて迎えた日本競馬の新時代に、その旗手となることが期待されたスターホースとは、当然のことながら前年の三冠馬・ミスターシービーだった。皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞と続くクラシック三冠のすべてを破天荒なレースで制したこの馬の魅力に酔いしれたファンは、新時代の幕開けにあっても、いや、新時代の幕開けなればこそ、この馬の復帰を何よりも心待ちにしていた。

 しかし、主役はなかなかターフに姿を現そうとはしなかった。菊花賞の後に休養に入り、来るべき古馬戦線に備えていたミスターシービーは、三冠レースを走り抜いた疲労や脚部不安の発症もあって、5歳春を全休することになったのである。

 ミスターシービー不在の中で幕を開けた1984年、G制度導入元年の春の古馬中長距離戦線は、ミスターシービーと同世代の馬たちと、それより上の世代との間で激しい綱引きが繰り広げられた。天皇賞・春(Gl)では7歳の古豪モンテファストが優勝したのをはじめとして6歳以上の馬が上位を独占したが、続く宝塚記念(Gl)では、天皇賞・春こそ出走しなかったものの、ミスターシービー不在の中で5歳世代の大将格となったカツラギエースが、その天皇賞・春で上位に入った実力馬たちを相手に完勝している。三冠を独占したミスターシービーが不在ということで、5歳世代の上級馬たちは、実績や格の上では上の世代の有力馬たちに一枚劣るものだったが、それでも上の世代にまったく見劣りしない活躍を見せる彼らの競馬は、ターフにいない三冠馬の実力をファンに余計に思い知らせるものだった。

 そうすると、ますます強く待望されるのが、5歳世代の大将格ミスターシービーの復帰である。天皇賞・春、宝塚記念は本命不在で、馬券的には面白いレースだったが、やはり何かが物足りない印象があったことも否定できない。それはなんといっても、本来いるべき存在がいないからにほかならない。当時のファンは、例外なくと言っていいほどに、ミスターシービーの復帰を望んでいた。

『帰ってきた三冠馬』

 そんな中、脚部不安がようやく癒えたミスターシービーは、天皇賞・秋(Gl)を目指して毎日王冠(Gll)から始動することになった。それは、ファンにとって「待ちに待った」復帰だった。

 しかし、ミスターシービーが復帰したといっても、すぐには1番人気になれないのが面白いところである。三冠を制したミスターシービーの地力を疑う者はいなかったが、菊花賞から11ヶ月ぶりという条件が、ファンに不安を抱かせていた。当時の調教技術は現在ほど発達しておらず、長期休養明けの不利は現在よりもはるかに大きいと考えられていたからである。

 ミスターシービーは、デビュー以来10戦目にして、初めて1番人気を譲った。三冠馬ミスターシービーから1番人気を奪ったサンオーイは、前年に南関東競馬の羽田盃、東京ダービー、東京王冠賞を制した南関東三冠馬だった。南関東競馬から中央競馬への移籍が決まった後、大井競馬場を埋め尽くした南関東ファンの

「シービーなんか、やっつけろ!」

という熱い声援とともに送り出されたサンオーイにとって、ミスターシービーとは中央競馬の権威の象徴であり、冷遇され続けてきた地方競馬の代表として打ち倒すべき壁そのものであった。

 また、この日の毎日王冠にはカツラギエースも出走してきていた。カツラギエースといえば、4歳時には京都新聞杯でミスターシービーを完封し、菊花賞では2番人気にまで推されたほどの、ミスターシービーと同世代の強豪である。もっとも、クラシック本番では一度も掲示板に乗ることさえできず、ミスターシービーの前ではかなり劣る存在とされていた。そんなカツラギエースも、ミスターシービー不在の84年春に大きく台頭し、その戦績は宝塚記念をはじめとする5戦3勝で、特に中距離戦線に狙いを定めてからは4戦3勝という実績を残していた。天皇賞・春には出走しなかったものの、宝塚記念で天皇賞・春の上位馬たちをまとめて切り捨てたカツラギエースも、ミスターシービー不在の間5歳世代のリーダーとして活躍したこと、そして中距離での安定した実績を買われて、3番人気に支持されていた。

 このように、ミスターシービーがいない間にも競馬界は新しい動きを見せており、復帰したミスターシービーはまずその新しい秩序の中での自分の地位を確認することから始めなければならなかった。

『甦るロングスパート』

 しかし、毎日王冠の当日、競馬場に帰ってきたミスターシービーを迎えたのは、Glに負けず劣らずの大歓声だった。馬券上の人気は2番人気だが、彼に寄せられる声援は間違いなく「1番人気」だった。11ヶ月ぶりの実戦ではあったが、ファンはミスターシービーの栄光を忘れてはいなかった。父を超えて栄冠をつかんだあの日本ダービーから17ヶ月、久々に本拠地である関東のファンの前にその雄姿を見せたミスターシービーにとって、東京競馬場は、間違いなく彼のための戦場だった。

 この日のミスターシービーは、スタートで大きくあおられたため、最後方からの競馬となった。誰の言葉か「府中千八、展開いらず」といわれ、実力差をきれいに反映するといわれるこのレースではあったが、大きな出遅れが不利にならないレースなどあろうはずもない。

 だが、当時のファンが、もはやミスターシービーの出遅れを、失望ではなく、期待をもって迎えたというのはうがちすぎだろうか。彼らが見たかったのは、1年のブランクがあっても変わらないミスターシービーであり、そのためには好スタートを切ってそのまま好位につけるよりも、相も変わらず出遅れて一番後ろから馬群についていく方がはるかに好ましい姿だったに違いない。むしろ、そうでなくてはミスターシービーではない。

 そして、この日のミスターシービーが見せたのは、まぎれもなくファンの期待する「ミスターシービーのレース」だった。レースはカツラギエースが先行馬有利の落ち着いたペースで引っ張ったものの、これに最後方からついていったミスターシービーは、やがて第3コーナー過ぎ、大けやきの向こう側で動いた。

 フルゲート21頭となったダービーと違い、この日の出走馬はわずかに9頭だった。理由は簡単で、ミスターシービーやカツラギエース、サンオーイといった豪華な顔ぶれにおそれをなし、他の馬たちが逃げ出したのである。ダービーのときは馬群を割って進出する際にトラブルがあったミスターシービーだったが、この日は少頭数で、そんな心配をする必要はなかった。

 さすがに天皇賞・秋を目指す古馬たちの戦いであり、しかも展開自体、先行馬が止まりにくいスローペースとなったことから、ミスターシービーのまくりをしても「他が止まっているように」とはいかなかった。しかし、ミスターシービーはそれでも直線入り口で馬群の中にもぐりこみ、絶好の手ごたえで前方に進出しようとしていた。

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