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1991年牝馬三冠勝ち馬列伝~彼女たちの祭典~

『再びの逃走劇』

 第52回オークスは、今度こそ大歓声にもかかわらず興奮する馬もいなければ落鉄もなく、スムーズにゲートインまで進んだ。しかし、この日もやはりアクシデントは待っていた。今度のアクシデントはスタート直後。1番人気のシスタートウショウが、ミルフォードスルーと一緒に出遅れたのである。断然の1番人気というプレッシャーが若い角田騎手の手綱さばき、シスタートウショウの繊細な魂を微妙に狂わせたのか。

 しかし、この日こそは順調なスタートを切ったイソノルーブルと松永騎手に、後ろを振り返る余裕はなかった。レースの主導権を握って自分の最も得意とする「逃げ」に持ち込むべく、好位からさらに進出すると、すぐに先頭を奪った。彼らには、最大のライバルシスタートウショウが、スタートでのミスをきっかけに人馬の呼吸まで乱し、最後方で口を割ってかかっていることなど、知る由もない。

 イソノルーブルが作り出したペースは、最初の1000mが1分1秒7という落ち着いた流れだった。最初はイソノルーブル自身も行きたがる素振りを見せたものの、ここでは松永騎手がうまくなだめて落ち着かせることに成功した。1600m通過タイムが1分40秒0、これは完全なスローペースである。桜花賞の時とは比べるべくもない。

 さすがにこれではいけないとばかりに、他の馬たちは第3コーナーあたりで早くも動き始めた。前の方にいた何頭かがイソノルーブルを捕まえに動き、シスタートウショウも最後方からようやく進出を開始した。

『樫への花道』

 第4コーナーで他の馬たちに迫られた松永騎手だったが、この時はまだ冷静だった。彼がゴーサインを出すと、イソノルーブルは

「待ってました」
とばかりに前に出た。桜花賞ではここからの粘りを欠いたイソノルーブルだったが、この日は違った。靴を履いてさえいれば、今度はもう止まらない。

 イソノルーブルがこれまでに出走したレースは、すべて1600mまでのレースである。一本調子の逃げ馬ということもあって、戦前には距離適性の限界がささやかれていた。しかし、父のラシアンルーブルは、もともとは長距離血統である。鶴留師がシスタートウショウを桜花賞よりむしろオークス向き、と評したことを聞いた清水師は、
「トウショウボーイ(産駒のシスタートウショウ)が2400m持つなら、うちの馬が持たないはずがない」
と対抗意識をむき出しにしたほどである。イソノルーブルは戦前に言われていたような距離の壁もなく、脚どりも快調にゴールを目指して突っ走っていった。

『女の戦い』

 しかし、そのままでは終わらないのがGl、それも4歳牝馬の頂点に立つオークスだった。スタートで出遅れただけでなく、直線でも前が壁になりかける不利を受けたのは不敗の桜花賞馬だったが、彼女はそれでも闘志を失うことなく、逆に不敗の二冠への夢と内国産の良血という矜持に賭けて、大外から猛然と追い込んできたのである。

 外からかぶせるように襲いかかってくるシスタートウショウと角田騎手の追い込みは、まさに「鬼神のような」という形容がよく当てはまっていた。ゴール直前でスカーレットブーケ、ツインヴォイスといった他の敵をかわして、残るはイソノルーブル1頭。この鬼脚の気配を背中で感じていた松永騎手は、この時の心境について次のように語っている。
「前しか見ないで、というより前も見ないでただひたすら追いました」
 イソノルーブルとシスタートウショウ、まったく対照的な存在による死力を尽くした戦いは、その2頭がまったく並んだところがゴール板だった。

「どっちが勝った?」
そんなささやきが場内のあちこちでかわされた。
「イソノルーブルが残ったろう」
「いや、シスタートウショウが差した」
その場にいたファンのそれぞれが確信を持たぬまま語り合ったその死闘の結果は、次のようなものだった。
「1着イソノルーブル、2着シスタートウショウ、ハナ差」
裸足のシンデレラと揶揄された庶民出のシンデレラが、何もかもを兼ね備えて生まれた良血馬を打ち破り、樫の女王の座についたのである。

『勝者、つかの間の美酒』

 桜花賞の無念を晴らした松永騎手は、レースの後、人目もはばからず泣いた。松永騎手にとっては、これが初めてのGl制覇である。しかし、彼の涙の意味はもちろんそれだけにとどまらない。強い馬を強いと証明する責任を果たしたという思いが、1番人気を最悪の形で裏切ってしまった桜花賞での借りをようやく返せたという想いが、彼の頬を濡らしたのである。

 清水師も
「あの桜花賞があったから、今日の結果があるんだ」
と語り、松永騎手の騎乗を称えた。この言葉は、おそらく清水師自身に言い聞かせるための言葉でもあったに違いない。

 一方、敗れた角田騎手は、師の渡辺師とともに鶴留師のもとへと詫びに行った。出遅れた上に直線でも前が壁になって仕掛けが遅れ、その結果がハナ差2着だった、というのでは、騎手の騎乗ミスという非難は甘んじて受けなければならない。しかし、
「ご迷惑をおかけしました」
と詫びる角田騎手に対し、鶴留師は
「お前が一番辛いんだから、謝らんでいい」
と、一言も彼の騎乗を責めなかったという。騎手出身の鶴留師は、レースでの騎乗がはたで見ているように簡単なものでないことを、十分すぎるほどよく知っていた。そして、そのことでレース後責められる騎手のつらさも。彼は、ここで角田騎手をあえて責めないことで、彼の今後の自主的な反省と成長に期待したのである。

 こうして1991年牝馬三冠戦線のうち春の二冠は、桜花賞がシスタートウショウ、オークスがイソノルーブル、と2頭が分け合う形で幕を閉じた。しかし、勝者たちが勝利の美酒に酔うことができるのはつかの間のことである。華やかな戦いの影には、クラシックの舞台へ上がることができず、注目すらされないままに春を終えた無数の馬たちがいる。春の雪辱を心に期する彼女たちの戦いは、既に秋のエリザベス女王杯に向けて動き始めていた。

 そして、秋の主役を担う馬は、春の主役たちではなく当時の「その他大勢」、クラシックはおろかオープン馬でさえなかった馬の中にいた。その馬のオークス時点での戦績は、2戦1勝にすぎない。この後わずか半年足らずの間に一気に同世代牝馬の頂点に登りつめることになるその馬の名は、リンデンリリーといった。

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