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1991年牝馬三冠勝ち馬列伝~彼女たちの祭典~

『エリ女今昔物語』

 ローズSでステップレースもすべて終わり、いよいよ人々の関心は1991年4歳牝馬三冠路線のフィナーレを告げる第16回エリザベス女王杯へと移っていった。この年のエリザベス女王杯は、ローズSから中2週をおいた11月10日、京都競馬場で開催された。

 現在は4歳馬(現在の表記では3歳馬)、古馬を合わせた牝馬の総合チャンピオンを決するレースとして行われているエリザベス女王杯だが、当時はまだ世代限定レースとして行われていた。当時のエリザベス女王杯の位置づけを現在の番組で言うならば、現在の同レースではなく、むしろ秋華賞であろう。もっとも、現在のエリザベス女王杯は京都芝2200mコース、秋華賞は京都芝2000mコースで行われているが、当時のエリザベス女王杯は京都2400mコースで行われていた。また、混合レースで外国産馬の参戦も可能な点は同じだが、当時は日本に優秀な外国産馬が入ってくることは稀であり、この年の出走馬18頭の中にも外国産馬の姿はなかった。

『それぞれの秋』

 この日単勝240円の支持を集めて1番人気に支持されたのは、オークス馬イソノルーブルをはじめとする春の実績馬たちではなく、ローズSを勝ったばかりのリンデンリリーだった。それも、単勝支持率にすると2番人気のイソノルーブルの倍以上という圧倒的なものである。

 確かにローズSはステップレースの中で最もハイレベルなメンバーが揃っており、そこでスカーレットブーケ、ヤマノカサブランカといった春の実績上位馬を圧倒したリンデンリリーが有力馬としてクローズアップされてくるのは当然だった。そして、本来ならば春の実績馬の代表格として、またリンデンリリーとの勝負付けが終わっていない存在として位置づけられなければならないイソノルーブルがステップレースを使えず、オークス以来半年ぶりの実戦となってしまった以上、この結果もやむをえないといえよう。

 イソノルーブル鞍上の松永騎手も、この日は鞍上から、イソノルーブルが本調子ではないことを感じていた。もちろん、順調さを欠いたうえでの急仕上げであることは分かっているのだから、春のような自信を持つことができないのは当然である。しかし、松永騎手の不安はその点だけにとどまらず、イソノルーブルの最盛期を知っているからこそ、この日の彼女がレースへの闘争心を持っていないことを、誰よりも敏感に感じ取っていた。そんな松永騎手の不安を裏打ちするかのように、当日発表されたイソノルーブルの馬体重は454kgで、オークスのときよりも14kgも増えていた。

 また、春にはシスタートウショウに騎乗して桜花賞を制し、オークスでは2着に惜敗した角田騎手は、この日はピーチブルームという15番人気の馬に騎乗していた。桜花賞では530円の4番人気、オークスでは210円で圧倒的1番人気に支持されたシスタートウショウとは、あまりに格の違う馬だった。無事出走してさえいれば間違いなく人気となっていたであろうシスタートウショウがいないまま迎えたこの日、彼は果たして何を思っていたことだろう。

『信じがたい光景』

 それぞれの思いをよそに、レースは大歓声とともに始まった。しかし、松永騎手の不安を裏付けるかのように、レースの開始とともに先頭を奪ったのはイソノルーブルではなくテンザンハゴロモだった。やはり体調不良が響いていたのか、それとも実戦のカンが戻っていなかったのか。その後イソノルーブルは、第2コーナーでなんとか先頭を奪い返したものの、オークスよりも14kgも重い馬体重をそのまま斤量に背負ったかのようにその脚どりは重く、春の逃げの軽やかさはない。

 一方、リンデンリリーは中団からの競馬となった。イソノルーブルがやはりバタバタした競馬となったことで、1番人気を背負ったリンデンリリーはますます周囲のマークを集めたが、岡騎手はプレッシャーなどどこ吹く風で、悠然とレースを進めた。

 この時リンデンリリーをマークしていたある騎手は、信じられない光景を目にした。いや、耳にしたというべきか。レース中なのに、リンデンリリーの方から誰かの鼻歌が聞こえたのである。信じられないことだが、その鼻歌はどう見ても、どう聞いても、岡騎手のものではないか。

 岡騎手は、この日は本当に鼻歌まじりでレースを進めていた。彼はこの日、それほどにリンデンリリーの状態に自信を持っていた。鼻歌が出たのも、リンデンリリーに乗れることの楽しさが、つい表面に現れてしまったにすぎなかった。

 そうこうしているうちにレースは淀の上り坂に差しかかった。先行馬の中からは早くも脱落する馬が現れる中で、リンデンリリーは落ち着き払っていた。岡騎手は無理なくリンデンリリーを前方へと進出させながら、リンデンリリーの瞬発力を生かすためにはいつ仕掛けるのがよいかを考えていた。

『淀に再びユリが咲く』

 淀の坂越えを含む本格コースの京都芝2400mも、第4コーナーともなるといよいよ大詰めを迎える。この時点で一杯になってしまった馬には、ゴールまで踏ん張る余力など残っているはずもなく、ただ脱落するのみである。

 そして、沈んでいく馬の中には、春の主役であり、この日も2番人気に支持されていたイソノルーブルの姿があった。この日のイソノルーブルは、落鉄した桜花賞の時よりなお悪く、第4コーナーでは早くも力尽きて馬群に沈んでいくばかりだった。

 オークス馬をはじめとする何頭かが沈んでいく中で、満を持して動いたのは1番人気のリンデンリリーだった。遅らせた仕掛けを今こそに、と岡騎手がゴーサインを送るや、リンデンリリーの末脚は、3週間前と同様、いや、それ以上に鋭く解き放たれた。この日もひと足先に抜け出そうとしていたヤマノカサブランカをとらえると、さらに2馬身突き放して栄光のゴールへと駆け込んだのである。

『一瞬の、そして最後の栄光』

 春は谷間のユリとして日陰の存在だったリンデンリリーは、淀で大きく咲き誇った。新たなる女王の誕生である。2着ヤマノカサブランカ、3着スカーレットブーケという後続勢がローズSとまったく同じ顔ぶれだったという事実は、ローズS組のレベルの高さだけでなく、その中で連勝したリンデンリリーの実力が本物であることを証明していた。エリザベス女王杯は秋のGlであることから浅いキャリアの馬が勝つことは少なく、7戦目でのエリザベス女王杯制覇は、ハギノトップレディと並ぶ最短記録だったが、この日のレースを見た者の中に、リンデンリリーの実力を疑う者は誰もいなかった。

 しかし、長い苦難を経てようやく大きく咲き誇ったリンデンリリーが、勝者を称えるウイニングランで誇らしげな姿を見せることはなかった。ゴールの後に馬を止めた岡騎手は、リンデンリリーからあわただしく下馬したのである。その事実が何を暗示するものか、それは競馬を少しでも知るファンにとっては明らかだった。

 馬運車で運ばれていくリンデンリリーを見送った岡騎手には、故障が具体的に何なのかまでは分からなかったが、その怪我が重大なものであることは誰よりも早く感じ取っていた。
「レースの時脚を痛めていたんだろうに・・・よく我慢してくれました」
と彼女を気遣った岡騎手の表情からはGl制覇の喜びが消え、沈痛さばかりとなってしまった。岡騎手がはじめて安堵することができたのは、火曜日に野元厩舎を訪ねた時にリンデンリリーが予後不良を免れ、繁殖に上がることができると聞いた後のことだった。せっかくのGl初勝利を岡騎手が純粋に喜ぶことができなくなってしまったのは、非常に残念なことである。まして、この勝利が岡騎手にとっては、最初で最後のGl制覇となってしまったのだから。

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