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1991年牝馬三冠勝ち馬列伝~彼女たちの祭典~

『一からのスタート』

 ソエが治まったリンデンリリーが実戦に復帰を果たしたのは、紅梅賞から半年も経ってからのことだった。この時競馬界は、最も暑い季節の到来とともに、桜花賞とオークスでの戦いを終えた一流牝馬たちが休養に入り、春は華やかな舞台に上がることができなかった馬たちの、秋のエリザベス女王杯に向けたさらに過酷な生き残り競争が始まりつつあった。

 リンデンリリーも、その実質はともかくとして、現状は2戦1勝で、一介の条件馬に過ぎない。紅梅賞で見せた素晴らしい末脚から彼女のことを「幻の桜花賞馬」と呼ぶ人もいたが、ここではそんな称号は何の役にも立たない。リンデンリリーは、他の条件クラスの馬たち、それも古馬たちに混じって、500万下から生き残りのための戦いを始めなければならなかった。

『8ヶ月遅れの2勝目』

 復帰当初、野元師はまだまだ固まりきっていないリンデンリリーの脚部に配慮して、ダート戦を使うことにした。血統的にはダートもこなせるはずだし、何よりも春を棒に振るきっかけとなったソエは、芝の紅梅賞を使ったせいかもしれない、という後悔があった。

 しかし、ダートを使った復帰後の初戦は逃げ潰れて4着、次も伸びきれず2着と、いまひとつ勝ちきれない競馬が続いた。
「ダートでは、リンデンリリーの最大の武器である瞬発力は生きない」
そう考えた野元師は、ついにリンデンリリーの主戦場を芝に移すことにした。脚部の不安は完全になくなったわけではなかったが、将来大レースを目指すことを考えれば、いずれ芝を使うことは避けられない。そう思えば、不安がってばかりもいられないではないか。

 するとリンデンリリーは、芝に替わるのを待っていたかのように、本格化の兆しを見せた。前走の500万下平場戦から中1週で中京芝2000mの500万下特別・馬籠特別に出走したリンデンリリーは、5馬身差の圧勝でようやく2勝目をあげた。幻の勝利となった紅梅賞から数えて「8ヶ月遅れの」待ちに待った2勝目だった。

 2勝目をあげたとはいえ、本来ならばいまだ条件馬のリンデンリリーは、900万下の条件戦を戦わなければならない。しかし、カレンダーを見ると、秋の大目標であるエリザベス女王杯までは、もう1ヶ月あるかないかという時期にさしかかっていた。これでは悠長なことをいってはいられない。

『ユリの花の季節』

 野元師は、その瞬発力に惚れ込んだリンデンリリーを、なんとしてもエリザベス女王杯に出走させてみたかった。リンデンリリーは既に春の桜花賞、オークスを悲運の故障で棒に振っている。今度こそリンデンリリーを檜舞台に上がらせるために、もはや一刻の猶予もならなかった。

 こうして考えた末の決断が、900万下条件の身ながらのローズS(Gll)への出走だった。野元師としては賞金不足による除外も覚悟のうえだったが、幸いローズSはフルゲートにならず、リンデンリリーは無事出走することができた。

 格の面ではローズS出走馬中最下位に近かったリンデンリリーだが、人気はそうではなかった。リンデンリリーは単勝290円の2番人気に支持された。1番人気はこれまでに重賞2勝、春のクラシックでも桜花賞4着、オークス5着という実績を残してきたスカーレットブーケだったが、リンデンリリーは900万下条件馬でありながらこの実績馬に迫る評価を得たのである。なかなか人気にならず、この時点でもろくな実績がないリンデンリリーだったが、彼女の潜在的能力への期待は、既に重賞での実績を持つミルフォードスルー、ヤマノカサブランカといった春の実績馬を超えていた。

『ジュンペーと呼ばれた男』

 また、復帰後のリンデンリリーにずっと騎乗していた武豊騎手がこの日スカーレットブーケを選んだため、この日リンデンリリーに騎乗していたのは、テン乗りの岡潤一郎騎手だった。岡騎手は当時デビュー4年目、22歳の若手騎手である。しかし、若手といってもただの若手ではない。デビュー1年目にいきなり44勝を挙げて新人賞を獲得した岡騎手は、その後も毎年40勝台の勝ち星を挙げ続けた。また、2年目には札幌で5レース連続騎乗、5連勝の快記録を達成し、3年目にNHK杯で重賞初制覇を飾るとその後は順調に重賞勝ちも増やし、「関西のホープ」から「若き一流騎手」への飛躍を遂げつつあった。その間には、1990年宝塚記念で圧倒的1番人気のオグリキャップの騎乗依頼を受け、舞い上がったはいいが直線で手前を変えさせることができずに敗北するという失敗もあったが、個々のレースでの失敗はともかく、全体としては岡騎手の騎乗技術は高い信頼を集めていた。シスタートウショウの鞍上に角田騎手を抜擢した鶴留師も、関西の若手の中で一番認めていたのは岡騎手であり、最初はシスタートウショウの鞍上として岡騎手から騎乗の約束を取りつけていたのに、岡騎手が騎乗停止処分を受けてデビュー戦に乗れなくなってしまったことから急きょ角田騎手を起用したという事情もあった。こうしてシスタートウショウには乗り損ねた岡騎手だったが、この年の牝馬クラシック戦線でもノーザンドライバーの騎乗依頼を受けた岡騎手は、桜花賞では3着、オークスでも4着という実績を残している。

 この実績ならば、エリザベス女王杯でもノーザンドライバーに騎乗しそうなものだが、残念ながらノーザンドライバーは故障して戦線を離脱してしまい、エリザベス女王杯への出走を断念していた。それで野元師は、エリザベス女王杯は宙に浮いた形となっていた岡騎手に声をかけ、リンデンリリーの鞍上に引っ張ってきたのである。

『安全策のはずだった』

 この日初めてリンデンリリーに騎乗した岡騎手は、まだこの馬の器を測り切れていなかった。野元師から
「エリザベス女王杯でも楽しめるぞ」
とは言われてはいたものの、客観的には条件馬である。岡騎手の頭には、強引に勝ちにいくよりも、まずはエリザベス女王杯に確実に出走するために、3着以内を確保することを目指そうという考えがあった。本賞金が少ないリンデンリリーは、万一3着に入れなければ、エリザベス女王杯には出走できない可能性が高かった。

 リンデンリリーは、スタートして間もなく、前から4、5番手の好位置につけた。レースはよどみなく流れ、リンデンリリーも道中でやや行きたがる素振りを見せたりもしたが、岡騎手はこれをうまくなだめ、勝負の時を待った。

 レースが動いたのは、第3コーナーである。桜花賞2着の実績馬ヤマノカサブランカが勝負どころとみて動くと、スカーレットブーケ、そして他の馬たちもそれに従って、進出を開始した。激しく動いたかに見えた流れの中で、リンデンリリーは、そして岡騎手はまだ動かない。瞬発力を生かす乗り方で確実に3着を確保するため、ぎりぎりの瞬間まで末脚を温存しようとしたのである。

『幻の桜花賞馬、淀に咲く』

 だが、岡騎手の待機策の成果は、直線に入って、ようやく追い始めた岡騎手にも予想できなかった爆発的な瞬発力となって現れた。それまで岡騎手に抑えられていた末脚がようやく解放されると、リンデンリリーは一気に伸びた。第3コーナーで動いた馬たちが早仕掛けによって末脚をなくしていく中で、リンデンリリーの末脚は際だっていた。馬群を抜け出して突き放し、逃げるヤマノカサブランカをもとらえて半馬身前に出たところが、重賞初制覇のゴールだった。

 この日リンデンリリーの末脚が生きたことの背景には、最後の最後まで末脚をためた岡騎手の騎乗があった。確実に3着に入るための安全策だった騎乗が、一転して勝利をつかむ豪脚につながったというのは競馬の妙である。それはさておき、重賞初挑戦で重賞制覇を果たしたリンデンリリーは、トライアル勝ち馬として堂々とエリザベス女王杯へと駒を進めた。岡騎手も、この日の末脚にリンデンリリーの器の大きさを認め、今度こそは必勝の自信を持って騎乗することを決意した。ローズSの内容からすれば、春に騎乗したノーザンドライバーよりも強いかもしれない。リンデンリリーは、岡騎手にそう思わせるだけのものを持っていた。

 なお、当時エリザベス女王杯のステップレース的な役割を果たしていたレースには、ローズSのほかにクイーンS(Glll)、サファイヤS(Glll)があった。しかし、エリザベス女王杯を目指してこれらのレースでしのぎを削る牝馬たちの中に、春のクラシックを制した2頭、シスタートウショウとイソノルーブルの姿はなかった。

 桜花賞馬シスタートウショウは、オークスの後放牧を経て涼しい函館競馬場で調教を再開したが、その矢先に屈腱炎を発症し、エリザベス女王杯への出走を断念して戦列を離れていた。また、オークス馬イソノルーブルも、体調不良で調整が思うようにいかなかったことから、ステップレースをすべて回避してエリザベス女王杯へ直行せざるを得なくなっていた。秋の4歳牝馬戦線が混迷を深める中、新たな主役を求める人々の視線は、これまで谷間のユリのように目立たずひっそりとしか咲いていなかったリンデンリリーに、熱く注がれることになった。

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