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スズパレード列伝~皇帝のいない夏~

『皇帝のいない日々』

 天皇賞・秋(Gl)ではまったく走る気を見せなかったスズパレードだが、この日の彼は、ひとつの出会いを果たしている。それは、この日初めて彼の手綱を取った蛯沢誠治騎手とである。

 蛯沢騎手は、かつてはビゼンニシキの主戦騎手として、スズパレードとも戦った。同郷の青森出身という縁で成宮明光師にかわいがられていた彼は、1975年に一度騎手免許を返上し、2年間をある牧場の一牧夫として過ごすという波乱の人生を送っていたが、やがて彼の才と心を惜しんだ成宮師の奔走と尽力により、ついに騎手としての復帰を果たしていた。ビゼンニシキは、成宮厩舎の所属馬であり、それゆえに騎乗が実現した、という側面もあった。

 日本ダービーで惨敗したことで長距離適性に見切りをつけたビゼンニシキは、その後は古馬に混じってマイル戦線に活路を見出そうとしたが、故障によってその野望は夢に終わった。蛯沢騎手には古馬中長距離戦線では他にお手馬がおらず、その後はスズパレードに騎乗することになったのである。

 蛯沢騎手との新コンビを結成したスズパレードは、同じレースの出走表からシンボリルドルフの名前が見えなくなると、とたんに元気になった。当時12月に行われていたダービー卿チャレンジT(Glll)では、当時「無冠の大器」といわれていた後の天皇賞馬サクラユタカオーを一蹴して重賞4勝目を挙げた。一流どころには一歩届かないまでも、展開次第では番狂わせを起こし得る伏兵というのが当時のスズパレードに対する評価だった。

 しかし、その後慢性的な脚部不安をいよいよ悪化させたスズパレードは、2度目の長期休養を強いられることになってしまった。6歳となったシンボリルドルフは米国遠征で故障を発症して引退し、1世代下の二冠馬ミホシンザンも骨折で戦線を離脱したこの天皇賞・春(Gl)は、スズパレードにとってチャンス到来のはずだった。ところが、肝心のスズパレードも「お付き合い」して、春を全休したのではどうしようもない。

 スズパレードが復帰を果たしたのは、秋の毎日王冠(Gll)からだった。かつて彼に一蹴されたサクラユタカオーがレコードで圧勝する一方で、スズパレードは6着に敗れた。しかし、脚部への不安を考えて強いメンバーが揃った天皇賞・秋(Gl)やジャパンC(Gl)を避け、連覇を狙ったダービー卿チャレンジT(Glll)では、60kgの酷量を背負いながら連覇を達成し、見事に復活をアピールした。翌春も脚の爆弾と戦いながら重賞戦線の常連として活躍したスズパレードは、中山記念(Gll)も勝った。二流馬というにはあまりにも輝かしい重賞6勝目。もはや、この歴戦の古豪に足りない栄冠はただひとつ、Glのタイトルだけだった。

『最後のチャンス』

 常にシンボリルドルフ、ビゼンニシキ、サクラユタカオーといった一線級の名馬たちと闘い続けてきたスズパレードも、気が付くともう7歳になっていた。悲願のGl制覇を実現するために、残された機会と時間は、そう多く残されていない。

 だが、富田師が春の大目標としていた安田記念(Gl)では、フレッシュボイスの鬼脚の前に見せ場もなく7着と完敗し、Gl制覇の夢はまたも遠ざかっていった。

 それでも夢をあきらめることができないスズパレードは、本来安田記念後には休養に入るという予定をたてていたものの、それを覆して宝塚記念(Gl)へと駒を進めることにした。スズパレードのGl挑戦は、通算はこれで6度目だった。

 この年の宝塚記念は、例年に比べると主役不在の混戦模様とされていた。春の天皇賞馬・ミホシンザンは脚部不安のため出走せず(その後、そのまま引退)、本命と見られたのは天皇賞・春(Gl)で2着入線ながら斜行のため失格となったニシノライデンだった。ニシノライデンはGllこそ3勝していたものの、Gl勝ちの経験はない。また対抗視されたニッポーテイオーも、後に短中距離Glを3勝するとはいえ、当時はまだGl未勝利である。このレースに出走したGl馬は、安田記念馬のフレッシュボイスと、前年の天皇賞・春勝ち馬ながら、近走は不振のクシロキングだけだった。

 この日のスズパレードは3番人気だった。名中距離馬と呼ばれてもおかしくない戦績は持っていたものの、やはり主役には一息足りない超二流馬、というのが当時のスズパレードの評価だった。

『望み』

 ただ、この日の展開は、スズパレードにとっては願ってもないものとなった。人気薄のシンブラウンが逃げを打ち、この馬に引っ張られて1番人気のニシノライデンと2番人気のニッポーテイオーが、カカリ気味に続いた。やがて彼らの位置関係は、ニシノライデンが前に出て、ニッポーテイオーがそれを見るような形に落ち着いたものの、この2頭は互いを意識し、牽制し合う流れとなっていった。

 実力馬2頭が互いに潰し合ってくれれば、3番手の出番となる。幸い、前の2頭は互いのライバルのことしか頭にないようだった。

 スズパレードと、彼の手綱をとる蛯沢誠治騎手は、前を行く有力2頭のさらに後ろで彼らを見ながらレースを進めた。彼はこの時、いつ勝負に出るか、そして勝負に出るときはどのような形に持っていくかを考えていた。というのは、前の2頭をどうやってかわすか、その作戦によっては、思わぬ勇み足になってしまうかもしれない可能性があったためである。

 蛯沢騎手は、最終的に目標となるのは、ニッポーテイオーの方だと考えていた。ニッポーテイオーを相手として考えるならば、馬体を併せた後にニッポーテイオーが発揮する、並んでも抜かせない勝負根性は脅威だった。かわす時は一気にかわさなければ、もともと強いニッポーテイオーに、さらに実力以上の根性が加わって、非常に始末が悪くなる。

 しかし、ここで問題となるのがニシノライデンとの位置関係だった。強烈な斜行癖があり、これまでになんと6回の処分歴があったニシノライデンが、この日も斜行しないという保証はどこにもない。もしスズパレードがニッポーテイオーをかわしにかかった時にニシノライデンの斜行にでも巻き込まれようものなら、その時点でスズパレードの夢は、終わってしまう。

 蛯沢騎手は、天皇賞・春(Gl)ではアサヒエンペラーに騎乗し、ニシノライデンの斜行の被害者となっている。蛯沢騎手は、脚に爆弾を抱えながらもシンボリルドルフ世代の生き残りとしてこの日まで戦ってきたこの相棒に、なんとしても大きな勲章をプレゼントしてやりたかった。少しでも確実な勝利を、少しでも無難に勝ち取りたい・・・そのために彼は、勝機を待っていた。

『大輪の華』

 すると、蛯沢騎手の切実な思いが通じたのか、その後の展開は、スズパレードにとって非常に都合のいいものとなった。前を行くニシノライデンをかわしにかかったニッポーテイオーは、ニシノライデンのすぐ外につけたのである。蛯沢騎手は、とっさにスズパレードをニッポーテイオーのさらに外へと持ち出した。ニッポーテイオーのさらに外から仕掛ければ、ニシノライデンがどうヨレたとしても、スズパレードは不利を受けようがない。

 ニシノライデンの斜行をおそれる必要がなくなったスズパレードの末脚は、ついに炸裂した。最初からカカリ気味に飛ばしてきたニッポーテイオー、ニシノライデンは、互いに競り合うのが精一杯だった。大外から飛び込んでくるもう1頭・・・彼らの目には映っていなかったスズパレードまで相手にする余力は、もはや残っていなかった。

 ニッポーテイオーとニシノライデンをまとめてかわしたスズパレードは、その差を2馬身に拡げてゴールに飛び込んだ。

「勝つ時というのは、本当に楽に勝てるものなんですね」

とは、蛯沢騎手の勝利騎手としてのコメントだった。だが、ここに至るまでの関係者の道のりまで「楽だった」わけではない。シンボリルドルフ世代の数少ない生き残りとなった7歳の老雄は、ここに悲願のGl制覇という大輪の華を咲かせたのである。

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