サイレンススズカ列伝~永遠の幻~
『再起』
閑話休題。弥生賞で大騒動を起こしたサイレンススズカは、皐月賞出走を果たすどころか、逆に3週間の出走停止と発走調教再審査処分を受けてしまった。幸い、ゲート試験にはつつがなく合格したため、陣営はダービーを目指して一から出直すことになった。
出走停止処分が明けたサイレンススズカは、ひとまず自己条件の500万下に戻ることになった。しかし、自己条件では、サイレンススズカの器は違っていた。サイレンススズカは、ここでまたもスタートから先頭に立つとそのまま影も踏ませずに逃げ切る、新馬戦と同じようなレースで、何の苦もなく2勝目を挙げた。今度も「持ったまま」の7馬身差、それも初めての重馬場もまったく苦にせずの勝利で、能力の違いはもはや明らかだった。
「ダービーに出したい・・・」
サイレンススズカに対する橋田師の期待は、ますます大きくなっていった。
とはいえ、この年のダービーの出走権争いは、レベルが非常に高かった。当時の状況では、2勝馬がもうひとつ普通のオープン特別を勝ったとしてもダービーに出走できるかどうかは微妙な情勢だったのである。この時点では単なる2勝馬に過ぎないサイレンススズカが、確実にダービーに出走する方法はただひとつ、ダービートライアルのレースで出走権を勝ち取ることだった。
サイレンススズカの次走は、ダービートライアルということで最初はダービーと同じ東京2400mコースで開催される青葉賞(Glll)を目標として調整された。しかし、世の中なかなか思い通りにはいかないもので、サイレンススズカは、レースの週になって球節炎を発症するというアクシデントに見舞われてしまった。獣医の診断は、症状としては軽いが、青葉賞はもちろん次週に開催される最後のダービートライアル・プリンシパルSについても、出走は難しいというものだった。
それでも、橋田師はプリンシパルS(OP)出走を決断した。このときのローテーションについて、橋田師は後に
「プリンシパルSの後に来るのがダービーでなかったら、使わなかったと思います」
と答えている。彼の気持ちは、次のひとことに集約されている。
「ダービーは、別格なんです」
幸いサイレンススズカの体調回復は順調で、獣医の診断よりはずいぶん早かった。そして、サイレンススズカは橋田師の想いに応えるかのように、体調が不充分だったにもかかわらず、勝利によってダービー出走権を勝ち取った。
この日は人気薄のカイシュウホマレという馬が逃げ、サイレンススズカは2番手に控える競馬となったのだが、この日のサイレンススズカは折り合いもしっかりついていた。人気薄の馬が逃げたことでペースはかなり遅くなり、逃げ・先行馬にとっては厳しい上がりの競馬となったのだが、サイレンススズカはマチカネフクキタルの猛追をクビ差抑え切ったのである。
もっとも、この日の競馬は、橋田師にとって決して満足のいくものではなかった。橋田師としては、内容うんぬんより、もっと楽に権利を取ってダービーへ行きたかったというのが本心だった。それでも、球節炎で調整に順調を欠いたにもかかわらず勝ってしまったサイレンススズカの能力の高さには、舌を巻くばかりだった。
それでも、抑える競馬ができたことは、この日の収穫だった。直線が長い東京コースで、しかも距離も2400mに延びるダービーでは、できることなら逃げるのではなく、好位で折り合わせたい。それが、橋田師、上村騎手の共通認識だったからである。
何はともあれ、この日サイレンススズカは、勝つことによって新たな境地を開き、勇躍ダービーへと駒を進めることになった。
『忍び寄る不安』
サイレンススズカが苦しい戦いの末ようやく出走することができた第64回東京優駿、すなわち日本ダービー(Gl)は、絶対的な本命不在のレースとされていた。通常ならダービーで最有力候補となるのは皐月賞上位組のはずだが、その皐月賞が11番人気サニーブライアンと10番人気シルクライトニングで決着したこの年に限っては、「そのまま決まる」とは考えにくかったのである。
そんな中で人気の中心となったのは、皐月賞(Gl)で脚を余しての4着に敗れ、巻き返しに賭ける内国産の嗣子メジロブライトだった。それに弥生賞(Gll)を圧勝したランニングゲイル、京都4歳特別(Glll)を勝ってきた「関西の秘密兵器」シルクジャスティスらが続き、サイレンススズカの単勝は、840円で4番人気となった。
しかし、人気をよそに、サイレンススズカ陣営は悩んでいた。
「距離が保つのか?」
サイレンススズカの本質を中距離馬と見ていた橋田師や上村騎手にとって、東京2400mは、いかにも長いように思われた。それより200m短いプリンシパルSでも、勝ちはしたものの最後は脚が止まりかけていた。
「これまでのような逃げでは、勝てないのではないか」
そんなサイレンススズカ陣営の苦悩に決定的な方向性を与えたのは、皐月賞を逃げ切ったサニーブライアン陣営の動きだった。
『戦う前から負けていた』
サニーブライアンは、皐月賞(Gl)で逃げに近い先行によって自らスローペースを作り出し、そのままゴールまで粘り切るレース運びで、クラシック第一冠を手中にしていた。人気薄の逃げ切りということで評価は低かったものの、この年「三冠馬」になる資格をもっていたのは、この時点で既にサニーブライアンただ1頭である。そして、そんなサニーブライアンに騎乗する大西直宏騎手の発言は、連日競馬マスコミをにぎわせていた。
「何が来ようと関係ありません。うちはうちの競馬するだけをするだけです」
「絶対逃げます!」
皐月賞馬の主戦騎手としてマスコミに露出する機会が増えた大西騎手は、ダービーでの戦法を問われるたびに、そう吹きまくっていた。
サニーブライアン陣営の派手な逃げ宣言を見た橋田師、上村騎手は考え込んだ。
「皐月賞馬と先手争いをして共倒れになるよりは、折り合えるものなら折り合って、好位置に控える競馬をした方が安全なのではないか?」
サイレンススズカを支持してくれたファンのためにも、無様なレースをするわけにはいかない。あるいは、橋田師たちの頭を、逃げ馬に不利といわれる東京2400mコースで、レース前に有力視された多くの逃げ馬たちが直線で馬群に飲み込まれていった過去の光景、そしてダービーの歴史が、彼らの頭をかすめたかもしれない。ダービーを逃げ切るという偉業を成し遂げる5年前のミホノブルボンのような絶対的な強さをこの時期のサイレンススズカに求めるのは、さすがに酷というものだった。
…だが、神ならぬ橋田師と上村騎手には、それこそがサニーブライアン陣営、特に大西騎手が仕掛けた策略であったことには気づかなかった。サイレンススズカを取り巻く人々は、レースを前にした心理戦で、完全に遅れをとっていた。
しかも、このとき肝心のサイレンススズカ自身にも変調が起こっていた。ダービーに向けた厳しい戦いで、サイレンススズカはオーバーワーク気味になっていたのである。
実は、これにもサイレンススズカ陣営の不協和音が影響している。プリンシパルS直前追い切りの際、上村騎手はこれまで走り詰めだったサイレンススズカに気を使って馬なりのまま追い切った。ところが、このときもっと強く追うよう指示を出していた橋田師は、指示を無視されたことに激怒した。その結果、上村騎手は、ダービーまでの間サイレンススズカの調教に乗せてもらえなくなってしまったのである。ここで上村騎手に代わって調教をつけたのは調教助手だったが、彼や橋田師は、サイレンススズカにオーバーワークの兆候が出始めていることに、気付かなかった。その結果が、サイレンススズカ自身の当日の入れ込みだった。
『幕は開けど―』
日本ダービー当日、久々にサイレンススズカの鞍上に戻ってきた上村騎手が見たものは、サイレンススズカのいつになく激しく入れ込む姿だった。上村騎手は橋田師から
「プリンシパルSのときのように、抑えた競馬をしろ」
と指示されていたが、馬を一見した瞬間
「これでは指示は守ろうにも守りようがないな」
と、目の前が真っ暗になったという。
上村騎手は結局、橋田師の指示通り、先手を取りにいくサニーブライアンをやり過ごし、サイレンススズカの手綱を絞って好位置に控えさせる作戦を採った。これはいわばオーソドックスな正攻法で、前走のプリンシパルSでは成功した方法である。それをもう一度再現できれば、サイレンススズカは栄冠に大きく近づくはずだった。
しかし、この日は上村騎手の危惧どおり、その安全策が完全に裏目に出てしまった。前へ、前へと行きたがるサイレンススズカと、懸命に馬のいく気を抑えようとする上村騎手の息は、まったく合っていなかった。上村騎手の手綱に逆らっても前に行きたいサイレンススズカは、道中完全に口を割って完全に「かかった」状態になっていた。
その一方で、サイレンススズカが抑えたことにより、サニーブライアンはゆうゆうと単騎逃げを打つことに成功した。
大西騎手は、自身の師匠であり、サニーブライアンを管理する中尾銑治調教師からは、こんな指示を受けていた。
「サイレンススズカが来たら、抑えろ」
絶対的なスピードだけをみれば、サニーブライアンはサイレンススズカに及ぶべくもない。そのことは、中尾師も、大西騎手も、先刻承知である。しかし、
「サニーブライアンは絶対に退かない」
と思い込んだ上村騎手とサイレンススズカは、サニーブライアンとやり合うことを自ら放棄してしまった。サニーブライアンと大西騎手は、自ら仕掛けた競馬場外での心理戦によって展開を作り出し、サイレンススズカとの先行争いの必要性そのものをなくしてしまったのである。
『勝者と敗者』
サニーブライアンが逃げてスローペースのレースを演出する中で、サイレンススズカは、一向に出ないゴーサインにいらだつ一方だった。この日のサイレンススズカを見ていると、まるで彼の
「どうして今日は俺の思うように行かせてくれないんだ?」
という叫びが聞こえてきそうなほど、平常心を失っているのが分かる。本質的に行きたがりのサイレンススズカにとって、こんなペースの中での待機策は、苦痛以外の何ものでもなかった。
サイレンススズカがいかに大物でも、日本最高峰のレースでこんな走りをしていては、勝てるはずもなかった。最後の直線に入り、常に彼より前を走っていたサニーブライアンの走りがさらに力強さを増していくのに対して、サイレンススズカは見せ場を作ることもなく後退し始め、そのままみるみる馬群へと沈んでいった。サニーブライアン二冠達成の陰で、サイレンススズカのダービーは17頭立て4番人気で9着という、散々な結果に終わってしまった。
出走できるのは生涯一度、全競走馬の中の大多数にとっては、出走することさえ夢で終わってしまう日本ダービーに、天賦の才だけで出走を果たしたサイレンススズカだったが、そんな晴れの舞台で彼が味わったものは、ほろ苦い敗戦の味だった。
だが、この結果はある意味この上なくまっとうなもので、最高の走りをした馬が勝ち、自分の走りすらできなかった馬が敗れたに過ぎないということもできる。ただ、自分の走りさえできない負け方は悔いが残るもので、
「もし逃げていたら… 勝っていたのはシルクジャスティスだったでしょう」
という上村騎手の言葉は、敵の思惑に乗せられて自分の走りすらできなかった敗者の、せめてもの意地だったのかもしれない。