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タレンティドガール列伝 ~秋の淀に咲いた才媛~

『ゆく道ひとつ、ただひとつ』

 やがてマックスビューティが進出を開始すると、スタンドがどっと沸いた。それは、田原騎手にとっては馬を抑えきれなくなったゆえの見切り発車であり、不本意なものだった。しかし、ファンはそうは考えなかった。否、そうであったとしても、関係なかった。同世代の牝馬が相手なら、マックスビューティはその程度の不利は跳ね返してしまうに違いない・・・。1987年の牝馬戦線を走り抜いてきたマックスビューティは、それほどに強く、美しかった。

 マックスビューティが動き始めるのを見届けた蛯沢騎手とタレンティドガールだったが、この時すぐには動かなかった。蛯沢騎手の頭にあったのは、オークスから得た教訓だった。

「タレンティドガールの武器は、直線での末脚。しかしオークスでは、マックスビューティより先に動いたために、最後に突き放された・・・」

 彼が得た結論は、次のようなものだった。

「マックスビューティをマークしながら、仕掛けはマックスビューティより遅らせて瞬発力勝負に持ち込む。マックスビューティに勝ち、エリザベス女王杯を勝つためには、それしかない・・・」

 蛯沢騎手の心に、迷いはなかった。先に抜け出したマックスビューティとの間隔が、一時大きく広がった。

『一世一代の末脚』

 第4コーナーから直線に向かって間もなく、マックスビューティが先頭に立った。馬群を突き抜け、後続を突き放してゆく。これからは、マックスビューティの独壇場。あとは、ゴールを待つばかり・・・。

「マックス、強い!強い!」

 実況を聞くまでもなく、淀のスタンドを埋めた誰もが「牝馬三冠」の達成を確信した、その時だった。大外から飛んできて、マックスビューティに迫る影がもうひとつ・・・それが、蛯沢騎手に導かれたタレンティドガールであった。

 直線に入った蛯沢騎手は、

「マックスビューティは、意外とモタモタしている。これなら、勝てるかも・・・」

と思ったという。そして、蛯沢騎手のゴーサインに応えてタレンティドガールが繰り出した末脚は、蛯沢騎手の予想をも超えるものだった。

 マックスビューティを追っていた田原騎手は、手応えがいつもほどではないことに焦りを覚えていた。そんな時に背後に感じた、忍び寄る影の気配。どの馬なのかまでは分からなかったが、その勢いははっきりと読み取れた。

「危ない・・・」

 だが、これから手を打とうにも、マックスビューティは、既に「すべて」を出し尽くしていた。後方からの急襲に対して反撃しようにも、彼女の手応えは一杯になっていた。撃つべき弾は、もう残っていない。

 タレンティドガールがマックスビューティをとらえた時、田原騎手の焦燥は、絶望へと変わった。マックスビューティを知り尽くした田原騎手は、彼女がこれ以上持ちこたえられないことを知っていた。・・・この時彼は、気づいていただろうか。田原騎手とマックスビューティの牝馬三冠の夢を打ち砕こうとしている相手が、かつて自ら初勝利を挙げさせた馬であり、レース前にもひそかに恐れていた馬であったことを。

『現実となった畏怖』

 田原騎手とタレンティドガール・・・その因縁は、初勝利の時にコンビを組んだだけではない。エリザベス女王杯を直前にした時期にも、田原騎手はタレンティドガールについて、記者たちと興味深いやり取りをかわしている。

 大本命マックスビューティの状態を知ろうと田原騎手を取り囲んだマスコミに対し、田原騎手の口から出てきたのも牝馬三冠に向けた強気のコメントだった。しかし、その中にほんの少し、異なる分子が混じったのは、1人の記者が

「怖い馬は?」

と尋ねた時だった。この時、少し考えた田原騎手は、

「タレンティドガールかな・・・」

と答えたのである。

 もっとも、タレンティドガールの名前を挙げた田原騎手は、その後すぐにこうつぶやいたという。

「でも、ニッポーテイオーの下。1800までの馬か・・・」

 確かに、タレンティドガールの半兄ニッポーテイオーは、距離適性に限界があるとされ、2400m以上の大レースには出走することさえなかった。しかし、タレンティドガールの父は、典型的なマイラー種牡馬だったリイフォーからリマンドに変わっている。リマンドは日本ダービー馬オペックホース、南関東三冠馬サンオーイを輩出しており、2400mへの適性がないはずはない。そして何より、タレンティドガールは2400mで行われたオークスの3着馬である。田原騎手も、それを知らなかったはずはない。

 だが、田原騎手は、マックスビューティだけでなくタレンティドガールにも騎乗した経験があった。田原騎手の騎乗は1戦限りだったが、騎手にとってはその「1度」が大きな意味を持つ。田原騎手がタレンティドガールに対して抱いていた感情は、彼自身にとって最も不気味な感触だったに違いない。

 田原騎手は、いったん口に出した自らの惧れを、その直後にうち消した。それも、理由にならない理由によって。おそらく田原騎手は、自分自身で気づいているよりもはるかに深い部分でタレンティドガールの影を恐れ、脅威に怯えていた。だが、彼の畏れと怯えは、騎手としての無意識の本能によるものであり、意識した上での知性によるものではなかった。マックスビューティの敗北の可能性を考えるには、田原騎手はあまりに彼女の強さを知りすぎていた。だからこそ、タレンティドガールに対する本能の怯えを、意識して考える以前に打ち消してしまったのだろう。

 しかし、運命の瞬間は、正しかったのが田原騎手の無意識の本能だったことを証明した。マックスビューティをとらえたタレンティドガールがさらに加速すると、マックスビューティに抵抗する余力は残されていなかった。

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