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タレンティドガール列伝 ~秋の淀に咲いた才媛~

『才媛、一世一代の輝き』

 タレンティドガールは、マックスビューティに2馬身差をつけてゴールした。「才媛」の名を持つ馬が、「究極美」の名を持つ馬の牝馬三冠の夢を、最後の最後に打ち砕いたのである。

 「タレンティドガール」の名前に強い思い入れを抱いていた千代田牧場の人々は、彼女が成し遂げた殊勲を見届けて歓喜に震え、娘の墓前にも報告したという。また、タレンティドガール陣営の人々も、

「ひょっとするとかわせるかも、と思いましたが、本当によく走ってくれました・・・」(蛯沢騎手)
「マックスビューティに正攻法で向かっていって、勝った。言うことなしだ」(栗田師)

と自らの殊勲に興奮気味だった。

 彼らとは対照的に、歴史の証人となるはずだった大観衆は、思わぬ光景に言葉を失った。前年のメジロラモーヌに次ぐ2年連続の三冠牝馬誕生の夢は、潰えた。だが、夢を砕かれたマックスビューティ陣営からは、

「うちの馬も伸びていた。なのに、2400mであの脚を使われるとは・・・」(田原騎手)
「今日はどんな競馬をしていても、あの馬(タレンティドガール)にはかなわなかった。こちらが思っていた以上に、春から力をつけていたということやな・・・」(伊藤雄二師)

とタレンティドガールを称える声があがった。この日にタレンティドガールが見せた競馬は、それほどに見事なものだった。・・・そのあまりに見事な2分29秒3は、タレンティドガールが見せた一世一代の輝きとなったのである。

『戦いの終わり』

 エリザベス女王杯を勝った後、その余勢を駆って有馬記念(Gl)にも出走したタレンティドガールだったが、ここではメジロデュレンの12着に敗れた。中団からの末脚は不発に終わり、古馬や牡馬たちの壁に跳ね返される形となったのである。

 翌88年のタレンティドガールは、牝馬限定戦の中山牝馬S(Glll)から始動したものの、牝馬三冠の最後のひとつを制したはずの彼女は、同世代のクイーンS(Glll)馬ストロングレディーに1番人気を譲った。エリザベス女王杯は、一世一代の走りだったのか・・・。そして、中山牝馬Sの結果も、8頭だて7番人気のソウシンホウジュによる大駆けの前に、5着に敗れた。

 結局、タレンティドガールはその1戦を最後に現役を引退し、繁殖入りすることになった。オーナーブリーダーである千代田牧場がタレンティドガールに求めたのは、競走馬として賞金を稼ぐことではなく、エリザベス女王杯で見せた能力、そして明日への夢を次代へとつなぐことだったからである。

 タレンティドガール、引退。その通算成績11戦4勝、重賞勝ちはエリザベス女王杯ひとつだけだったが、マックスビューティの牝馬三冠を阻止したその走りは、ファンの心にはっきりと刻まれている。

『悠久の時の中で』

 繁殖牝馬として千代田牧場へ戻ったタレンティドガールは、自らの血を後世に伝える新たな使命を担った。不受胎も多かったタレンティドガール自身の産駒は9頭にとどまったが、その中で最も活躍したのは、1995年春にサンデーサイレンスとの間で生まれたシンコウシングラーであろう。スペシャルウィーク、セイウンスカイらと同じ世代にあたるシンコウシングラーは、春のクラシックには間に合わなかったものの、セントライト記念(Gll)で3着に入り、菊花賞出走を果たした(15着)。彼は、重賞は勝てなかったものの、通算38戦5勝の実績を残している。また、一時英国に送り込まれて現地のNashwan、ソヴィエトスターといった名馬たちと交配されたところ、Nashwanとの間に生まれたエミネントガールの系統から、2012年ヴィクトリアマイル(Gl)等を制したホエールキャプチャが出てもいる。タレンティドガールの血統は、現代競馬にも、脈々と生き続けているのである。

 もっとも、時代の流れによって変わったものもあって、彼女の主戦騎手だった蛯沢騎手は、騎手として887勝、重賞42勝の実績を残したものの、

「ダービーを勝てずに引退するジョッキーが 『悔いはない』なんて嘘になる」

という言葉を残して、2000年に引退した。その後の蛯沢騎手は、小島太厩舎の調教助手としてイーグルカフェ、サクラプレジデントなどの育成に携わっていた。しかしながら、やがて病に倒れた蛯沢騎手は、2003年10月31日、食道ガンのため、52歳の若さで鬼籍に入っている。最後のダービーとなった2003年6月1日、蛯沢助手は既に入院していたが、自分が担当していたサクラプレジデントの戦いを見守るために、医師の許可を取って外出し、東京競馬場へと現れたという。サクラプレジデントは7着に敗れて最後の望みを果たしえなかったが、競馬に人生を捧げた男の生き様の壮絶さを感じさせるエピソードである。

『誰にでもある明日』

 1987年のエリザベス女王杯・・・マックスビューティの牝馬三冠が成らなかったレースとして記憶されるレースで大きく花開いたタレンティドガールは、その一瞬の輝きによって歴史にその名を残し、そして競走馬としての使命を終えて去っていった。

 サラブレッドは、彼らを支える人々のすべてを背負って走っている。生まれ故郷、主戦騎手、調教師、そしてファン・・・。その重みを背負い、使命を果たすことができるのは、年間7000頭といわれる日本生まれのサラブレッドたちのうち、ほんの一部に過ぎない。だが、その限られた者たちだけが教えてくれる何かは、私たちにとってかけがえのないものである。

 タレンティドガールもまた、多くの人々の夢と思いを背負って走ったサラブレッドだった。その末に彼女が勝ち得た勲章は、彼女に夢と思いを託した人々の情熱にふさわしいものであった。彼らのひとりひとりによって、競馬が支えられ、そして歴史が築かれているのである。

 1987年のエリザベス女王杯は、歴史の波の中で遠ざかりつつある。すべてに等しく訪れる時の流れによって、ターフをにぎわせる主役はタレンティドガールの子供たちではなく孫、ひ孫という時代になりつつある。蛯沢騎手、そしてタレンティドガールと同期の名牝マックスビューティも、もうこの世にはいない。しかし、この世に競馬があり、そして競馬に夢と思いを託する人々がいる限り、歴史は明日へと続いていく。新たな歴史は、今日もどこかで生まれている。

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