スクラムダイナ列伝~夢の途中~
『柴政の選択』
柴田騎手が最後まで迷ったのは、スクラムダイナとミホシンザンの取捨だった。実績、そして現時点での完成度が最も勝るのは、間違いなくスクラムダイナである。だが、柴田騎手は、将来性も含めて考えると、ミホシンザンが一番だろう、とも考えていた。体質と脚部に弱さがあるためにデビューが遅れたミホシンザンだが、これから順調な季節を過ごしさえすれば、必ずたいへんな馬になる。そして彼の目には、不完全な体調の新馬戦でいきなりレコード勝ちを記録した素質が、これから急カーブの上昇線を描いて上昇していくであろうさまが、はっきりと見えていた・・・。
柴田政人騎手といえば、その名を語る場合に常につきまとうのが、日本ダービーとの関係である。もともと柴田騎手にとって、日本最高のレースである日本ダービーは、最も勝ちたいレースだった。だが、彼の思いにもかかわらず、一流騎手として歩んだ彼の道は、ダービーの栄光とだけは無縁であり続けた。クラシックを前にしたアローエクスプレスからの乗り替わり事件から始まった柴田騎手のダービーは、既に10回の騎乗を重ねながらも、優勝どころか一度も3着にすら入れないという形で、彼の望みを阻み続けた。唯一希望が持てる騎乗馬だった78年の皐月賞馬ファンタストは、皐月賞を勝った後、ダービーの直前調教で腹痛を起こし、実力を発揮できないまま敗れた。そうした騎手としてのキャリアの積み重ねの中でダービーへの思いを強めていった柴田騎手にとって、故障さえしなければ、ミホシンザンこそが彼の悲願を果たしてくれる可能性を一番はっきりと示してくれる馬だった。
矢野師をはじめとするスクラムダイナ陣営は、当然のことながら白菊賞、そして朝日杯3歳Sを勝たせた柴田騎手が騎乗してくれることを希望していた。だが、普通ならばすぐに快諾の返事をくれるはずの柴田騎手の歯切れは悪い。・・・やがて矢野師は、柴田騎手が彼のもとを訪れたものの、何か言い出しにくそうにしている様子を見て、すべてを悟った。
「政人はミホシンザンに乗りたいんだな・・・」
柴田騎手がスクラムダイナとミホシンザンとの間で迷っているということは、矢野師も既に聞いていた。だが、柴田騎手といえば、騎手の中でも世に知れた義理堅い男である。ミホシンザンに乗ることを決めたものの、今の彼は、それをなかなか言い出せずに困っているのだ。そう見抜いた矢野師は、苦しそうな柴田騎手を見かね、逆に
「うちのは岡部君に乗ってもらうから・・・」
と切り出したという。
こうしてスクラムダイナと柴田騎手とのコンビは解消となり、新馬戦でコンビを組んだ岡部幸雄騎手が再びスクラムダイナの鞍上に復帰することになった。岡部騎手といえば、柴田騎手の同期であるとともに、彼と並び称される関東のトップ騎手であり、さらに前年にはシンボリルドルフとともに日本ダービーを含めたクラシック三冠と有馬記念を制しており、柴田騎手に劣る要素はないと言えた。
とはいえ、1人の騎手がひとつのレースで2頭に乗ることができない以上、有力騎手が1頭の馬に乗るために、他の馬とのコンビを解消すること自体は、仕方のないことである。しかし、ダービーへの強いこだわりを持つ柴田騎手の選択は、スクラムダイナよりもミホシンザンの方が日本ダービーを勝つ確率が高いと判断したからにほかならない。・・・社台ファームの夢を背負ってダービー制覇を目指すスクラムダイナのクラシックロードは、そんな不安とともに始まることになった。
『閉じ込められて』
スプリングS当日の単勝オッズは、ミホシンザンが160円で断然の1番人気に支持され、スクラムダイナは480円と、ミホシンザンからはかなり離された2番人気にとどまった。実績では明らかにスクラムダイナがミホシンザンを上回っていることからすれば、柴田騎手の選択もこのオッズに影響していることは明らかだった。
この日のスクラムダイナは、3番という内枠からのスタートだった。さらに、いったん馬を下げれば容易に周囲に馬がいない位置へと持ち出せた朝日杯3歳Sと違って、この日は常に前後と外に馬、内には内ラチを置く展開となり、馬を外に持ち出すことができなかった。
スクラムダイナが馬群の中に閉じ込められて窮屈なレースを強いられている時、先頭でレースを引っ張っていたのは、柴田騎手から増沢末夫騎手に乗り替わった4番人気のサザンフィーバーだった。柴田騎手からの乗り替わりということではスクラムダイナと同条件のサザンフィーバーだったが、こちらは先行の名手として知られる増沢騎手との新コンビを生かし、後続に常に約2馬身の差をつけながら、自らレースを作る展開に持ち込んでいた。
サザンフィーバーが作り出す淡々とした流れは、後続が早くから積極的に動くには速すぎ、また後方一気に賭けて大きく下げるには、遅すぎるものだった。他の馬たちが下手に動けない状態で金縛り状態となったことから、馬群に閉じ込められたスクラムダイナはさらに身動きがとれなくなっていく。だが、そんなスクラムダイナの苦しみが、この日のレースの誰も予想しない結末にどのように関係していくかは、誰も知る由もなかった。
『悲劇の陰にて』
この日のスクラムダイナは、当初は中団につけていたものの、勝負どころの第3コーナーあたりで他の馬たちが動き始めると、それにはついていけず、後方へと置いていかれてしまった。ここに至ってようやく外への進路も開いたスクラムダイナではあったが、ここから外をついたのでは、とても間に合わない。岡部騎手が内をつくことに、もはや選択の余地はなかった。
だが、スクラムダイナが内をついて直線に入っていった直後、彼の前方で事故が起こった。それまで先頭を走っていたサザンフィーバーが、ゲートの台によってできたくぼみに脚をとられて、直線半ばで突然転倒したのである。増沢騎手はサザンフィーバーの鞍上から地面へと投げ出され、サザンフィーバーは競走中止となった。
サザンフィーバーは、道中から転倒の直前までの間、後続に約2馬身という決して小さくはない差を保ったまま先頭を走り続けていた。そんな馬の突然の転倒事故が後続へ与えた影響も、非常に大きなものだった。
一般に、競走馬が故障するのはコーナーが多く、直線を走っている時に重大な故障が発生することは、そう多くない。さらに、後続の馬の騎手たちも、勝負どころではそれぞれの馬の力を引き出すことしか考えておらず、サザンフィーバーが突然転倒するという可能性は、想像すらしていなかった。サザンフィーバーのすぐ後ろを走っていた馬たちは、転倒したサザンフィーバーを避けるため、立ち上がったり横へ飛びのいたりという突然の対応を余儀なくされ、馬群は大混乱に陥った。
コーナーで内をついて直線に入ってきたスクラムダイナも、その影響を受けずにはいられなかった。サザンフィーバーの後ろを走っていたファステストが急に立ち上がったことから、その後ろにいたスクラムダイナはファステストに後ろから衝突しそうになり、あわてて進路をさらに内ラチ沿いへと変える羽目になったのである。
普通の馬ならば、走る気をなくしても不思議のない突発事態である。現に、サザンフィーバーの直後で転倒に巻き込まれたブラックスキーとファステストは、サザンフィーバーをよけたことで完全に戦意を喪失して後方へと消えていった。・・・だが、その彼らの後ろにいたスクラムダイナは違っていた。混乱の中から懸命に態勢を立て直すと、すぐに誰もいなくなったインコースの直線へと飛び出し、一時は先頭に立った。
しかし、そんなスクラムダイナを横目に見ながら、はるか外から次元の違う脚色でかわし去っていく馬の姿があった。もともと馬群の後方、それもかなり外側寄りの位置にいたため、サザンフィーバーが転倒した影響をほとんど受けずに済んだ1番人気のミホシンザンである。 ミホシンザンは、まるでスクラムダイナをあざ笑うかのような素晴らしい末脚で、彼を抜き去っていった。凄まじい精神力で不利からいち早く立ち直ったスクラムダイナだったが、ほとんど不利を受けなかったミホシンザンが相手ではあまりに分が悪く、結局2着に敗れた。
『聖域の贄』
本来、スクラムダイナの2着という結果は、生涯初めての敗北ではあるにしても、有力馬たちの多くが集まった春の初戦でのもので、失望するほどのものでもない。しかし、この日に限っては、サザンフィーバーの転倒による影があまりにも大きすぎた。
転倒する直前まで快調な逃げを続けていたサザンフィーバーに、最期の瞬間まで脚色の衰えはなかった。この時後続の馬たちの多くはもう鞭を入れていたが、それでも彼らの差はなかなか縮まらなかった。そのため
「もし転倒事故がなかったら、勝っていたのはサザンフィーバーだった」
という声があがるのも仕方のないことだった。タンカで運ばれようとしていた増沢末夫騎手が
「絶対に勝っていた・・・」
とうめいたのも、理由のないことではない。サザンフィーバーは、ベストブラッドというマイナー種牡馬の、1982年生まれの唯一の産駒だった。彼の活躍には、レースに出走することさえできなかった父の無念を晴らすという意味もあるはずだった。
しかし、この年のスプリングSの勝者として刻まれたのがサザンフィーバーではなくミホシンザンの名前だったということは、厳然たる歴史的事実である。父の夢とともにダービーを目指したサザンフィーバーは、並み居る良血馬を抑えての重賞制覇を目前にして、重賞初制覇の栄光はおろか競走生命・・・そして、生命そのものまで失うことになった。予後不良と診断されてこの日のうちに天へと旅立ったサザンフィーバーに代わって勝者の壇へと上ったのは、三冠馬シンザンの血を継ぐミホシンザンだった。
有力馬が予後不良となったレースでは、他の馬にも独特の影がさすことが多い。だが、この日の勝ち馬であるミホシンザンは、伝説の三冠馬の正統な後継者であり、日本競馬にとって、傷つけてはならない「聖域」だった。そして・・・「聖域」が免れた影は、他の誰かが背負わなければならなかった。
スクラムダイナは、最後の直線で勢いがつきかけたところをサザンフィーバー転倒のあおりを受け、進路をカットされるという不利があったが、そんな情勢の中から体勢を立て直し、流血の直線を抜けてきた。だが、そんなレース内容は、あまりに強い影の前で、何の意味もなさなかった。レース前までは弥生賞組よりも高い評価を受けていたはずのスプリングS組だったが、この日を境にスクラムダイナをはじめとするスプリングS組は、「ミホシンザン、そしてサザンフィーバーの影に敗れた」馬として、その評価を大きく落としてしまった。