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マイネルコンバット列伝~認められざるダービー馬~

『突然の終焉』

 マイネルコンバットの障害デビュー戦となる障害4歳以上未勝利戦は、散々な結果に終わった。マイネルコンバットは、スタート直後に他の馬から進路妨害をされた際に騎手を落馬させてしまい、競走中止となってしまったのである。このレースでマイネルコンバットの進路を妨害した馬は、失格となっている。幸い人馬とも大事には至らなかったが、馬自身も怖い思いをしたはずである。

 しかし、マイネルコンバットの闘争心は、死んでいなかった。デビュー戦での不運にもめげず障害への挑戦を続けたマイネルコンバットは、転向3戦目で初勝利を挙げた。そして、次走となった福島ジャンプS(OP)では2着に入ったことで、障害馬としての資質を垣間見せるようになっていた。

 …マイネルコンバットに悲劇が襲ったのは、そんな矢先だった。両前脚の屈腱炎が明らかになったのである。それは、競走馬として致命的なものだった。

 2002年8月、マイネルコンバットは競走馬としての登録を抹消され、「乗馬」へと用途変更されることになった。マイネルコンバットの通算成績は29戦4勝、獲得賞金は約1億2300万円強で、勝った重賞はジャパンダートダービーのみである。1999年から2023年までの間に誕生した25頭のジャパンダートダービー勝ち馬たちの中で、重賞勝ちがジャパンダートダービーだけなのは、マイネルコンバット以外にも04年カフェオリンポス、06年フレンドシップ、14年カゼノコ、16年キョウエイギア、21年キャッスルトップ、22年ノットゥルノと7頭いる。しかし、勝ち鞍に重賞のみならずOP勝ちもないのはマイネルコンバットとまだ現役馬のキャッスルトップ、ノットゥルノの3頭だけである。

『オリオンⅠ(ファースト)として』

 競馬界の不都合な現実として、「乗馬へ用途変更」とされた引退馬が、文字通りに乗馬となっていることは、少ないとされている。

 しかし、引退後のマイネルコンバットは、幸いなことに、「少ない」例の中に含まれていた。マイネルコンバットは、日高山脈を望む十勝柏友会乗馬クラブへと迎えられ、名前も「オリオンⅠ」と一新されて、乗馬としての新しい馬生を送ることになったのである

 競走馬として名を成した名馬が乗馬に転身する場合、乗馬と言いながら、実際に期待されているのは繫養地の看板としての役割であることも多い。競走馬に求められる資質と乗馬に求められる資質は必ずしも同じではなく、むしろ闘争心を剝き出しにしてとにかく速く、より速くゴールすることを美徳とする競走馬は、資質が高ければ高いほど、乗馬には不向きになっていく場合すらある。

 しかし、マイネルコンバット改め「オリオンⅠ」は、ここでも「文字通りの」乗馬として供用され、2006年6月に第41回北海道春季馬術大会へ出場し、09年6月には第44回北海道春季馬術大会 中障害Dで優勝し、その後も2011年までの約2年間で5回の優勝を飾った事実が、日本馬術連盟の記録で確認できる。求められる資質が大きく異なる競馬と馬術の双方でマイネルコンバットが実績を残した背景として、障害に転向した際の飛越練習等も生きていたのかもしれない。

 「オリオンⅠ」は、現在も同クラブのHPに在厩馬として掲載されていることから、存命と思われる。

『認められずとも』

 2021年3月19日、競馬界を1人の訃報が駆け巡った。マイネル軍団総帥・岡田繁幸氏が、自身の71歳の誕生日に死去したというニュースは、競馬界を震撼させた。

 岡田氏の訃報を報じるにあたり、彼の「ダービー」へのこだわりにふれた記事は多かった。86年日本ダービーでダイナガリバーの2着に敗れたグランパズドリームの敗北の悔しさを原点として、自らの相馬眼を武器に一代で「マイネル軍団」を作り上げ、その総帥として日本ダービー制覇を目指した岡田氏の悲願は、ついにかなわなかったのである。

 ただ、それらの記事の中で、岡田氏が「もうひとつのダービー」を制している事実について言及するものは、見当たらなかった。むろん、我が国において「ダービー」と名を冠するレースは少なくなく、そのすべてを「ダービー」として扱うのは無理な話である。岡田氏自身が認めていなかったものを、周囲が勝手に認めろと言ったところで、それは岡田氏にとって何の救いにもなりはしない。

 しかし、日本競馬における「芝」の世代別の頂点を日本ダービーだとするならば、JRAだけでなく地方競馬も含めた世代別チャンピオンたちを集めて「ダート」の頂点を決するレースは、果たしてこれまでどのレースがその役割を果たしてきたと認められ、これからはどのレースがその役割を果たすと位置づけられていくのだろうか。

 ジャパンダートダービーは、「ダービー」の名を東京ダービーへと譲り、2024年以降、「ジャパンダートクラシック」として新しいスタートを切る。だが、ダートのレース体系が確立する以前の移行期に誕生したジャパンダートダービーの勝ち馬たち…いわば「ダービー馬と認められなかったダービー馬たち」は、マイネルコンバットも含めて多数存在する。これからのダート競馬を見ていくにあたり、時にはそうした馬たちのことも思い出し、不遇な時代の中でも懸命に輝いた彼らの走りに思いをはせることの意味は、決して小さくないのではないだろうか。

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