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タカラスチール列伝~想い出ぬすびと~

『遠ざかる華』

 1986年に入り、古馬の仲間入りしたタカラスチールは、その後も休養らしい休養をとることすらないまま、ひたすらにレースを走り続けた。前年暮れのダービー卿チャレンジトロフィーの後、86年の初戦となった東京新聞杯(Glll)までの「中62日」が、タカラスチールのデビューから引退までの戦績の中で「最も大きなレース間隔」となったという事実こそが、「無事是名馬」を貫いた彼女の競走馬生活を物語っている。

 さて、冬のうちは調子が上がらず苦戦していたタカラスチールだったが、陽射しが温かくなってくるのに合わせて調子も次第に上向きとなり、スプリンターズS(Glll)3着、京王杯スプリングC(Gll)2着という戦果を経て、桜花賞以来2度目のGl挑戦となる安田記念(Gl)へと進んだ。

 当時のマイル路線は、ニホンピロウイナーの引退によって戦国時代の幕開けが噂されていたとあって、安田記念でのタカラスチールは、4番人気と単穴扱いされた。ファンは、前年の桜花賞の1番人気馬のことを、まだ忘れてはいなかった。むしろ、彼女の潜在的な能力を、Glでも勝負できるレベルと評価したのである。

 しかし、タカラスチールはそんな期待に応えることなく、ギャロップダイナの7着に終わった。その後の彼女は、エプソムC(Glll)3着、BSN杯(OP)2着、関屋記念(Glll)3着、京王杯AH(Glll)3着・・・と、マイナーどころのレースを走っては、そこそこの戦績を収め続けた。・・・あくまでも「そこそこ」のレベルであって、それ以上のものではない。

 1年前の桜花賞の日、タカラスチールは、22頭の並み居る出走馬の中で、堂々の1番人気に支持された。1番人気・・・それは、競馬の中心となる「華」にほかならない。だが、「華」は「華」にふさわしい競馬をし続けなければ、移り気な大衆から飽きられ、忘れられ、ついには枯れ果てていく宿命にある。当時のタカラスチールも、「華」というにはほど遠い競馬を繰り返すことで、栄光からは確実に遠ざかりつつあるかに見えた。

『ある男との邂逅』

 そんな単調な日々の中、タカラスチールはスワンS(Gll)に出走することになった。このレースで初めて彼女に騎乗したのが、「必殺仕事人」こと田島良保騎手である。

 タカラスチールは、それまで26戦のレースを走ってきたが、その鞍上も、デビュー当初の佐藤吉勝騎手を皮切りに、加賀武見、塚越一弘、稲葉的海、田村正光、中島啓之、吉沢宗一、柴田政人、大崎正一、郷原洋行と計10人の騎手たちが務めてきた。・・・それはつまり、これだけ走ってもなお、鞍上をいまだに固定できないことを意味している。この事実は、高い素質を持ちながらいま一歩のところで壁を破れず、実力を発揮しきれない彼女の苦しみを象徴しているかのようだった。田島騎手は、そんな彼女の11人目のパートナーにあたる。

 田島騎手は、1947年生まれで、当時39歳のベテラン騎手である。1971年にヒカルイマイとのコンビでダービーを制し、23歳7ヶ月という史上最年少ダービー制覇を果たしたことで有名な田島騎手だが、競馬ファンに彼の存在感を刻んだのは、最年少のダービー騎手という記録よりも、むしろそんな大舞台で実力を出し尽くせる勝負強さであり、さらにレース後、第4コーナーでなお26番手だった位置取りについて

「ダービーなのにずいぶん思い切ったことを」

と聞かれて、

「俺はダービーに乗ったんじゃない。ヒカルイマイに乗ったんだ」

と答える度胸のよさだったかもしれない。

 そんな伝説を持ったかつての独立不羈の青年騎手は、大舞台での勝負強さゆえにいつしか「必殺仕事人」と呼ばれるようになっていったものの、やがて彼の後に台頭してきた河内洋、南井克巳、田原成貴といった新世代の騎手たちに押され、騎乗機会を奪われつつあった。・・・常に「華」を咲かせ続けなければたちまち力を失っていくという勝負の世界の厳しさに直面した彼の立場は、まさに当時のタカラスチールと同じものだった。

『同類項』

 さて、田島騎手との新コンビでレースに臨んだタカラスチールだったが、スワンSでの単勝は3番人気で、断然の人気を集めたのは4歳馬・ニッポーテイオーだった。かつてタカラスチールともコンビを組んだ「剛腕」郷原洋行騎手を主戦騎手とするニッポーテイオーは、この春の皐月賞(Gl)こそ8着に敗れたものの、その後ダービーをあきらめ、目標をマイルから中距離に絞って走ることで大きく飛躍しようとしていた。既に重賞初制覇となるニュージーランドトロフィー4歳S(Glll)、レコードを記録した函館記念(Glll)を勝ち、3つ目の重賞として照準を定めたのが、この日のスワンSだった。

 そして、この日のレースは、ニッポーテイオーの独り舞台となった。この日、珍しく中団からの競馬となったタカラスチールらを尻目に、卓越したスピードで好位につけると、直線では他の馬たちがついてくる暇も与えずに鋭く伸び、結局2着アサクサエリートに2馬身半差をつけて圧勝した。

「ニッポーテイオー、強し」
「マイルCSは、この馬で決まった」

 ・・・そんな声もあがる一方で、タカラスチールは4着に敗れた。強い相手が集まった前哨戦での、複勝圏にもからめない敗北。春の安田記念に続いて牡馬相手での限界を感じさせる結果は、マイルCSを目指すタカラスチールの先行きに、黒い暗雲を垂れ込めさせるものだった。

「しょせん、ここまでの馬なのか・・・」

 そう思ったファンは、少なくないはずである。貪欲な大衆は、「華」を咲かせ続けられない者に冷たい。それは、タカラスチールに対しても、田島騎手に対しても同じことだった。

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