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タカラスチール列伝~想い出ぬすびと~

『内と外に離れて』

 タカラスチールは、第4コーナーで外を回りながらも、脚を失うことなく鋭伸した。ダイナシュガーがさらに外からついてくるものの、タカラスチールの勢いには及ばない。

 そのころ、ニッポーテイオーも、馬の壁の間隙を縫って、強引に馬群からの抜け出しを図っていた。第4コーナーで前に開いたほんのわずかの空間に、自らの馬体を強引にねじ込んで、ようやく先頭への道を切り開いたのである。

 タカラスチールとニッポーテイオーは、内と外に離れながらも、それぞれの場所から初めてのGl制覇を目指した。前では、ちょうど彼らの中間点ともいうべき位置に粘りこみを図るロングハヤブサがいて、頑強な抵抗を続ける。ロングハヤブサをかわしたところに、栄光のゴールは見えている。

 だが、ニッポーテイオーは馬群から抜け出す時の無理がたたったのか、そこから突き抜ける脚がない。苦戦する大本命を置き去りにして、タカラスチールが抜け出した。その脚色は、軽い。内にニッポーテイオーを封じ込める形となった他の馬たちも、外を衝いて上がってきたもう1頭の刺客の存在までは気が回らなかったし、内と外を同時に封じ込めることは不可能だった。タカラスチールがロングハヤブサをとらえた時、

「タカラスチールで決まった!」

と思ったファンは、多いはずである。

『遅咲きの華』

 ところが、レースが残り200m地点付近となり、決着の時を目の前にしたところで、ニッポーテイオーが突然蘇った。断然の1番人気と「ニホンピロウイナーの後継者」という呼び声を背負った若き新鋭は、第4コーナーで敵の重層を突破した代償から、終戦の際になってようやく立ち直り、ついにタカラスチールの追撃態勢に入ったのである。

 ニッポーテイオーの復活とともに、ロングハヤブサも再び勢いを取り戻した。一方タカラスチールは、第4コーナーからのスパートでロングハヤブサをとらえたことで力を使い果たしたのか、逆に勢いを失っていく。一時は突き抜けるかに見えたタカラスチールだが、その後後続2頭との差は、逆にたちまち縮まっていく。だが、ゴール板までに残された距離は、短い。あとはゴールへ逃げ込むのが先か、とらえるのが先か、だった。

 タカラスチールは、頑張った。田島騎手の叱咤に最後まで応え、失いつつある末脚をそれまでの勢いで補い、そのままゴールへとなだれ込んだ。彼女とニッポーテイオー、ロングハヤブサは、ほぼ並んでゴールする形となった。だが、タカラスチールは若きマイル界の新鋭とかつて阪神3歳Sを制した歴戦の古豪をわずかに抑え、ついに大輪の花を咲かせた。彼女と2着となったニッポーテイオーとの着差は、わずかにハナ差だった。田島騎手は、思い切った騎乗でタカラスチールの新たな面を引き出し、見事にその使命を果たしたのである。

 こうしてタカラスチールは、第3回マイルCSを制した。1984年にグレード制が導入されて以降、牡牝混合Glを牝馬が勝ったのは、彼女が初めてである。1番人気に支持されて惨敗した桜花賞から1年半、桜の季節にはまだ早すぎた晩成の華が、長い旅路の果てに咲かせた栄光であった。

『戦いの終り』

 それからのタカラスチールは、4戦を走ったものの、馬券に絡むことのないまま終わり、87年の京王杯スプリングC(Gll)で12着に敗退したのを最後に、現役を引退することになった。まるで、マイルCSですべてを燃やし尽くしたかのような散り際だった。

 タカラスチールの通算成績は、32戦8勝で、重賞はマイルCS、関屋記念、クイーンCの3勝である。彼女の凄いところは、1984年7月7日に新馬戦でデビューしてから、最後のレースとなった1987年4月26日の京王杯スプリングCまでの約3年間、ほとんど休むことなく32戦を走り抜いたことである。以前も書いたとおり、レース間隔が一番空いたのが中62日というペースで、3年近くの間一線級で走り続けたというのは、「無事是名馬」の典型といえよう。

 そんなタカラスチールも、戦いを終えて生まれ故郷の鈴木実牧場に帰っていく。これからの彼女を待っているのは、繁殖牝馬としての新しい生活である。・・・そんな彼女に、黒い影が忍び寄りつつあったことなど、この時点で誰が知ることができただろう。そして、その影の正体が明らかになった時、すべては手遅れになっていたのである。

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