TOP >  年代別一覧 > 1980年代 > タカラスチール列伝~想い出ぬすびと~

タカラスチール列伝~想い出ぬすびと~

『永遠の中へ』

 タカラスチールは、1988年春、生まれ故郷の鈴木実牧場で繁殖生活を開始した。牝馬として初めて世代混合Glを制した彼女の血にかかる期待は、小さなものではなかった。

 しかし、繁殖牝馬としてのタカラスチールは、ロイヤルスキー、クリスタルグリッターズとの間で2年続けて産駒を送り出したものの、その後は流産が続いた。

 92年、タカラスチールは80年代の欧州競馬が生み出した最高の名馬であるダンシングブレーヴと交配され、受胎が確認された。ここ2年流産が続いていただけに、周囲の「今度こそ」という思いは強かった。

 だが、そんな期待を背負ったタカラスチールは、8月に入って突然体調を崩し、急速に衰弱していった。原因も分からないうちに・・・というより、原因を確かめる暇すらないまま、彼女は8月15日に息を引き取った。それが、現役時代にタフさで鳴らしたタカラスチールの、あまりにもあっけない最期だった。

 死後の解剖により、彼女の卵巣に悪性の腫瘍が大きく広がっており、死因もそれであったことが判明した。後にして思うと、相次いだ流産は腫瘍のせいだったのかもしれないし、逆に、相次ぐ流産が卵巣の変調を招き、やがて腫瘍へと形を変えていったのかもしれない。

 いずれにしろ、タカラスチールは逝ってしまった。牝馬でありながら激戦のマイルCSを、そして世代混合Glを見事に奪取した彼女は、私たちから宝物ではなく想い出を盗み、そのまま私たちの手の届かないところへ逃げ去ってしまったのである。

 タカラスチールが残したわずか2頭の産駒は、いずれも未勝利に終わった。そのうち唯一の牝馬であるタカラファンタジーが繁殖入りしてタカラスチールの牝系をつないだものの、やはり牡牝1頭ずつしか確認できない孫世代を最後に、タカラスチールの血は途絶えてしまったようである。

『馬は見ている』

 タカラスチールが天に召されてから長い時が過ぎ、その間の競馬界では、多くの時と歴史が積み重ねられてきた。マイルCSは、中長距離戦線と比較すると牝馬が比較的活躍しやすいGlとなり、20世紀のうちにタカラスチール以降にもパッシングショット、シンコウラブリイ、ノースフライトという3頭の牝馬たちが頂点に立った。マイルCS以外でも、ダイイチルビー、フラワーパーク、エアグルーヴ、ビリーヴといった名牝たちが、牡馬との混合Glを制した。・・・だが、そんな新しい歴史が積み重ねられていく中で、新たな実績を増やすことはもちろん、後世に血統を十分残す機会にも恵まれなかったタカラスチールの存在は、早い時期に過去のものとして歴史に押し流されていった。

 競馬とは、「夢」の産業である。夢とは、輝かしい未来に向けられた、目標となるべき希望である。競馬に関わる人々の口からこの言葉を聞く機会は、他の業種と比べて格段に多い。

 しかし、「夢」はまだ見ぬ未来であるからこそ、「夢」と呼ばれる資格を持つ。かつて未来と呼ばれた時は、時の流れの中でやがて現在となり、そして過去になる。過去になった「夢」は、夢の残骸として打ち捨てられるべき運命なのだろうか。ただ過去のものとして色褪せ、新たな歴史によって上書きされて忘れられていくことを待たなければならない宿命なのだろうか。

 答えは、「否」である。未来に向けた「夢」は、未来が現在から過去に変わった時、「想い出」に変わる。「想い出」とは、ただ単なる過去の記憶、郷愁ではない。「想い出」とは、「夢」の結果でもある。競馬が夢を売る産業ならば、夢の裏返しである想い出を蔑ろにして、どうして成り立つだろう。

 大きな夢を拠りどころとして、いかようにも変えうる未来に向けて歩んでいくのも人ならば、己を今ある姿に至らしめた、決して変え得ない過去の想い出を抱いて生きていくのもまた人である。競馬が競馬であり続けるために、人として生まれた私たちは、時に「過去となった夢」・・・「想い出」を振り返ることも忘れてはならない。

 かつて「タカラスチール」と呼ばれたサラブレッドは、中央競馬の歴史と想い出の中にのみ生きる存在となった。そんな彼女を、私たちが無へと帰せしめるのか、それとも永遠の存在とするのか。その答えを持っているのは、サラブレッドである彼女ではなく、人である私たちである。

 その答えは与えずとも、彼女たちは、私たちを見ている。その存在を「夢」から「想い出」に変えた彼女は、昔と同様に今も競馬に「夢」を語り続ける競馬関係者や競馬ファンを見てどのように思い、何を感じているのだろうか。

 彼女の存在は、やがて競馬史の中に埋もれ、郷愁の中にのみ生きるものとなるだろう。しかし、私たちから大切な宝物・・・想い出を盗み、そのまま私たちの手の届かないところへ逃げ去ってしまった彼女のことを、私たちは決して忘れない・・・

1 2 3 4 5 6 7 8
TOPへ