阪神3歳牝馬S勝ち馬列伝~仁川早春物語(上)~
『特別ではないただの一日』
ビワハイジ、そして彼女と同世代の馬たちにとっての最初の重賞となる札幌3歳S当日、札幌競馬場には雨が降りしきっていた。札幌競馬場の芝コースは、「やや重」という主催者の発表以上に荒れていた。
馬場の状態を見た武騎手は、
「スタートさえ良ければ、4コーナーで先頭に立って、強引に押し切ろう・・・」
という作戦を立てた。ただ、15頭の出走馬のうち下から3番目となる426kgしか馬体重がない牝馬のビワハイジに、そんな競馬を貫くだけのパワーがあるかどうかは、「やってみないと分からない」としか言いようがない。
ビワハイジのオッズは、アグネスハンサム、タヤススリリングという2頭の牡馬に続く、単勝610円の3番人気にとどまった。札幌3歳Sはこの年から地方馬の出走が可能となり、2頭のホッカイドウ競馬所属馬も参戦していた。力のいる馬場状態となったことで、地方馬の台頭の可能性もささやかれる中、重馬場を突き刺すパワーとは無縁なイメージのあるビワハイジへの不安は、決して少なくなかった。
しかし、そうした声をかき消したのは、ビワハイジ自身の走りによってだった。タヤススリリングの逃げを2番手で追走したビワハイジは、第4コーナーでするする上がっていき、逃げ切りを狙うタヤススリリングに襲いかかる。失速したタヤススリリングをかわして先頭に立つと、その後はビワハイジの独り舞台で、そのまま馬群を突き抜けて後続をみるみる引き離していった。
札幌芝コースの直線は短く、わずか266mしかない。それだけの直線で、ビワハイジと2着キッスパシオンとの差は、3馬身半差まで開いていった。ビワハイジが見せた圧勝劇は、レース前の不安をいともたやすく吹き飛ばし、勝利がまるで当然のものであったかのように思わせるものだった。
「1200mよりも距離が延びた方が楽しめそうですね・・・」
レース後に武騎手が残したコメントは、やがて迎える阪神3歳牝馬S、そして翌年のクラシックへの期待を持たせた。何よりもビワハイジ自身がそうした期待を人々に感じさせるだけの輝きを放っていたし、札幌3歳Sの競馬もそれだけの価値を持っていた。
こうしてビワハイジは、新馬戦に続いて重賞でも同世代の中で最も早く勝ち名乗りを受け、世代初のステークスウィナーとなった。・・・ちなみに、彼女がメインレースの札幌3歳Sを制したその日の第4レースでは、やはり武騎手が騎乗する1頭の牝馬が、折り返しの新馬戦で初勝利を挙げている。5馬身差で圧勝して初勝利を飾ったのは、トニービンとダイナカールの娘・・・エアグルーヴ。ビワハイジとエアグルーヴ、この当時はまだ互いを意識することもなかったであろう2頭の牝馬だが、彼女たちの戦いは、この日からもう始まっていたのかもしれない。
『真夏の一ページ』
札幌3歳Sの後、ビワハイジは2戦2勝で負け知らずのまま放牧に出された。
「夏は馬がメキメキ成長する時期。このまま栗東に連れて帰るより、牧場に戻して一回り大きくしてやろう・・・」
浜田師は、そう考えていたという。走る馬であることは、十分に分かった。しかし、札幌3歳S当時で426kgという体重は、あまりにも小さすぎる。
問題は、この時期に馬体を一度緩めてしまうと、阪神3歳牝馬Sに間に合わなくなってしまう可能性があることだったが、浜田師に不安はなかった。
「レースの間隔が空いていても、調教さえしっかりしていれば大丈夫・・・」
それは、浜田師がビワハヤヒデから学んだ経験だった。
阪神3歳牝馬S(Gl)を目指すため、秋に帰ってきたビワハイジは、浜田師の期待どおり、馬体のあらゆる部分がひとまわりずつスケールアップしていた。札幌3歳S後の休養の代償として、ステップレースを使うことができなかったビワハイジだが、浜田師に悔いはなかった。
「ハヤヒデでとれなかった3歳チャンピオンを、この馬で獲りたい・・・」
彼の目標は、非常に明快なものだった。後の年度代表馬ビワハヤヒデは、3歳戦から頭角を現したものの、朝日杯3歳S(Gl)ではエルウェーウィンの2着に敗れて3歳チャンピオンは逃している。浜田師にとってのビワハイジとは、ビワハヤヒデが果たせなかった目標を託することすら、決して大きすぎないと思わせるほどの存在だった。
『不安の中に包まれて』
ビワハイジが目指した第47回阪神3歳牝馬Sは、例年の阪神3歳牝馬Sと異なり、JRA、そして阪神地方の競馬ファンにとってひとつの節目となるレースとしての性格を持っていた。この年の阪神地方は、阪神大震災という未曾有の悲劇に直撃され、阪神競馬場もスタンドの横ズレ、柱の倒壊、馬場の裂け目などが生じ、大打撃を受けた。そんな阪神競馬場がようやく大改修を終え、リニューアルした直後の開催がこの週であり、こけら落としとも言うべきメインレースが第47回阪神3歳牝馬Sだったからである。
そんな特別なレースで、11頭の名前が並んだ阪神3歳牝馬Sの出馬表を見た伊藤雄二調教師は
「あと5、6頭出れば、クラシックと言っていいくらいレベルの高いメンバーじゃないかな・・・」
と評したという。かつてマックスビューティ、ダイイチルビーといった名牝を管理した経験を持つ伊藤師は、その中に3戦2勝で有力視されていたエアグルーヴを送り込む当事者でもある。
前走のりんどう賞でのレコード勝ちをはじめ2戦2勝のイブキパーシヴ、デビュー戦を快勝したばかりのゴールデンカラーズ、4戦3勝のシーズグレイス、デイリー杯3歳S(Gll)を含んで2戦2勝のロゼカラー・・・そこに並ぶ馬たちの実績、あるいは将来性は、百戦錬磨の伊藤師をしても高レベルと認めざるを得ないものが揃っていた。
札幌3歳Sを含む2戦2勝の実績を持つビワハイジだったが、前哨戦を使わず本番へ直行するというローテーションは、浜田師はともかく、ファンにとっては不安以外の何者でもなかった。434kgという小さな馬体も、夏の休養とその後の鍛錬を経て実の詰まったものになっていることを知っている浜田師ならばともかく、他はどうしても数字だけを見てしまう。それどころか、主戦騎手と頼んでいた武騎手さえも、イブキパーシヴ、ゴールデンカラーズ、エアグルーヴ陣営から騎乗依頼を受け、その中でイブキパーシヴを選んでしまった。
浜田師は、武騎手に「振られた」ビワハイジのために角田晃一騎手を鞍上に迎えた。角田騎手もそれまでにいくつものGlを勝った実績があり、それらにはノースフライト、シスタートウショウといった牝馬でのものも含まれてはいたものの、Glでのテン乗りという事実、そして武騎手との実績・安定感の差は歴然としており、ファンは不安視していた、というのが実際のところで、ビワハイジは単勝870円の4番人気にとどまっていた。
『歴史に残る、スローペース』
浜田師からビワハイジの手綱を託された角田騎手は、ゲートが開いた直後に早くも真価を試される状況に追い込まれた。ビワハイジが好スタートを切ってぽんと飛び出し、そのまま先頭に立つと、他の馬たちは手綱を控え、何も追ってこなかったのである。一瞬ビワハイジに並びかけようという気配を見せたエアグルーヴも、結局は2番手のまま控えた。レース前に浜田師から
「行く馬が必ずいるだろうから、2、3番手でいい・・・」
と指示されていた角田騎手は、早々に騎手としての判断、選択を迫られた。
「馬自身が気分良く走っていたし、無理に抑えて気分を損ねたりしたくはなかった・・・」
角田騎手は、とっさにそう判断して前に出た。後続からの追撃はやはりなく、ビワハイジは後続との間に約2馬身のセーフティリードを形成すると、そのままレースの流れを落ち着かせていった。
ビワハイジによる800m地点の通過タイムは、49秒1である。牝馬限定Glとしての阪神3歳牝馬Sの歴史の中でも、馬群の先頭に立つ馬の中間地点の通過タイムとしては、非常に遅いものだった。