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ノーリーズン列伝~Rebel Without a Cause~

 1999年6月4日生。牡。鹿毛。ノースヒルズマネジメント(新冠)産。
 父ブライアンズタイム、母アンブロジン(母Mr.Prospector)。池江泰郎厩舎(栗東)所属。
 通算成績は12戦3勝(新3-5歳時)。主な勝ち鞍は、皐月賞(Gl)。

(本作では列伝馬の現役当時の馬齢表記に従い、新年齢(満年齢)を採用します)

『謎多き戦譜』

 2002年の皐月賞のことを聞かれて多くのファンが思い浮かべるのは、おそらく下馬評を徹底的に破壊し尽くした波乱の結末であろう。重賞3連勝中でクラシックの大本命と言われたタニノギムレットらを退けて三冠の一冠目を制したのは、抽選で出走権を手にした2勝馬ノーリーズンだった。だが、重賞初挑戦の身で、しかも前走の若葉S(OP)では惨敗して人気を大きく落としていたノーリーズンは、ほとんどのファンから忘れられた存在で、前評判の低さを物語るように、この日の配当は単勝15番人気の11590円、馬連に至っては53090円だった。こんな人気薄の馬が、しかも94年にナリタブライアンが記録して以来更新されていなかった皐月賞レコードを8年ぶりに更新する圧倒的なレース内容で勝利を手にするなど、レース前の段階で誰が予想できようか。

 こうして初めての檜舞台でファンにとてつもない衝撃をもたらしたノーリーズンだが、彼はその後も戸惑うファンを翻弄し続けた。皐月賞のレース内容に加えてもともとは良血馬と言われる存在だったことから、それ以降は同世代の有力馬の1頭として扱われるようになり、日本ダービーでは2番人気、菊花賞では1番人気と皐月賞馬にふさわしい人気を集めるようになったノーリーズンだったが、その後の彼は人気に見合う走りを見せることなく、それどころか菊花賞では「走る」ことすらないまま舞台から退場してしまった。

「ノーリーズンとは、どんなサラブレッドだったのか?」

 この答えに、当意即妙に答えうるファンは、おそらく少数であろう。皐月賞で溢れるほどの才能の煌きを見せながら、荒ぶる才能を制御することができないまま、そのすべてを見せることなく競走生活を終えたノーリーズンというサラブレッドに、ファンは一方では魅せられ、また他方では反発せざるを得なかった。そんな相反するふたつの評価の間で、彼はついにワンフレーズでは表現し得ない混沌とした存在として、人々の記憶に刻まれることになったのである。今回のサラブレッド列伝では、そんなノーリーズンの波乱に満ちた競走馬としての戦いの系譜を追ってみたい。

『悲運の姉、か弱き弟』

 ノーリーズンは、1999年6月4日、新冠のノースヒルズマネジメントで生まれた。時は折しも第66回日本ダービーの2日前、アドマイヤベガ、ナリタトップロード、テイエムオペラオーが激突した「三強決戦」の直前のことだった。

 ノーリーズンの血統は、父が日本を代表する種牡馬であるブライアンズタイム、母が米国の1勝馬アンブロジンというものである。もっとも、繁殖牝馬としてのアンブロジンへの期待は、彼女の競走馬としての戦績とはあまり関係がないところから生じていた。

 96年に日本へ輸入された段階から名種牡馬Green Desertや後に日本へ輸入されたウィザーズS(米Gll)勝ち馬トワイニング、阪神3歳牝馬S勝ち馬ヤマニンパラダイスといった名馬たちに連なる牝系、また彼女自身も世界的種牡馬Mr.Prospectorの直子であること、そしてノースヒルズマネジメントに輸入される前にはゴドルフィンを率いるシェイク・モハメド殿下の所有馬だったという事実等が重なって期待を集めていたアンブロジンだったが、彼女がノースヒルズマネジメントで出産したノーリーズンの2歳年上の半姉・ロスマリヌス(父サンデーサイレンス)は、期待を大きく上回る美しい仔馬だった。

「牧場の評価でいうならば、(3年後に生まれた後の牝馬三冠馬)スティルインラブ以上でした」

と評され、ノースヒルズマネジメントの歴史の中でも最上級の期待を寄せられていたロスマリヌスは、順調にデビューして勝利を重ね、特に白菊賞(500万下特別)では、後の重賞5勝馬ダイタクリーヴァに完勝して阪神3歳牝馬Sの有力候補に躍り出た。しかし、その後に故障を発症したロスマリヌスは、ついに復帰を果たすことができず、無敗のまま短い競走生活を終えている。

 そんな「未完の大器」の半弟として生まれたノーリーズンは、牧場にいるころは否応なく「アンブロジンの子」「ロスマリヌスの半弟」という形で期待を集めていた。・・・もっとも、その評価は読んで字のごとく、母や姉に依存したものにすぎない。彼自身の評判はというと、遅生まれのうえに骨瘤に悩まされていたこともあって体が弱く、調教を休むことも多かったという。

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