TOP >  年代別一覧 > 2000年代 > ノーリーズン列伝~Rebel Without a Cause~

ノーリーズン列伝~Rebel Without a Cause~

『連勝からの始まり』

 やがて、成長した「アンブロジンの99」は、ノースヒルズマネジメントの経営者一族の所有馬として中央競馬でデビューすることになり、半姉ロスマリヌスと同じ池江泰郎厩舎への入厩が決まった。彼につけられた競走名である「ノーリーズン」という馬名を発案したのは馬主の秘書で、

「強いのに理由はいらない」

という発想からの命名だという。

 彼自身には何ら関係ない「理由」による期待を背負ったノーリーズンのデビュー戦は、2002年正月の京都芝1800m新馬戦に決まった。血統的には優秀で、池江師が彼のデビュー戦のために連れてきたのも日本最高の騎手である武豊騎手となれば、人気にならないはずがない。・・・かと思いきや、この日のノーリーズンの単勝は670円で、単勝170円の断然人気に支持されたアグネスプラネットから大きく水を開けられての2番人気にとどまった。当時のアグネスプラネットは、同じサンデーサイレンス産駒のタイガーカフェと並んで、99年生まれの社台ファーム生産馬の「双璧」として高く評価される存在だった。

 しかし、初の実戦というには似合わぬ好位からの競馬を進めたノーリーズンは、後方から差してきたアグネスプラネットを寄せつけず、2馬身差をつけて新馬勝ちを収めた。デビュー戦で期待を裏切ったアグネスプラネットは、結局条件戦を3勝しただけで引退し、その血統の爆発は1歳下の全弟ネオユニヴァースの二冠制覇を待つことになる。

 続いてこぶし賞(500万下)に出走したノーリーズンは、やはり人気ではマチカネメニモミヨに後れをとって2番人気にとどまった。しかし、ここでも新馬戦と同様の競馬を再現すると、マチカネメニモミヨに4分の3馬身差をつけて2連勝を飾る。ここまで2戦2勝と、完璧な戦績である。

 競走馬として順調なスタートを切ったことに気をよくした池江師は、ノーリーズンの次走として、皐月賞トライアルの若葉S(OP)に挑戦することを決めた。デビュー後2戦しか走っていない3歳馬とも思えぬ落ち着いた競馬には、まだまだ奥があるはず。ノーリーズン陣営の人々は、皐月賞はもちろんのこと、その先にある日本ダービーも視野に入れて、希望に燃えていた。

『最初の挫折』

 皐月賞の3つのトライアルレースのひとつとして位置づけられる若葉S は、2000年以降阪神競馬場で行われるようになっていた。しかし、当時の3つの皐月賞トライアルレースの中では唯一重賞ではなくオープン特別とされていたゆえに、賞金は安く、皐月賞への優先出走権も2着までしか与えられない(弥生賞、スプリングSは3着まで)。従って、自己条件を2勝した実績しかないノーリーズンにとって、皐月賞に出走するためには、このレースで2着以内に入ることが至上命題であった。

 もっとも、弥生賞(Gll)やスプリングS(Gll)と比べた場合、先に述べた理由で若葉Sの出走メンバーは手薄になりがちである。この時の出走馬も、前年の3歳王者アドマイヤドンは明らかに格上としても、それ以外の出走馬で、重賞ないしオープン特別での実績があると言えるのは、ファストタテヤマ(01年のデイリー杯2杯S優勝)だけだった。

 この日のノーリーズンは、過去の2戦で手綱をとった武騎手が落馬による骨折で戦線を離脱したため、福永祐一騎手に乗り替わっていた。しかし、そのことを割り引いたとしても、ここで2着に入れないようでは、クラシック戦線は見えてこない。近走の内容からしても、彼がアドマイヤドンに次ぐ、デビューから3戦連続の単勝2番人気に支持されたのは当然のことととらえられていた。

 ところが、デビューから3戦目にして、ノーリーズンは思わぬ脆さをさらけ出してしまった。それまでの2戦と同じく前半から好位につけたノーリーズンだったが、第4コーナーを回ってからの直線では、いつもの伸びがない。道中マイペースの逃げでレースを作り、今直線でも逃げ切りを図ったシゲルゴッドハンドをとらえるどころか、むしろ置いていかれる。・・・そして、押し寄せる後続の馬群の中に、無残に呑みこまれていったノーリーズンは、この日、惜敗とすらいえない7着に終わった。

 レースの後、池江師は敗因を

「他馬と接触した第4コーナーで、馬が闘志を失ってしまった」

と語った。デビューからの2連勝で順調なスタートを切ったかに見えたノーリーズンだったが、弱い相手との戦いでは、馬群との激しいせめぎ合いを学び、克服することはできなかったのである。

 ノーリーズンの初めての敗戦は、3戦目にして訪れた。皐月賞への出走を目指していた彼にとって、その出走権に直接関わる若葉Sで敗れたことの意味は、非常に大きなものだった。本賞金800万円の2勝馬にすぎないノーリーズンは、優先出走権がなければ、皐月賞への出走自体が危うい。連勝で膨らんだ皐月賞への夢は、早くも風前の灯となった。

『定め得ぬ道』

 皐月賞戦線は、3つのトライアルレースの終了とともにその全貌を現す。この年・・・第62回皐月賞の有力馬たちは、なかなか多士済々の顔ぶれが揃っていた。

 弥生賞組からは、堂々たる逃げ切りで激戦を制したバランスオブゲーム、追い込み及ばず2着に敗れたものの、上がり3ハロンで33秒台の豪脚を繰り出し、4戦3勝2着1回、連対率100%という安定した戦績に人気が集まる内国産の雄ローマンエンパイア。若葉S組からは、予想外の3着に敗れたとはいえ前年の2歳王者であるアドマイヤドン、そのアドマイヤドンを破ったシゲルゴッドハンド。また、別路線組からは、オークス馬ダイナカールを母、大種牡馬サンデーサイレンスを父に持つ血統と、重賞勝ちこそないものの3戦3勝の戦績を誇るモノポライザー・・・。だが、そんな強豪たちの頂点に君臨する存在として衆目が一致していたのは、名門カントリー牧場が送り出すタニノギムレットだった。

 タニノギムレットは、デビュー戦こそ2着に敗れたものの、その後は後方一気の豪脚を武器に未勝利戦、シンザン記念(Glll)、アーリントンC(Glll)を連勝してスプリングS(Gll)へと進み、単勝130円の人気に応えて4連勝で皐月賞へと駒を進めたブライアンズタイム産駒の傑作である。ノーリーズンと同じ父を持つ彼こそは、「例年に比べてレベルが高い」と言われていた2002年クラシック世代の牡馬の中でも、頭ひとつ抜けた存在とされていた。

 しかし、重賞3勝の本賞金に加えてスプリングS優勝による優先出走権まで手にしている同父のタニノギムレットと違い、ノーリーズンは皐月賞への出走すら確定しない中途半端な存在だった。依然として出走への意思は衰えないものの、地位の不安定さゆえに、鞍上を託すべき騎手も確定しない。この日までに彼に騎乗したことがある騎手のうち、武騎手は依然として負傷療養中であり(もっとも、健在だったとしてもタニノギムレットに騎乗したであろうが)、福永祐一騎手も、師匠である北橋修二師の管理馬で中京2歳S(OP)優勝、毎日杯(Glll)3着の実績を持つゼンノカルナックへの騎乗が決まっていた。

 かといって、これから騎手を探そうとしても、有力騎手はとっくに皐月賞での騎乗馬を決めている。数少ない騎乗馬不在の騎手でも、皐月賞に出走する騎手の留守を狙って阪神での騎乗予定を決めていれば、どうしようもない。出走できるかどうかすら定かではない条件馬につきあってくれる騎手を、本番の直前になって探すのは、容易なことではない。

 結局、池江師がノーリーズンの騎手として抜擢したのは、英国に本拠地を置き、JRAの短期免許を取得して来日中のブレット・ドイル騎手だった。

1 2 3 4 5 6 7 8
TOPへ