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オフサイドトラップ列伝~1998年11月1日の悲劇~

『最初の試練』

 たんぱ賞のレース後、オフサイドトラップの右前脚は、大きく腫れあがっていた。・・・そのエビ状の腫れは、屈腱炎の特徴とされるものだった。

 屈腱炎とは、競走馬の上腕骨と肘節骨をつなぐ屈腱を構成する繊維が炎症を起こす故障である。いったん発症すると、短くても数か月の療養が必要になるだけでなく、いったん治癒しても非常に再発しやすい。しかも、発症前と比較すると、競走能力に重大な影響を残すことが多いため、競走馬にとっての「不治の病」と表現されることも多い。実際、多くの名馬たちが屈腱炎を発症し、そのことで引退に追い込まれている。

 実は、オフサイドトラップは、加藤厩舎へ入厩した段階で既に、全力で走った後には時々脚部に熱を持つという脚部不安を抱えていた。だが、母トウコウキャロル、ひいては母の父ホスピタリティまで遡る宿命的な脚部不安を前にして、「レースに備えて目いっぱい仕上げる」という競走馬にとっては当たり前のことにも躊躇する加藤師に対し、目いっぱいの仕上げでなくても勝ち進むという形で自分の実力を示すというのが、オフサイドトラップの流儀だった。

「もしかすると、とてつもない能力のサラブレッドなのかもしれない・・・」

 彼の器に惚れ込み、一生に一度のクラシックということで欲を出し、つい無理をさせてしまったのが悪かったのか・・・。

 加藤師自身、かつてアイネスフウジンで90年の日本ダービーを勝ったものの、レース後、この大目標を果たすためだけにすべてを燃やし尽くしたかのように屈腱炎を発症し、引退に追い込まれた経験があった。あの経験を、何故活かせなかったのか・・・?そんな加藤師の悔恨をよそに、オフサイドトラップは屈腱炎による「最初の」戦線離脱を余儀なくされた。

 幸い、この時のオフサイドトラップの症状は、比較的軽度なものと診断された。短期間の療養での復帰を目指す。それが、加藤師や渡邊氏らの結論だった。

 この時点でのオフサイドトラップは、まだ「これからの馬」である。…というより、「これ」といえるほどの実績は、まだ何も残せていない。大器の予感を現実に変えるため、運命に抗い、覚悟を試される日々が、これから始まるのであった。

『つかの間の復活』

 オフサイドトラップの復帰を目指し、彼を取り巻く人々の戦いが始まった。

 健康な馬と同じ成果をより短時間であげられるよう、調教を工夫する。運動の後には患部を厳しくチェックし、さらには脚にレーダーやマイクロ波をあてながら、こまめにバンテージを交換しつつ、安静を保つ。・・・言葉にすれば簡単だが、治癒する保証もない中で、オフサイドトラップを取り巻く人々の努力と工夫は続いた。

 オフサイドトラップ陣営が復帰を目指して試行錯誤している間に、彼が失った時の重さを物語るように、競馬界には大きな動きがあった。春のクラシックで、彼を含む同世代の優駿たちを完膚なきまでに叩き潰したナリタブライアンが、菊花賞(Gl)も圧勝して、史上5頭目の三冠馬となったのである。・・・オフサイドトラップがたどり着くことさえできなかった菊花賞は、偉大な同期のまぶしすぎる煌めきの舞台となっていた。

 しかし、やがて関係者らの努力に加え、オフサイドトラップ自身の人間の指示に対する従順さと賢さもあって、屈腱炎発症から半年も経たない年末に、彼はディセンバーS(OP)で復帰することになった。

 屈腱炎明けの復帰戦に加え、上の世代とも初対戦ということで、オフサイドトラップにとって、決して有利な条件とは言えないレースではあったが、ファンは彼のことを忘れていなかった。この条件で単勝390円の1番人気に支持されたというのは決して「当然」と言えるようなことではない。まして、そこで残した3着という結果は、屈腱炎が競走能力に及ぼす影響も考えれば、人気には及ばなかったとはいっても、決して恥ずかしいものではなかった。

 もっとも、続く金杯(Glll)でも単勝300円の1番人気に支持されたオフサイドトラップは、ここではいいところなく8着に敗れた。ちなみに、このレースの主役を務めたのは、オフサイドトラップと同世代ながら、クラシックには間に合わず、ようやく条件戦を勝ち上がってきたサクラローレルである。

 これで、オフサイドトラップの通算成績は10戦3勝となった。ただ、屈腱炎からの復帰2戦目での惨敗に加え、4戦目の重賞でいずれも入着できなかったという結果は、故障の悪影響、あるいは競走馬としての限界とみられかねない状況でもある。・・・その次走となるバレンタインS(OP)で、むしろ前走以上となる単勝230円の支持を集めてオフサイドトラップが1番人気となったのは、今思えばむしろ不可思議ですらある支持だった。

 そして、オフサイドトラップは今度こそ人気に応え、若葉S以来、約11ヶ月ぶりの勝利を挙げた。復帰から3戦連続で1番人気に支持され、負けるたびに単勝オッズが下がっていくという不思議な人気に、ようやく応える日が来たのである。

『再びの試練』

 こうして屈腱炎からの復帰を果たし、さらにオープン勝ちまで果たしたオフサイドトラップに対し、運命はあくまでも残酷だった。バレンタインSの後、オフサイドトラップの屈腱炎が再発したのである。

 …再発?否。前回腫れあがったのは右前脚だったが、今度腫れあがっていたのは、両前脚だった。古傷の再発に加えて、古傷をかばうことによって、左前脚まで同様の症状を発症したのである。これもまた、「不治の病」とされる屈腱炎の厄介な特徴のひとつであった。症状も、今回は最初の発症時より明らかに重い。オフサイドトラップの担当厩務員だった椎名晃氏は、

「冷やすとか、温めるとか、そんなことじゃ追っつかない。痛がってね。もうだめかな、とあきらめていた。乗馬でも何でもいい。可愛がってくれれば。本気で行き先を探していた…」

と当時を振り返っている。一瞬見えかけた希望が、またしても、しかも限りなく遠ざかっていく。

 屈腱炎の再発を受けて、加藤師らは、オフサイドトラップの今後について話し合った。もっとも、厩舎サイドの「引退やむなし」という雰囲気に対し、思わぬところから異議があがった。馬主の隆氏だった。

「馬主さんから、もう一度やってみてほしいと言われた。嬉しいよね。もし普通の馬主さんだったら、あの時に終わっていたでしょう」

 前記の椎名氏は、そう振り返る。屈腱炎からの再起の可能性を馬主としてのランニングコストと秤にかけた場合、その選択は、決して合理的ではないかもしれない。しかし、父子二代の馬主としてずっと見守り続けてきた血統から現れた期待馬への隆氏の思いは、そうした損得を凌駕していた。

 こうして、オフサイドトラップは現役を続行することになった。もっとも、オフサイドトラップがもう一度実戦で走れるようになる保証など、どこにもない。存在するかどうかすら分からない答えを求めて、彼らのさらなる闘いの日々は、厳しさを増しつつ継続されることになった。

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