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ミスターシービー本紀~三冠馬の栄光と挫折~

『それぞれの予感』

 京都新聞杯の結果を受けて、菊花賞への波乱の予感は強まったが、その主人公たるミスターシービー陣営への取材攻勢は、陰りを見せるどころか加熱する一方だった。
 
「三冠戦線に異変」
「ミスターシービーは大丈夫なのか」
 
 強ければ強いで話題となり、不安材料があればあったで注目を集める。それがミスターシービーだった。とはいえ、吉永騎手や松山師に対する競馬マスコミの取材攻勢は、他の騎手から
 
「もう少しそっとしてやってほしいよ。大変な責任を背負ってるんだから」
 
と同情されるほどに、執拗で苛烈なものでもあった。
 
 何はともあれ、この年の菊花賞の焦点は、「ミスターシービー、三冠なるか」の一点に集中した。何せ、ミスターシービー自身が大変な人気馬であるにもかかわらず、その競馬自体は絶対的な安定感とはほど遠い追い込みであり、また唯一の頼みだったはずの「絶対的な実力」が、直前の敗北であやしくなってきている。競馬マスコミは、少しでもこの訳の分からない「ミスターシービー」という馬について、他社が知らない情報を知りたがった。夏を越してもやはり、一番強いのはミスターシービーなのか、それとも春に敗れた馬たちが雪辱するのか、あるいは夏を境に急成長した馬たちが下克上を果たすのか。喧騒の中で時が流れ、京都新聞杯の3週間後、京都競馬場は菊花賞当日を迎えようとしていた。

 菊花賞本番での支持はミスターシービーに集まり、単勝オッズは210円となった。これは断然の1番人気といってよい。しかし、実際のミスターシービーに、数字が示すほどの安心感はなかった。カツラギエースにぶっち切られた京都新聞杯の大敗は、強烈にファンの印象に残っていた。それから3週間、果たしてミスターシービーは春の調子を取り戻すことができたのか。京都新聞杯の後ミスターシービーのために与えられた立て直しの時間は少なかった。血統的にも、父のトウショウボーイが3000m以上のレースでは限界を示しただけに、ミスターシービーへの不安は一定の説得力を持っていた。この時のファンの支持も、実際には三冠への期待値を相当に含んでいたのではないかと思われる。
 
 ただ、この時ミスターシービー陣営は、ファンとは逆にかなりの自信を持っていたようである。体調が戻り切らないまま出走した京都新聞杯を機に上昇し始めたミスターシービーの調子は、菊花賞までの間のハードトレーニングを経て春の状態、あるいはそれ以上のところまで持ってこれたという実感があった。あとは、馬が未知の3000mという距離にどれだけ対応してくれるか。こればかりは走ってみないと分からない。しかし、彼ら、特に吉永騎手には、この段階で既に「三冠」に向け相当の手応えがあった。吉永騎手は、菊花賞のレース直前の検量室で、親しい記者に

「レースが終わったら、ゆっくり話を聞きたいな」

と誘われた。しかし、それに対する吉永騎手の答えは

「でも、今日は無理じゃないかな」

だったという。

『時を待つ』

 吉永騎手は、やがてミスターシービーにまたがって淀のターフへと向かった。ミスターシービーの三冠、当事者たちの野望、そしてファンの夢を賭けた戦いが始まった。異常な雰囲気に包まれたままゲートが開いた菊花賞は、ウメノシンオーがやや出遅れた程度で、つつがなく始まった。ダービーでは出遅れてファンを一度は絶望に陥れたミスターシービーも、上手な・・・とはいかないものの、まずは許容範囲といえるスタートを切った。
 
 人気薄のアスコットエイトが大逃げを打ったことで、場内はどっと沸いた。やがて京都新聞杯でミスターシービーを破ったカツラギエース、リードホーユーらがこれについて行って先行集団を形成していった。
 
 京都新聞杯で見事にミスターシービーを封じ込めたカツラギエースは、この日2番人気に支持されているが、この馬の距離適性は2000m前後の中距離にある、という見方も根強かった。菊花賞は距離適性外であるとして回避も検討されたというが、結局は前哨戦でミスターシービーを破った者の責任として、サラブレッドの究極形に挑むミスターシービーの三冠の野望を阻止するため、不利を承知で出走してきていた。この時点でのファンは知る由もないが、この馬は翌年の秋、ミスターシービーと互角以上の戦いを繰り広げるライバルの1頭となっていく。
 
 しかし、カツラギエースにとって不運だったのは、アスコットエイトが引っ張るラップが1000m59秒4という、とても3000mのレースとは思えないハイペースになったことだった。逃げ馬にとって厳しい流れとは、それについて行った先行馬たちにとっての厳しい流れでもある。
 
 それに対してミスターシービーはというと、無難なスタートを切った後は、やはり抑えて最後方待機策をとっていた。前がペースを吊り上げて潰れる展開になれば、ミスターシービーはむしろ有利になる。まずは三冠に向かってよい流れをつかんだミスターシービーにとって、最大の問題点は「どこで仕掛けるのか」ということだった。

『悲鳴、絶叫、絶望』

 菊花賞の舞台となる京都競馬場は、日本の競馬場の中ではかなり特異な構造を持ったコースである。向こう正面に長い長い上り坂があり、第3コーナーから第4コーナーにかけては、これまた長い下り坂がある。中山競馬場や東京競馬場にも坂はあるが、それはゴール前に人為的に作られた急坂である。それに対し、京都競馬場の坂は、坂そのものの場所が向こう正面にあるだけでなく、その長さも比べ物にならない。完全にコースと一体化したこの坂は、どちらかというと自然の地形を生かす欧州の競馬場に近いものを感じさせる。
 
 ところで、この京都の坂については、古くから伝えられる格言がある。
 
「ゆっくり上って、ゆっくり下れ」
 
 京都の坂は長い上、それを越えた後には直線での攻防も待っている。上り坂でスピードを上げた馬はとても最後まで脚が持たないし、下り坂でスピードを上げると、直線入り口で大きく外に振られてしまい、距離や直線での位置取りで他馬に付け入る隙を与えてしまう。だからこそ、古くからこの坂は「ゆっくり上って、ゆっくり下らなければいけない」と言われてきた。
 
 ミスターシービーにとっての問題点は、京都競馬場の特殊な構造に照らし、吉永騎手が果たしていつ仕掛けるのかだった。これまでのミスターシービーの勝ちパターンは、最後方から向こう正面途中でまくり気味に進出し、第4コーナー付近で先頭をうかがう位置まで押し上げ、後は直線で先頭に立ってそのまま突き放す、というものである。しかし、これをそのまま京都競馬場に当てはめると、上り坂途中からスパートを開始し、そのまま息を入れずにゴールまで走り続けることになる。
 
 いくらミスターシービーでも、それではきついだろう。そうすると、直線で振られる不利はあっても第3コーナー過ぎの下り坂で仕掛けるのか、それとも自慢の末脚を信じ、直線だけにすべての勝負を賭けるのか。勝つにしろ、敗れるにしろレースの中心となるミスターシービーの動きに、皆の注目が集まった。
 
 だが、ミスターシービーの動きは、誰もがまったく予想していないものだった。京都競馬場は、3週間前を上回る、悲鳴にも似た絶叫に包まれた。

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