ミスターシービー本紀~三冠馬の栄光と挫折~
『死闘』
追い込むミスターシービーが目指す先には、逃げる宝塚記念馬カツラギエースと、先頭に迫る南関東三冠馬サンオーイ、トウショウペガサスの姿があった。サンオーイとトウショウペガサスの追撃は激しいものだったが、この時逃げ馬として完全に開眼しつつあったカツラギエースは、長い直線と過酷な坂にあっても凄まじい粘り腰を見せ、必死の追撃にもつけいる隙を与えようとしない。
かつてクラシック戦線で、トライアルこそ強い競馬をするものの本番では崩れていたカツラギエースならば、とうの昔に馬群に飲み込まれていただろう。しかし、ミスターシービーが戦線を離脱していた春に産経大阪杯(Gll)、京阪杯(Glll)、そして宝塚記念(Gl)といういずれも伝統ある中距離重賞を3勝し、春の中距離戦線をリードしてきたカツラギエースは、もはやかつての彼ではない。得意なはずの中距離で、サンオーイやトウショウペガサスを相手に苦しんでいる余裕はなかった。負けるわけにはいかない。こんなところで飲み込まれるくらいなら、必ずやってくる「あの馬」とはまともに戦えるはずがない。
カツラギエースに騎乗する西浦勝一騎手は、自分たちが恐れた「あの馬」が後ろに迫る気配を、確かに背中に感じていた。外から迫る、ターフに響く蹄音と、何よりスタンドから湧き上がるようなこの大声援。こんな「空気」を作り出せる馬は、日本競馬広しといえども、1頭しかいない。彼らがひそかにライバルと見定めた「あの馬」以外にありえない。
彼らが感じていたとおり、「あの馬」ことミスターシービーは、激流のようにサンオーイ、トウショウペガサスを捉え、カツラギエースに肉薄しつつあった。ミスターシービーはこの日がほぼ1年ぶりの実戦であり、直前の追い切りでも気合不足が指摘されていた。しかし、風をまいて先行馬たちを追い詰めるその姿を見れば、そんな不安はどこかに消し飛んだ。この日のミスターシービーは、最後方からのロングスパートはもちろん、その後に繰り出した末脚、瞬発力も、間違いなく彼そのものだった。やはり、ミスターシービーは死んではいなかった。ゴールが迫るとともにミスターシービーとカツラギエースとの差は縮まり、そして一度はミスターシービーがカツラギエースを捉えたかに見えた。
しかし、本当の死闘はこれからだった。ミスターシービーに一度完全に並ばれたカツラギエースは、そこから死力を尽くしてもう一度伸び、ミスターシービーが前に出ることを許さなかったのである。それだけではない。カツラギエースはここからさらに三の脚を繰り出し、逆に自分がもう一度前に出てみせた。
カツラギエースにとって、1年前には確かにミスターシービーとは、はるか上方に仰ぎ見る存在でしかなかった。しかし、この時は1年前とは状況が違う。ミスターシービーが休んでいる間、カツラギエースは世代の大将格として、多くの強敵たちとしのぎを削り、そして実績を残してきた。カツラギエースは、その自信と誇りにかけて、たとえ相手がミスターシービーであっても・・・否、ミスターシービーだからこそ、絶対に負けるわけにはいかなかった。
『敗れてなお』
こうして毎日王冠の直線は、追い込むミスターシービーと差し返すカツラギエース、2頭の意地と矜持とがぶつかり合い、見る者の誰もが手に汗を握る死闘となった。そして、もう一度差し返してアタマ差前に出たカツラギエースに対し、ミスターシービーはついにその差をもう一度逆転することができないまま、この戦いは決着をみた。凄まじい気迫で粘るカツラギエースの前に、久々のミスターシービーはわずかに及ばなかったのである。
結局、三冠馬ミスターシービーは、復帰戦、そして古馬としての最初のレースを勝利で飾ることができなかった。しかし、この日のレースを見た人々の間に、不思議と失望感はなかった。4歳時とは比べ物にならないほどに成長したカツラギエースの殊勲も称えるべきではあったが、まず何よりも、ミスターシービーがこの日見せたレースか彼らの期待を裏切らないものだった。出遅れてからの最後方強襲と、直線で見せた末脚は、間違いなく彼らの三冠馬のものだった。
「一度使った上積みで、本番ではきっとさらに強いミスターシービーが見られるに違いない・・・」
それは、3週間後に天皇賞・秋(Gl)を控えた彼らの共通認識だった。
「ミスターシービー、復活!」
翌朝のスポーツ紙には、こんな見出しが躍った。
しかし、そんなミスターシービーに一人舞台を許すほど、他の馬たちもお人好しではない。打倒ミスターシービー、そして盾の栄冠を目指すライバルたちも、着々と本番への準備を進めていた。
『ライバルたち』
ミスターシービーのライバルの一番手は、なんといっても毎日王冠でミスターシービーを破ったカツラギエースである。ミスターシービーももともと「中距離が得意なのではないか」と言われながら、ダービー、菊花賞も勝つことで長距離への適性を示している。しかし、カツラギエースはクラシック戦線から、一貫して中距離で良績を残している…というよりは、中距離でしか良績を残していない。そんな生粋の中距離馬であるカツラギエースにとって、この年から天皇賞・秋が3200mから2000mに短縮されたことは、まさに時代の恵みだった。
伝統の長距離レースの基本条件を変更したこの改革は、口の悪いファンからは
「天皇賞・秋はシービーを勝たせるために短縮されたんだ。スターホースがほしい競馬会の陰謀だ」
と言われていた。しかし、カツラギエース陣営に言わせれば、
「これはミスターシービーのための改革じゃない、うちの馬のための改革だ」
とのことである。陣営がそう豪語するほどに、より実力を発揮しやすくなった古馬最高の舞台で、今度こそは自らの実力を示すことを誓っていた。ミスターシービーが相手ならば、相手にとって不足なし。
ほかにも、毎日王冠では2強に遅れをとって3着に終わったものの、本番では巻き返しを狙うサンオーイ、天皇賞・春を制したモンテファスト、屈腱炎を克服して戦う重戦車ホリスキー・・・そうした役者たちが顔を揃え、「中距離王は誰なのか」という問いを、より興味深いものとしていた。ミスターシービーを中心として繰り広げられる中距離王決定戦、そして新時代の争覇戦は、いよいよ幕を上げようとしていた。