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ミスターシービー本紀~三冠馬の栄光と挫折~

『常勝と不敗と』

 ミスターシービー対シンボリルドルフという2頭の三冠馬の対決の舞台は、同時に日本馬が世界に戦いを挑む唯一のレースで、しかもこの年来日した10頭の外国馬は、かなりの実力馬が揃ったという評判だった。米国代表のマジェスティーズプリンスは、米国のGlを4勝したのをはじめとして北米で活躍しており、前走のブリーダーズCターフでは、1番人気に支持された(6着)。英国のベッドタイムは、Gl勝ちこそなかったものの、それは当時の英国の主要Glがセン馬を完全に締め出していたためにすぎず、現地の「裏街道」にあたるレースを勝ち続けるその内容から、現役屈指の実力馬との評判が高かった。また、フランスのエスプリデュノールは、前年にも来日して3着に入っており、この年もイタリアの伝統のミラノ大賞典(伊Gl)を制して健在を示していた。

 しかし、このような相手に対しても、2頭の三冠馬を擁した日本競馬関係者の鼻息は荒かった。

「今年勝てなければ、いつ勝てるというんだ?」

 そんな強い思いは、彼らに日本馬によるはじめてのジャパンC制覇への夢を強く感じさせていた。そんな彼らに、それまで多くの日本の名馬たちで外国馬の壁に挑んでは敗れて続け、

 「日本競馬は100年経っても欧米には追いつけない…」

とため息をついた弱気はどこにもなかった。2頭のタイプが違う三冠馬、常勝の王者ミスターシービーと、不敗の皇帝シンボリルドルフ。彼らが夢想するのは、直線で好位から抜け出して外国馬を突き放していくシンボリルドルフと、そのシンボリルドルフがゴールする直前、馬群を割って突き抜けてくるミスターシービーの姿だった。その2頭のゴールでの位置は…彼らそれぞれの心の中にしかなかった。

 こうしてジャパンC当日、東京競馬場は熱気にあふれた大観衆に埋め尽くされた。この時の熱気は、前年までのおっかなびっくりのような雰囲気と大きく異なっていたため、再来日したエスプリデュノールの関係者が、雰囲気の違いに驚いたほどだった。

『王道の果てに』

 1984年11月25日。日本競馬の歴史に特別な一日として刻まれるべきこの日、ミスターシービーは、府中のターフに、天皇賞・秋以来1ヶ月ぶりにその姿を現した。すると、スタンドを埋め尽くした大観衆たちも、彼らの英雄に対し、凄まじい歓呼の声を浴びせた。世界の強豪を府中に迎えうったこの日、日本のファンはまだ見ぬ海外の強豪ではなく、彼ら自身の英雄であるミスターシービーを単勝330円の1番人気に支持したのである。ジャパンCの歴史の中で、日本馬が1番人気となるのは、4回目のこの時が初めてのことだった。

 もう1頭の三冠馬シンボリルドルフは、菊花賞から中1週となる厳しいローテーション、そして直前の調教での動きの悪さが嫌われて、単勝650円の4番人気にとどまった。その他の上位人気馬をみると、ベッドタイムが550円、マジェスティーズプリンスが570円、エスプリデュノールが680円、といったあたりでことごとくを外国馬が占めており、レースの争点は、ひとえに「2頭の三冠馬対外国馬」という構図になっていた。

 だが、ミスターシービーに騎乗して府中へと帰ってきた吉永騎手は、この日ミスターシービーの状態に言い知れぬ不安を抱いていた。彼は、ミスターシービーにまたがった時に、いつもなら馬体の底から湧き上がってくるような闘志、力強さが、なぜかこの日に限っては伝わってこないことに気が付いたのである。

 レース前の調整は順調であり、動きもいつも通り、まったく問題がないはずだった。それなのに、何かが違う。彼にはその正体が何なのか、まったく掴むことができなかった。そこにあるのは、ただいつもとは違う違和感と不安だけだった。

 それでも吉永騎手は、わきあがる不安を頭から振り払い、戦いの舞台へと向かわなければならなかった。クラシック三冠で同世代を完全に制圧し、天皇賞・秋では異世代も含めた戦いで頂点に立ったミスターシービーは、日本競馬のまがうことなき王者である。そんな彼にとって、この日のジャパンCとは、日本を超えた世界との最初の戦いであるとともに、これまで歩いてきた王道の果てとなるはずだった。日本の王者としてここに立つ以上、もはや国を背負って戦うよりほかに道はない。それが、前年に三冠を制しながら、ジャパンCを回避した者の務めでもある。いまさら弱気になってどうするのか。自分たちの後ろには、あの大観衆がいる。どうせ退くことなどできはしないのだ…。

『闘志は還らず』

 やがて、ゲートへと導かれた14頭の戦士たちは、ファンファーレの後にやってきた戦いの流れに身を任せることになった。

 ミスターシービーは、この時もゲートが開くと同時に開放された戦いの流れにやや乗り遅れ、後方からのスタートとなった。レースはわずか4頭の日本馬の1頭でありながら、ミスターシービーとシンボリルドルフの陰に隠れるような形になってまったく注目を集めていなかったカツラギエースが、先手を取る形になった。カツラギエースといえば、毎日王冠でミスターシービーを封じ込めて優勝したものの、天皇賞・秋では5着に敗れている。もともとこの馬は、良績が1800mから2200mまでの中距離レースに集中し、この日の2400mという距離が不安視されていたこともあって、10番人気とまったくの人気薄になっていた。

 カツラギエースの単騎逃げとなり、レースは淡々と流れていった。だが、各々の騎手たちは、それぞれが最大の敵と見定めた相手を牽制し合い、なかなか動きがとれない状態になった。日本馬は外国馬をマークし、外国馬は日本の2頭の三冠馬をマークする。そんな彼らの視界の中から、ある1頭の姿は消えていた。ある1頭…それは、スタート直後から自分のペースで競馬をし、ペースをスローに落として自身にとって最適な環境を作り出した上、他の馬が誰も鈴を付けにいかない逃げ馬、カツラギエースだった。

 レースが佳境を迎える第3コーナーになると、さすがに他の騎手たちは異常事態に気が付いた。だが、後ろの三冠馬は何をしているのか。一番後ろの1番人気が動かなければ、自分たちも動けない。彼らの苛立ちは、一斉に最後方へと向けられた。

 その苛立ちの対象とされた騎手は、このとき他人の視線を気にするどころではなかった。彼は、ミスターシービーの変調をはっきりと感じ取った。レース前に感じた闘志のなさは、気のせいではなかった…!

 吉永騎手は、天皇賞・秋のときも第3コーナーで手応えがあまり良くなかった、と述懐している。ただ、その時は吉永騎手の騎乗もあって、いったん仕掛けるとミスターシービーは一気に上がっていき、最後には優勝することができた。しかし、この日のそれは― 天皇賞・秋と同質の手応えのなさであるとともに、その程度は天皇賞・秋の時よりもはるかにひどいものだった。

 吉永騎手は、焦りとともにその手を激しく動かした。それでもミスターシービーの反応は悪い。いつもならば彼らのための場所となるはずだった第3コーナーは、この日、彼らにとっての絶望の地となった。

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