ミスターシービー本紀~三冠馬の栄光と挫折~
『末脚不発』
この日も最後方からレースを進めたミスターシービーだったが、ダービーで、そして天皇賞・秋で一気に動き、スタンドを興奮と熱狂の渦へと巻き込んでいった第3コーナーを過ぎても、ミスターシービーは動かなかった。いや、動けなかった。
吉永騎手は、懸命に手を動かして、ミスターシービーの闘志に火をつけようと努力した。しかし、この日のミスターシービーは、吉永騎手の指示にもまったく反応しない。1ヶ月前に府中を燃え上がらせた彼の闘志は、眠ったままだった。
カツラギエースの大逃げに対し、有力馬たちが完全に仕掛けどころを見誤ったことで、府中のスタンドは騒然となった。遅ればせながら上がってきたベッドタイム、ウイン、マジェスティーズプリンス、そしてシンボリルドルフといった有力どころが差を詰めようとするものの、道中をずっとマイペースでレースを作ってきたカツラギエースは、彼らの予想を超えた粘り強さを見せ、有力馬たちの追撃をなかなか許さなかった。
そして、カツラギエースに迫ろうとする馬たちの中に、ミスターシービーの姿はなかった。ゴールを前に、雷のごとく追い込んでくる影も見当たらない。それもそのはず、先頭でカツラギエースが逃げ切ろうとしているその時、ミスターシービーはそこから10馬身も離された後方でもがいていた。
カツラギエースが逃げ切ったその時、府中のスタンドは、不気味な沈黙と静寂に包まれた。日本馬の勝利という宿願を果たしたはずの日本競馬だったが、その宿願を果たしたのは、彼らが予想もしない馬だった。勝ったのは、2頭の三冠馬のいずれでもなく、宝塚記念を勝ってこそいるものの、大レースではミスターシービーに負け続けた馬。その驚きが、この日の沈黙と静寂に現れていた。
また、彼らの衝撃は、カツラギエースの優勝という事実だけに向けられていたわけではなかった。カツラギエースに名をなさしめた一方で、彼らの英雄だったはずのミスターシービーは何をしていたのか。最後方のまま、見せ場すら作ることなく終わったこの日の10着という結果は、デビュー以来最悪の着順だった。もう1頭の三冠馬が、中1週という過酷なローテーションの不利も感じさせず、カツラギエースとベッドタイムを最後まで追いつめて、負けてなお強いところを見せたのに対し、ミスターシービーの惨めさはいったいなんだというのか。それまでミスターシービーの強さに幾度も魂を奪われてきたファンは、ミスターシービーの強さを信じていたがゆえに、あまりの現実にしばし声を失った。
『交差する焦燥』
うめきにも似た、罵声・・・というにはあまりにも力ない非難の声を背中に浴びた吉永騎手は、肩を落として競馬場を後にするしかなかった。ミスターシービーも、この日ばかりは小さく見えた。そんな1人と1頭の姿を見た松山師は、かつて自分が危惧した可能性が、ついに現実のものとなったことを悟った。真の一流馬を相手に戦った時にはさらけ出されるであろう、ミスターシービーの欠陥・・・。この日はっきりと浮き彫りになった現実は、菊花賞の後に彼が感じたものと、まったく同質のものだった。
「後半だけのまくりや直線一気のレースでは、終盤になっても末脚が衰えない本当の一流馬を相手にした時には届かない」
その現実は、松山師にある決意を迫るものだった。
また、吉永騎手にも、この日気がついたことがあった。それまでのレースでは、第3コーナーあたりになると、弱い馬が早々と力尽きて脱落し始めた。ミスターシービーは、先行集団から脱落してくる馬を見て、自分自身の闘志に火をつけていたのである。そして吉永騎手もまた、無意識のうちにミスターシービーのそんな特徴を利用した競馬をしていた。
しかし、この日は第3コーナーになっても、目立つほどに脱落してくる馬はいなかった。この日の出走馬のうち日本馬はわずかに4頭で、後は本場の競馬で鍛えられた強い外国馬たちだった。第3コーナーあたりで脱落するような馬など、いようはずがいなかった。吉永騎手は大逃げを打ったカツラギエース、そして仕掛けが遅れたとはいえ、いったん仕掛けると弾かれたように反応して上がっていったシンボリルドルフや外国馬たちをはるか前方に見たまま、どうすることもできなかったのである。
彼らに共通していたのは、
「このままの競馬をしていたのでは、あの馬には勝てない・・・」
という焦りにも似た思いだった。
『捨てえぬ心』
だが、「勝てない」で終わることは、四冠馬の誇りがそれを許さなかった。敗北によって傷ついた誇りを贖うことができるのは、ただ勝利のみだった。ジャパンCのレースに懸命に敗因を求めたミスターシービー関係者たちの心理の中には、
「力負けではないはずだ」
という思いがあった。だからこそ、
「このままで終われるものか」
という反骨心が、彼らを再戦へと駆り立てた。
ミスターシービー陣営からは、ジャパンCの後間もなく、有馬記念(Gl)への参戦が表明された。宝塚記念に続いてジャパンCという勲章も手に入れたカツラギエースは有馬記念を最後に引退することが発表され、さらにジャパンC後は休養に入る予定だったシンボリルドルフも、カツラギエースへの雪辱を果たすべくやはり有馬記念への出走を表明していた。カツラギエースが引退する以上、この3頭が揃い踏みをするのは有馬記念が最後となる。ジャパンCではミスターシービーとシンボリルドルフにしか注目が集まっていなかったため、有馬記念は3頭による最初で最後の「三強決戦」となった。そして、そのことは、
「カツラギエースに、そしてシンボリルドルフに借りを返したい」
そう語ったミスターシービー陣営の人々にとって、有馬記念とは敗北が許されない背水の陣であることをも意味していた。それまでの調教では調教助手が乗ることが多かったミスターシービーだったが、有馬記念を控えての追い切りでは、吉永騎手が騎乗した。それは、ミスターシービー陣営による立て直しへの強い意志を物語るものだった。
レースを前にして、松山師は吉永騎手に対してある指示が出されていた。
「今度は馬ごみの中に入って戦ってみようよ」
それまでは、三冠レースや天皇賞・秋も含めて、具体的な作戦については何ひとつ口にせず、吉永騎手に任せてきた松山師だった。そんな彼が口にしたこの作戦は、ふたつの意味を持っていた。ひとつは、馬ごみの中に入れることで、展開に関係なく、馬の闘志を引き出せるようにしたいという思い。そしてもうひとつは、これまでのように最後方からの直線一気に賭けるだけでは、絶対に届かない相手がいるという事実。
吉永騎手も、その指示の言わんとするところは理解した。だが、吉永騎手には迷いがあった。果たして追い込みを捨てることで、ミスターシービーがよりよい結果を出すことができるのか。前の方で安定したレースができるくらいなら、もっと早くからやっていた。もともと追い込みの作戦は、スタートでどうしても出遅れてしまうミスターシービーの持ち味を生かすために、彼自身が教えこんできたものだった。
ただ、吉永騎手は、松山師を説得できるだけの説得力を持った対案までは持っていなかった。彼自身も、5歳秋以降のミスターシービーに、デビュー以来戦いを共にしていたものだけが感じる不安を感じ取っていた。天皇賞・秋の第3コーナーではっきりと感じた覇気のなさは、ジャパンCではっきりと結果として現れた。そして、有馬記念で戦うのは、歴史的名馬の域をを超え、日本競馬史上最強馬という風格すら漂わせ始めたシンボリルドルフと、古馬、特に秋になってからは、それ以前とは比べ物にならないほどに充実した晩成の大器カツラギエースである。吉永騎手自身にしても、ミスターシービーがこれまでとまったく同じ戦法で彼らに勝てると思うほど甘くはなかった。
作戦を変えなければならないことは分かっている。しかし、本当にそれでいいのか・・・?もしミスターシービーが歴史的名馬でなければ、そのような迷いとは無縁に脚質転換を図ることができただろう。しかし、吉永騎手はミスターシービーが四冠馬であるがゆえに、そして彼自身が追い込みで四冠を制してきたがゆえに、迷わずにはいられなかった。主戦騎手の迷いは、繊細な馬にも影響を与えずにはおかない。人の迷いは馬の迷いとなり、ミスターシービーは四冠馬であるがゆえの迷い道へと落ち込みつつあった。