ミスターシービー本紀~三冠馬の栄光と挫折~
『賭け』
有馬記念当日、ファンはジャパンCを沸かせたカツラギエース、シンボリルドルフ、そして巻き返しを図るミスターシービーの3頭に対し、次のようなオッズをつけた。・・・シンボリルドルフ、170円。ミスターシービー、300円。カツラギエース、700円。4番人気以下の馬は大きく離れ、オッズ上の勝敗ラインは、この3頭に絞られていた。ジャパンCの大敗があっても、ファンはまだミスターシービーのことを見捨ててはいなかった。
そんな彼らは、スタートしてしばらくすると、ミスターシービーの戦法に目を見張ることになった。この日ミスターシービーは、いつものように最後方から競馬を進めるのではなく、後方ではあったが、自ら馬群の中に突っ込んでいったのである。それは、松山師の指示を吉永騎手が受け入れたとともに、それまで後方一気の大まくりで結果を出してきたミスターシービーが、あえて自分自身の競馬を変えたことを意味していた。
前の方では逃げをうったカツラギエースに対し、今度こそは思いどおりに逃げさせはしないとばかりにシンボリルドルフがぴたりとついていっていた。このような展開になった以上、前の2頭が揃って潰れることなどは、もとより期待できない。ならば、吉永騎手の選択は、決して間違ったものではないはずだった。
しかし、普通の馬ならば「安全策」といわれるであろうこの作戦だったが、それまで結果を出してきた競馬を捨てた形になるミスターシービーにとっては、やはり大きな賭けだった。そして、この賭けは彼にとって残酷な形で結果が出ることになる。
カツラギエースの西浦勝一騎手とシンボリルドルフの岡部幸雄騎手との駆け引きが続く中で、ミスターシービーはいつもよりはやや早めに、しかし確実に前方へ進出していった。ところが、前方の次元の違う2頭の戦いにミスターシービーがいよいよ加わっていこうかというその時、悲劇は起こった。
『鬼哭愁々』
東京競馬場でのレースは、たいてい第4コーナー手前のあたりで佳境を迎える。この日もシンボリルドルフがカツラギエースをとらえに動き、そしてミスターシービーが一気に上がっていったことで、戦いは白熱していった。だが、ミスターシービーが勢いをつけていった第4コーナー付近で、そのミスターシービーの前方が、他の馬によってふさがれてしまったのである。
追い込み馬にとって、最終コーナーで前が壁になるという危険は、常に背中合わせのものである。また、ミスターシービー自身も、これまでに何度かそんな危機に直面してきていた。だが、それまでの危機では、ミスターシービーと相手との実力差が大きかったため、地力だけでねじ伏せることができた。この日、それまでと違っていたのは、ミスターシービーが倒すべき相手が、それまでとは違っていたということである。また、この日は少頭数だったことから、少なくとも前が壁になる危険性については、吉永騎手が過小評価していたということも否定できない。いや、そこまで考える余裕すらなかったというべきか。あるいは、追い込みを捨てることへの吉永騎手の迷いが、勝負どころでの彼の対応にも微妙な影響を与えたのかもしれない。
進路を閉ざされてしまった吉永騎手は、あわてて手綱をさばくと、なんとかミスターシービーの進路をもう一度確保し、ゴーサインを出した。しかし、第4コーナーで一度勢いを完全に殺されてしまったロスは、絶対皇帝シンボリルドルフ、そして完全に本格化したカツラギエースという2頭の真の一流馬と戦う上では、あまりにも重過ぎるハンデだった。シンボリルドルフが完全にカツラギエースをとらえて先頭に立とうとするころ、懸命に追い込むミスターシービーの姿は、まだはるか後ろにあった。シンボリルドルフは絶対的な安定感とともにカツラギエースを抜き去っていったが、ミスターシービーは、シンボリルドルフはおろかカツラギエースとの差を縮めることもままならなかった。
『落日悲歌』
結局ミスターシービーは、シンボリルドルフはもちろんのこと、カツラギエースにも1馬身半及ばないまま、3番手でゴール板を迎えた。三強が揃う最後の戦いとなるはずだったこの日に、ミスターシービーが前方に宿敵2頭を仰ぎ見ながらゴールしたという事実は、かつて四冠の栄光をほしいままにした名馬の時代が完全に終焉を迎えたことを物語っていた。シンボリルドルフ、カツラギエースへの雪辱を果たしたい・・・そう願ってミスターシービーを送り出し、ともに戦った人々にとっても、その敗北はあまりにも残酷なものだった。
レースの後、吉永騎手はこう漏らしたという。
「どう乗っていいのか分からなかった・・・」
逃げ一手の脚質ではあったが、それゆえに迷いなく自分の競馬を貫いたカツラギエース、そして好位につけることで、展開に応じてどんな競馬でもすることができたシンボリルドルフ。そんな2頭のライバルに比べると、ミスターシービーはあまりにも不器用であり、この日は作戦の徹底も欠いていた。「なるべく馬ごみの中で競馬をすること」。それがこの日のミスターシービーの作戦ではあったが、それを実行すべき吉永騎手は、それがミスターシービーにとっての最善の競馬であると確信することが出来なかった。そんな迷いが、第4コーナーでの馬の壁以上にミスターシービーの前に立ちはだかる心の壁になってしまったというのは、あまりにもうがちすぎだろうか。
しかし、何を言ったところで、ミスターシービーが敗れたという事実に変わりはない。ミスターシービーは、ジャパンCだけならばまだしも、有馬記念でもシンボリルドルフ、カツラギエースに完封されたのである。
「三強」が激突した有馬記念を、今度こそ横綱競馬で制した形のシンボリルドルフは、三冠、有馬記念の「四冠馬」として形の上ではミスターシービーと肩を並べた。しかし、この2頭の関係を「肩を並べた」と評するものは、もはやほとんどいなかった。
宝塚記念制覇に加え、日本馬として初めてジャパンCを制したカツラギエースは、完全に名馬の仲間入りを果たした。そして、そのカツラギエースに正面から戦いを挑み、圧勝したのは絶対皇帝シンボリルドルフである。確かにジャパンCでは先着を許したものの、それは展開がこの上なくカツラギエースに向いていたからであり、シンボリルドルフはそれでも多くの不安材料を克服し、3着まで持ってきている。・・・では、これらの戦いの時、ミスターシービーは何をしていたのだ?
直接対決の結果に加え、カツラギエースというリトマス試験紙を間に挟んだことで、2頭の四冠馬の力関係は残酷なまでにはっきりと浮き彫りにされつつあった。1頭の四冠馬が翌年の最強伝説へと大きな期待をもたせたのに対し、もう1頭の四冠馬の年末は、屈辱とともに過ぎていった。