ミスターシービー本紀~三冠馬の栄光と挫折~
『ただの挑戦者として』
当初の予定どおり、産経大阪杯の後は天皇賞・春に進んだミスターシービーだったが、冷静なファンにとって、2頭の三冠馬はもはや「二強」ではなかった。シンボリルドルフ130円、ミスターシービー370円。それが天皇賞・春における2頭の単勝オッズである。絶対皇帝シンボリルドルフは、もはやミスターシービーに対しても「絶対」となった一方で、ミスターシービーはシンボリルドルフに対する「挑戦者の1頭」まで評価を下げていた。だが、ミスターシービー陣営の人々の覚悟は、既に過去の栄光すら捨て去ったところにあった。
「ほかには何にもいらない、ルドルフを倒す!」
かつて数々の栄光を一身に集め、「ミスター・サラブレッド」と称された名馬は、この日すべてを捨てて、ただ1頭と戦うことだけを望んでいた。
この日、京都競馬場に姿を現したミスターシービーへの声援の大きさは、圧倒的1番人気のシンボリルドルフをはるかに上回っていた。シンボリルドルフが圧倒的1番人気であるということは、ミスターシービーが勝つよりも、シンボリルドルフが勝った方がもうかる人がはるかに多い、ということである。だが、シンボリルドルフは、その安定した戦績と戦法、そして絶対的な強さゆえに、ファンの畏敬を集めてはいたものの、熱狂的ファンは多くなかった。その点、ミスターシービーのファンはこの時点でもシンボリルドルフのファンよりはるかに多く、かつ熱狂的だった。馬券的な人気はともかく、サラブレッドとしての人気では、ミスターシービーは競走生活の最後の瞬間まで、シンボリルドルフを常に、大きく圧倒し続けた。
大衆は、なぜミスターシービーが「堕ちた三冠馬」になってからも熱く支持し続けたのだろうか。100人のファンがいれば100人それぞれの思いがあったことだろう。しかし、これほど多くのファンが熱い想いを共有するためには、それを裏付ける時代の何かがあったと考えるのが自然である。
『想いに支えられて』
おそらく、後方一気の追い込みという不安定なことこの上ない作戦を得意とし、それゆえにファンの心に他のどの馬よりも強烈な残像を焼きつけ続けてきたミスターシービーは、グレード制導入以前の古い時代の競馬が持っていた日本競馬のアウトロー性、すなわち世間の常識に縛られ、とらわれることを潔しとしない層に支えられたロマンを象徴する存在だった。当時の日本社会は、戦後の復興期、高度経済成長期を経て世界の経済大国となっていく過程の中において、多くの「古き時代の名残」を捨て去り、無駄のない合理主義による支配のもとで成長していった。そこで捨て去られてきたものとは、まさにミスターシービーに代表されていた、合理主義とは相容れないもの、すなわち形式にとらわれない自由さであり、合理主義では割り切れないロマンであり、またそれらと根を同じくする何かだった。
そうした変化について行けなかった人々は、敗北者として、容赦なく切り捨てられていった。すべては「時代の流れ」という一言によって片付けられる強者の論理の中で、人々は、生きるために自分を変えていくか、あるいは敗残者の地位に甘んじるか、という選択を迫られた。そんな彼らにとって、時代と相容れず、虐げられた人々の姿は、現在に生きるよりもはるかに身近なものだったに違いない。
そんな彼らにとって、競馬の常識に挑んでは打ち破り続けたミスターシービーとは、まさに彼らが望んでは果たしえぬ夢を、彼らに代わって果たしてくれる存在だった。大多数の一般大衆にとって、時代の流れ、そして世の常識に反逆しながら自由に生きることは、すなわち破滅に通じる。だが、ミスターシービーは違った。常識に挑み、常識を打ち破って新たな栄冠をつかみ続けた彼とは、まさに彼らの夢の代弁者であり、彼ら自身の英雄だった。
ミスターシービーが勝ち続けた時代に、彼を熱狂的に支持していた大衆がそのことを明確に意識していたかどうかは疑わしい。その当時、彼らにとってミスターシービーとは、自分たちが果たせないものを果たしてくれるとはいえ、別次元の存在にすぎなかった。これでは、大衆はミスターシービーに憧れはしても、共感はできない。挫折を知らぬまま勝ち続ける強者たるミスターシービーは、日々の生活に追われながら敗者となることに怯えて暮らさなければならない大衆とは、むしろ対極の存在だった。
だが、ミスターシービーは壁に突き当たった。その壁こそが、日本競馬界の最も偉大な常識であるシンボリルドルフだった。
一度はすべての栄冠と名誉を手にしながら、年下の三冠馬によって残酷なまでにすべての栄冠と名誉を剥ぎ取られていったミスターシービー。その姿を目の当たりにした彼らは、はじめて気がついたのである。彼らがなぜ、ミスターシービーを彼ら自身の英雄として迎えたのかを。彼らが望みながら果たしえない夢を、憧れを体現し続けてくれた名馬は、今度は時代の流れに反逆したがゆえに裁かれようとしている。それはまさに、彼ら自身の身近にある「時代の犠牲者」としての姿だった。
かつて彼らとは別世界の憧れだった英雄は、いま彼らと同じ悲しみに直面し、いま懸命にもがいていた。そんな姿に、ファンのミスターシービーに対する想いは、単なる憧れではなく、本当の意味での共感に変わった。ミスターシービーは、それでも逃げ出しはしない。あくまでも戦い抜こうとしている。自分自身の誇りのために・・・。その姿こそが、ミスターシービーを本当の意味で「大衆の馬」とした。1頭のサラブレッドが、大衆の魂を動かしたのである。
「ミスターシービーを勝たせたい。一度でもいいから、絶対皇帝シンボリルドルフを破る姿を見てみたい」
ミスターシービーへの声援とは、単なるサラブレッドに対するものではなく、同じ時代を生きる者としてミスターシービーに捧げる彼ら自身の魂の叫びでもあった。
『いま一度の夢を』
自らの誇り、男たちの覚悟、ファンの魂の叫び、そして移りゆく時代。1頭のサラブレッドが背負うにはあまりにも大きく、あまりにも重いものを背負ったのが、ミスターシービーだった。そして、戦いの重責を一身に担う吉永騎手もまた、悲壮な覚悟を心に決めて戦場に臨んでいた。
「シービーはルドルフのけつの穴もなめられないのか」
相次ぐ敗北の中で、そんな罵声を浴び続けた吉永騎手だったが、この日の彼は、迷いを捨てていた。オーナー、松山師とも話し合い、自分自身も納得した上で決したその作戦。だが、そのことを知る者は、彼ら以外には極めて限られていた。
ミスターシービーがすべてを賭けた天皇賞・春だったが、そのスタート自体は平穏に始まった。シンボリルドルフは好位、ミスターシービーは最後方から、というそれぞれの指定席から始まったのである。それは、ミスターシービーに声援を送る人々にとっても、驚くべきことではなかった。
「おそらくシービーはルドルフには勝てないだろう」
このころには、熱狂的なミスターシービーファンであっても、感情の部分ではともかくとして、理性の部分ではそのことを感じ、受け入れ始めていた。ただ、それでもミスターシービーは後方一気の競馬でシンボリルドルフに挑み続ける、ということも、やはり彼らの確信だった。彼らにとってのミスターシービーとは、ミスターシービーとして戦い抜き、そしてミスターシービーという自らの虚像に殉じていく存在だった。それはそれでいいのかもしれない。おそらくミスターシービーは、先に馬群を抜け出したシンボリルドルフを追いかける。そして、9割以上の確率で、最後にはその差が縮まらなくなり、敗れ去るだろう。それでもミスターシービーは追い込みを捨てられない。なぜなら、ミスターシービーとはそういう馬だから。・・・それが、当時のファンのミスターシービー観だった。
そんな予定調和的な展開をぶち壊したのは、やはりミスターシービーと吉永騎手だった。ミスターシービーと吉永騎手は、1週目のスタンドを過ぎたあたりから早くも進出する気配を見せ始めたのである。彼らは、京都の長いのぼり坂、セオリーに従うならばゆっくりのぼるべきのぼり坂で外に持ち出し、ぐいぐいと進出し始めた。
京都競馬場はどよめきに揺れ、それに続いて大歓声が巻き起こった。京都のファンにとってその光景は、「いつか見た風景」だった。それは1年半ほど前のこと、ミスターシービーが常勝の名を確かなものとした菊花賞。自らの栄光の舞台となった思い出の地で、かつてと同じまくりを再現しようとするミスターシービーの姿に、ファンは忘れかけていた「ミスター・サラブレッド」としてのミスターシービーを見たのである。