ミスターシービー本紀~三冠馬の栄光と挫折~
『馬の壁』
出遅れたミスターシービーは、この日も最後方からの競馬となった。いつも通りといえばいつも通りだが、普通にスタートを切ってから意図的に最後方に下げるのと、出遅れて選択の余地なく最後方からというのでは、その意味合いが大きく異なっている。前の方でいわゆる「ダービー・ポジション」と呼ばれる位置、少しでも前の場所を確保しようと他の馬たちが激しくせめぎ合う中、ミスターシービーはそうした流れから取り残されたかのように最後方を追走した。先頭との差は大きく開き、何馬身差あるのか、数えるのもばかばかしいほどになった。
第2コーナーを回っても、ミスターシービーが動く気配はなかった。ミスターシービーより後ろの馬は、2、3頭しかいない。吉永騎手に、いつもより早めに動く意思はないようだった。
それまでのレースでミスターシービーが最後方から動き始めるのは、向こう正面が多かった。ところが、この日はそこでもなかなか動こうとはしなかった。いつもより立ち遅れてレースの流れに乗り遅れたことからすれば、むしろいつもより早く動かなければ勝機はないはずである。それなのに一向に動く気配を見せないミスターシービーと吉永騎手に、周囲の騎手たち、そしてスタンドのファンは激しく苛立った。
「何をしてるんだ、シービー!」
「吉永、そんなに脚を余したいのか!?」
ファンはもちろん、他の馬の騎手たちも口々に叫び始めた。これは、別に彼らがミスターシービーを勝たせたかったから・・・ではない。追い込み脚質の圧倒的1番人気が最後方で動かない限り、それをマークする彼らも動けないからである。そんな展開になれば、前で前で競馬を進める馬が有利になってしまう。しかし、それでもミスターシービーは、吉永正人はまだ動かない。そうこうしている間に、馬群は第3コーナーにさしかかった。このままではミスターシービーが抜け出すより早く、彼らの前に馬の壁ができあがってしまう。
しかし、吉永騎手はこの時まで何もしていなかったわけではなかった。ミスターシービーの瞬発力をどこで解放するか、その時機を虎視眈々とうかがっていたのである。彼は、スタートで出遅れたときも、まったく悲観してはいなかった。直線が長い東京ならば、そしてミスターシービーの瞬発力ならば、この位置からでも充分に届くはず。むしろあせっての早仕掛けで、脚をなくすことの方が恐ろしい。
彼が勝負どころとして選んだのは、第3コーナー手前だった。長年の競馬人生で培ってきた彼の勘が、勝負の刻を告げていた。吉永騎手の手が、ようやく動く。
『常識を破る馬』
吉永騎手のゴーサインが出ると、それまで闘志を内に秘めて末脚を蓄えていたミスターシービーも、すぐに動いた。人だけでなく馬もまた、この時を待っていた。
吉永騎手とミスターシービーは、自分たちの前にいた馬群のど真ん中へと突っ込んだ。普通ここで仕掛ける場合、他の馬のさらに外へと持ち出した上で上がっていくことが多い。そうでなければ他の馬と接触したり進路を阻まれたりして、脚をなくしてしまうことが多いからである。しかし、この日のミスターシービーが目指したのは、あくまでも中央突破だった。馬群を切り裂き、力づくで進出していくその姿には、まさに王者の風格があった。
ミスターシービーが動いたことで、レースは一気に加速し、彼をマークしていた他の馬も一斉に動き始めた。しかし、ミスターシービーは既に動き始めた他の馬たちを尻目に、馬群のど真ん中を割って、みるみる順位を上げていった。第3コーナー手前でまだ17、8番手にいたミスターシービーが、第4コーナーではもう5、6番手まで押し上げている。
いよいよ「彼のための場所」である東京の長い直線へと帰ってきたミスターシービーを迎えたのは、大観衆の凄まじい喚声だった。
「来たよっ!」
「嘘だろ!?」
「シービーだ!」
「正人だ!」
スタンドに飛び交う怒号にも似たそれぞれの叫びは、やがて大きな嵐となって直線に、そしてミスターシービーに降り注いでいく。ミスターシービーが最後方から一気に押し上げてくる姿は、本来彼らが期待していた光景のはずである。しかし、出遅れ、最後方待機、馬の壁・・・。犯してはならない過ちをいくつも犯したかに見えたミスターシービーの、ここに至るまでのあまりにも無謀な競馬に、彼らの多くは既に一度、皐月賞馬に託した希望を捨てていた。彼らの希望は既に絶望に変わったはずだった。しかし、途絶えたはずの希望は、まるで翼でも生えたかのようなミスターシービーの飛翔によって、絶望の淵から蘇った。
もしも彼らが絶望を経験しないままにその光景が実現していたとしたら、その大喚声はそこまで大きなものとはならなかっただろう。彼らは、一度絶望し、その後にこの光景を目の当たりにしたことで、彼らが支持する馬が何者なのかようやく思い出した。「常識を打ち破る馬」ミスターシービー。ファンは、その馬が打ち破る常識は競馬界の常識だけでなく、自分たち自身の常識でもあったことに、ようやく気が付いたのである。
『ミスター・サラブレッド』
吉永騎手は、第4コーナーに差しかかった時点で勝利を確信していたという。
「手応えに余裕があったし、馬の闘志が素晴らしかった」
そして吉永騎手の確信を裏付けるかのように、直線に入ったミスターシービーはさらに末脚を爆発させた。前の馬を抜き去り、後ろの馬を寄せ付けないその瞬発力の前に、他の19頭は沈黙した。皐月賞でもミスターシービーの2着に終わったメジロモンスニーが懸命に追い上げたものの、既に勢いがついたミスターシービーは、まったくあわてる必要もなく1馬身3/4の着差をつけて悠然とゴールした。それは、ミスターシービーが偉大な父を乗り越えて二冠を達成し、さらに夢のクラシック三冠に王手をかけた瞬間だった。
戦前に「大舞台に弱い」と言われた吉永騎手も、これで見事ダービージョッキーの仲間入りを果たした。彼は、かつてのクラシック34連敗、そして1番人気を裏切ってしまったモンテプリンスのダービーの悔しさを、ミスターシービーでついに晴らしたのである。
誰もがあっと驚いた出遅れをいとも簡単に挽回し、圧倒的1番人気を背負いながら日本ダービーを制したミスターシービーに、人々は酔った。劇的な出生のエピソード、破天荒なレース、そして最高の実績。サラブレッドとして人気が出るための要素をすべて兼ね備えたミスターシービーのことを誰もが絶賛し、
「ミスターシービーは、ミスター・サラブレッドだ」
とも言われるようになった。ミスターシービーは、完全に時代の寵児となった。
『時代に愛されし馬』
ただ、ミスターシービーのダービー制覇を語る上では、その栄光だけでなく、その影の部分についても触れておかなければならないだろう。
ミスターシービーはこの日、第3コーナーから第4コーナーにかけて強引に馬群を割っていったことから、進路についてはかなりの無理をしなければならなかった。そして、第4コーナーから直線に入るところで、同じ場所に入ろうとしていた他馬の進路に強引に割り込む形で突っ込み、その馬を跳ね飛ばしてしまったのである。そのため、それを目の当たりにした人々の頭を
「ミスターシービーは失格になるかもしれない」
という考えがかすめたことも事実である。
実際には、この日のレース結果は、審議となることもなく確定した。しかし、馬にはお咎めがなかったものの、人もお咎めなし、とはいかなかった。吉永騎手はこのレースでの斜行の責任を問われ、騎乗停止処分を受けたのである。吉永騎手の自宅には、ダービー制覇の記念品がない。この時の斜行の責任を問われ、中央競馬会に回収されてしまったのだという。
馬は無罪で、人は有罪。この分かりにくい裁定は、この日のミスターシービーが失格になっていても不思議のないぎりぎりのレースだったことを物語っている。そのため、中にはこの処分について、吉永騎手が前年には一度も斜行による処分を受けていなかったことから武士の情けで温情裁定になったとか、あるいは希代のスターホースに傷をつけないための灰色決着だ、などと批判する声もあった。2年後のある大レースで、2着で入線しながら斜行による失格をとられたある馬の馬主が、裁定に対して
「シービーのダービーがお咎めなしで、どうしてうちの馬が失格なんだ」
とかみついたのは有名な話である。
しかし、誰がなんと言おうと、ミスターシービーはダービー馬となった。それゆえにミスターシービーは、栄光の三冠馬として後世まで語られる。
「稀代のアイドルホースであったがゆえに甘い裁定が下された」
とけちをつけることは簡単だが、もしもミスターシービーがダービーで失格になっていたとしたら、日本競馬のその後の発展は、実際よりもずっと地味なものとなっていたに違いない。その意味で、ミスターシービーこそ時代に求められ、そして時代に愛された馬だった。