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1991年牝馬三冠勝ち馬列伝~彼女たちの祭典~

 ~シスタートウショウ~
 1988年5月25日生。牝。栗毛。藤正牧場(静内)産。
 父トウショウボーイ、母コーニストウショウ(母父ダンディルート)。鶴留明雄厩舎(栗東)。
 通算成績は、12戦4勝(旧3-6歳時)。主な勝ち鞍は、桜花賞(Gl)、チューリップ賞(OP)優勝。

(本作では列伝馬の現役当時の馬齢表記に従い、旧年齢(数え年)を採用します)

『牡牝の差』

 「牝馬は、牡馬よりも弱い」―これは、競馬界では近年まで一種の常識とされてきた。確かに、ごく最近だけをみれば、JRAのGl最多勝記録をついに更新したアーモンドアイだけでなく、グランアレグリア、クロノジェネシスらの歴史的名牝が中距離戦線を席捲しているが、日本競馬の歴史を振り返って牡牝混合Glの勝ち馬を並べてみると、牡馬の勝ち鞍がまだ圧倒的に多い。牝馬ながらに天皇賞・秋(Gl)を制し、ジャパンC(国際Gl)2着、有馬記念(Gl)3着の実績を残して1998年度代表馬に選出されたエアグルーヴは、近年の名牝たちと比較するとかなり控えめの戦績に見えてくるが、それでも彼女は「稀代の名牝」「女帝」などとして称えられた。これは、彼女がそれらの実績によって「牡馬よりも弱い牝馬」という大多数の原則から外れた例外として、十分な歴史的価値を認められたからにほかならない。

 では、「牝馬は牡馬よりも弱い」とされていた時代の牡牝の実際の能力差は、果たしてどの程度あったのだろうか。牝馬クラシック戦線のGlを勝った馬たちであっても、レースのほとんどが牡牝混合戦になる古馬戦線では、クラシック戦線と同程度、あるいはそれ以上に活躍することは、極めて稀だった。そのことをもって「牝馬は牡馬よりも弱い」とされていたことの根拠として挙げることは、可能かもしれない。

 しかし、このような考え方はできないだろうか。確かに、長らくの間、牝馬が牡馬に比べて、ある種の能力が劣っていたことは、事実として認めざるを得ないだろう。だが、競走能力のピーク時に激突した場合、牡馬の一線級と好勝負できた牝馬は、いつの時代にも少なからず存在したことも、また確かである。そうであるにもかかわらず、牝馬のGl馬たちの中に、古馬戦線で息長く活躍した者が少なかったのは、彼女たちが己の持つ能力のすべてを競走生活のごく限られた時期に燃やし尽くすからではなかっただろうか。もしそうであるとすれば、牝馬が牡馬よりも弱いということは、必ずしも当てはまらないことになる。

 1988年の春に生を享け、1991年の牝馬三冠戦線を戦った牝馬たちも、それぞれの大舞台に己の持てる能力のすべてを燃やし尽くした牝馬たちである。非常に高いレベルと言われた世代の三冠戦線の中で、彼女たちはGlという栄冠を目指し、激しくしのぎを削った。そして、その完全燃焼の度合いをあらわすかのように、栄冠を得た牝馬たちは、それぞれのGl勝ちの後は二度と勝利を得ることなく、また同世代の牝馬たちを含めて、彼女たちの世代が古馬Glを勝つことはなかった。

 今回のサラブレッド列伝は、1991年牝馬三冠戦線にスポットを当て、その勝ち馬である3頭、桜花賞を制したシスタートウショウ、オークスを制したイソノルーブル、そしてエリザベス女王杯を制したリンデンリリーについてとりあげてみたい。

その1 =シスタートウショウの章=

『桜花賞の異変』

 1991年4月7日、第51回桜花賞の発走予定時刻を迎えた京都競馬場のスタンドは、異様な空気に包まれていた。

 例年ならば阪神競馬場で開催されるのが通例となっている桜花賞だが、この年は阪神競馬場が改修工事中だったため、阪神でなく京都で開催される変則開催となっていた。例年と違う舞台なら、例年と違う雰囲気になるのは当然かもしれない。しかし、この時の空気の異様さは、場所の違いだけにはとどまらなかった。そのころスタート地点付近では、桜花賞戦線の中心になると思われていたある馬に、重大な異変が発生していたのである。

 この年の桜の女王争覇戦で、台風の目となることが予想されていたのは、それまで5戦5勝、ステップレースの4歳牝馬特別(年齢表記は当時の数え年)を含めて重賞2つを勝ち、出走馬の中でも実績ナンバーワンを誇るイソノルーブルだった。

 前年の牡牝混合の3歳重賞10レースでは牝馬が6勝をあげ、年が明けて4歳になってからも、シンザン記念、ペガサスS(現アーリントンC)を牝馬が制したというこれまでの重賞戦線の結果を受けて、この年の牝馬三冠戦線は、例年よりも相当高い水準での争いになるだろう、というのがもっぱらの評判となっていた。イソノルーブル以外にも、デイリー杯3歳S(年齢表記は当時の数え年)とペガサスSを勝ったノーザンドライバー、まだ重賞勝ちこそないもののチューリップ賞(当時はOP特別)を勝って戦績を3戦3勝とし、無敗のまま桜花賞へと進んだシスタートウショウ、クイーンCと札幌3歳S(年齢表記は当時の数え年)を勝ち、前走チューリップ賞でも2着に入ったスカーレットブーケといった面々が有力馬とされていた。

 しかし、こうした有力馬たちも、無敗のまま牝馬クラシックロードの王道を驀進するイソノルーブルの前では一歩譲らざるを得なかった。他の3頭のオッズが400円から500円台に集中して人気が拮抗していた中で、イソノルーブルだけは単勝280円の支持を集めていた。

 イソノルーブルは、血統的には、他の有力馬に比べて目立たないどころか、むしろ一枚も二枚も落ちる存在にすぎなかった。彼女は一般に安い馬の代名詞とされ、「走らない」と言われる抽選馬でもあった。そんな彼女が、並み居る良血馬たちを抑えて桜花賞戦線の中心にいる。春のGl戦線の始まりを告げる桜花賞を前にして、ファンの関心は

「イソノルーブルがシンデレラ・ストーリーを完成させることができるのか」

に注がれていた。

 ところが、その桜花賞発走直前になって突然発生したアクシデントは、人々を大きな混乱へと引き込み、発走時刻を過ぎてもレースが発走できない事態を招いてしまった。しかも、そのアクシデントの主人公がレースの主人公となるはずだったイソノルーブルだったとなると、人々の戸惑いと混迷はますます深いものとならざるを得なかった。

『始まりは喜劇のように』

 大アクシデントは、むしろコミカルな光景から始まった。発走を目前に控えて各馬が輪乗りをしている途中、イソノルーブルに騎乗していた松永幹夫騎手は、どの馬のものかが分からない蹄鉄がスタート地点付近に落ちていることに気付いた。そこで彼が

「誰か、蹄鉄落ちてますよー」

と声をかけたところ、返ってきたのは

「お前のだよー」

という返事だった。あわてて確かめてみると、確かにイソノルーブルの右前脚の蹄鉄がなかった。

 とはいえ、普通単なる落鉄だけで、ここまでの大混乱になることはない。レース前に出走馬が落鉄した場合、発走時刻を数分遅らせて蹄鉄を打ち直し、その後に発走となるのが普通である。JRAは、この時もいつもと同じように、イソノルーブルの蹄鉄を打ち直す時間をとるために発走を遅らせることにし、場内にもその旨がアナウンスされた。しかし、本当のトラブルが起こったのはその後だった。

 イソノルーブルは、Gl開幕を待ちかねたスタンドの大歓声に興奮してしまい、蹄鉄を打ち直すためにやってきた蹄鉄師を暴れて寄せ付けず、蹄鉄の打ち直しができない状態に陥ったのである。打ち直しができないまま、ただ時間だけが無為に過ぎていった。場内の歓声はざわめき、そして困惑へと変わっていった。

 イソノルーブルの「抵抗」の前に、主催者はついに蹄鉄の打ち替えを断念し、桜花賞のスタートを決断した。イソノルーブルを含めた18頭がゲートへと誘導されてゲートが開いた時、時刻は発走予定より11分も遅れ、そして何より、1番人気イソノルーブルの右前脚には、蹄鉄がないままだった。

『魔の桜花賞ペース』

 波乱の幕開けとなった桜花賞だが、レース直前のアクシデントは、レース展開にも影響を与えずにはおかなかった。それまでのレースでは、いつもスムーズに先頭を奪って単騎逃げに持ち込んできたイソノルーブルだったが、この日はハナを奪うことができず、レースの主導権を握ることができなかったのである。

 例年、桜花賞では「魔の桜花賞ペース」と呼ばれるハイペースが形成される。ただ、このペースには阪神芝1600mコースの構造も影響しているといわれているところ、この年は京都競馬場での開催だった。また、イソノルーブルという絶対的な逃げ馬がいることもあり、事前の予想では「魔の桜花賞ペース」とは縁がないだろうとされていた。

 ところがふたを開けてみると、すんなりとハナを切るはずだったイソノルーブルがトーワディズニー、テイエムリズムといった他の逃げ馬を引き離すことができなかった結果、先頭集団は何頭かが団子状で競り合う展開となってしまった。テイエムリズムが脱落したと思ったら、今度は第3コーナーでノーザンドライバーが先行集団から進出してきて先頭争いに加わる始末である。その結果は、1000m通過が57秒6という例年以上の激しいハイペースとなった。

 こんなハイペースでは、逃げ馬が残ることは難しい。それどころか、好位置にいる馬でさえ残ることは容易ではないはずである。この日も先行馬が総崩れになっても不思議はない展開だった。

『突き抜ける』

 このようなレースでは、先行馬の騎手がハイペースに気づいた場合、極力手綱を抑えて馬の行き脚を抑え、仕掛けどころを少しでも遅らせるのが常道である。そうでなければ、最後の直線でばてて末脚をなくしてしまう。

 しかし、この日の戦場には、そんな常識を無視した男がいた。角田晃一騎手である。スタートから騎乗馬を好位につけさせた角田騎手は、道中ずっとその位置どりを維持しただけでなく、第4コーナーから積極的に仕掛けていった。外を突いて上がっていった彼は、一気にイソノルーブルら先頭集団へと襲いかかったのである。

 5連勝中のイソノルーブルだったが、さすがにこのハイペースの中では逃げ粘れなかった。さらに、右前脚の蹄鉄がなかったことも影響した。蹄鉄がないまま走るということは、人間でいうなら裸足で走るようなものである。二流血統から桜の女王へと成り上がるはずだった「シンデレラ」が、まさか靴を忘れて裸足で走るところまで「シンデレラ」になるとは、誰も予想していなかった。イソノルーブルの逃げ脚にいつものようなしぶとさはなく、また彼女に続いたノーザンドライバーらも、やはりハイペースに巻き込まれて脚をなくしていった。

 しかし、先行馬たちが潰れていく中で、角田騎手の騎乗馬だけは騎手のゴーサインに合わせて上がっていった。先行するイソノルーブルらをとらえて先頭に立つと、そのまま食い下がる後続を引き離していく。馬群から完全に抜け出したその馬は、たちまち独走態勢を築き、中団待機策から追い込んできた人気薄ヤマノカサブランカの追い込みもまったく問題としないままにゴールを駆け抜けた。

 ゴール板の前を駆け抜けると同時に桜の女王へと突き抜けたその馬は、イソノルーブルと並ぶ無敗馬ではあったが、この日は4番人気にとどまっていたシスタートウショウだった。

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