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1991年牝馬三冠勝ち馬列伝~彼女たちの祭典~

『天馬の血』

 桜花賞馬シスタートウショウが生まれたのは、その名が示すとおり、かつてトウショウボーイを輩出した静内の名門オーナーブリーダー・藤正牧場である。

 シスタートウショウの父トウショウボーイは、通算15戦10勝の戦績を残し、皐月賞、有馬記念、宝塚記念などを勝ち、そのスピード感あふれる走りから「天馬」の異名をとった名馬である。彼が宿敵テンポイント、グリーングラスと繰り広げた死闘は、日本競馬の歴史に残る「TTG時代」として知られている。

 トウショウボーイのライバルたちは、テンポイントが現役のまま非業の死を遂げ、グリーングラスは種牡馬として大成功といかなかったものの、トウショウボーイは種牡馬としても高い人気を集め、その期待にふさわしい、あるいはそれ以上の大成功を収めた。

 トウショウボーイ産駒は、牡牝を問わず、よほどの欠陥がない限り高く売れ、よく走った。しかも、トウショウボーイは軽種馬協会所属の種牡馬として供用されていたため、種付け料が同等の種牡馬よりもかなり安く抑えられていた。安い種付け料で種付けできた上、産駒が生まれたら高く売れるのだから、馬産家たちがこぞってトウショウボーイの血を求めるのも当然である。馬産家たちが、自らの所有する繁殖牝馬をトウショウボーイと交配させるためには、その人気の高さゆえの高倍率の抽選をくぐり抜けなければならなかった。

 しかし、トウショウボーイが軽種馬協会に買い上げられる際、藤正牧場だけは、トウショウボーイの故郷として、年間3頭の優先種付け権をもらっていた。そのため藤正牧場は、所有する繁殖牝馬を毎年トウショウボーイと交配することができた。ちなみに、トウショウボーイはなかなかの色男で、牝馬を選り好みをする癖があったという。黒鹿毛の牝馬、やせっぽちの牝馬には種付けするのを嫌がったが、藤正牧場からの牝馬だけは、故郷の香りが懐かしかったのか、毛色、体格に関係なく喜んで種付けをしたという逸話が残っている。

 トウショウボーイの供用が始まって9年目となる1987年春、藤正牧場がトウショウボーイの交配相手として選んだのはコーニストウショウだった。競走馬としては4戦未勝利とまったく見るべきところなく終わったこの馬だが、シスタートウショウ以前に5頭の産駒を出しており、そのうち3頭はトウショウボーイ産駒だった。もちろんこれには理由があり、藤正牧場が所有する繁殖牝馬は、当時からトウショウボーイと同じソシアルバターフライを祖とする牝系の馬が多数を占めていた。この血統の牝馬をトウショウボーイと交配すると、同族配合で血が濃くなりすぎるため、リスクが高い。その点、シラオキを祖とする別の牝系に属していたコーニストウショウならばそうした心配がなく、彼女がトウショウボーイの交配相手となるのは、いわば必然だった。

『夢賭ける』

 ところでコーニストウショウは、藤正牧場デモ稀に見る「女腹」の馬であり、彼女がそれまでに生んだ5頭の産駒は、すべて牝馬だった。そのため牧場の人々は

「今度こそ、牡馬が生まれてほしい」

と期待していた。・・・ところが、生まれたシスタートウショウはまたもや牝馬で、牧場の人々も、出生の瞬間はさすがに落胆を隠せなかった。

 しかし、シスタートウショウが立ち上がった姿を見ると、落胆の気持ちは一変した。彼女は、生まれながらに素晴らしい馬体を持っていた。父のトウショウボーイは前が弱くてトモが発達しており、母のコーニストウショウは逆に前が発達しているがトモの寂しい馬という正反対の特色を持っていた。ところが、この2頭の間に生まれたシスタートウショウは、両親の長所だけを受け継いだかのように、前、トモとも素晴らしく発達していたのである。出産シーズンのどさくさが落ち着いて馬体を冷静に見る余裕がでてくると、藤正牧場の人々は今度は

「まるで両親のいいところだけを受け継いで生まれてきたような子だ」

と言い始めた。シスタートウショウの誕生で、「トウショウボーイの子でGlを勝とう」という藤正牧馬の夢は実現に向けて大きく歩み始めた。

『少女たちよ、大志を抱け』

 やがて成長したシスタートウショウは、オーナーブリーダーたる藤正牧馬の持ち馬として、栗東の鶴留明雄厩舎に入厩することになった。

 関西の厩舎は関東の厩舎に比べて、若手を登用しようという気風が強いとされている。シスタートウショウの主戦にも若手騎手を起用しようと考えた鶴留師は、最初当時関西でも随一のホープといわれていた岡潤一郎騎手から騎乗の約束を取りつけた。

 ところが、シスタートウショウのデビュー戦を前に、岡騎手はレースで斜行し、騎乗停止処分を受けてしまった。デビュー戦の鞍上が宙に浮いてしまった形のシスタートウショウの騎手を誰にすべきか・・・鶴留師は考えた。

 ところで、鶴留師はかつて騎手だった時代に、最初武田文吾厩舎からデビューしたものの、武田厩舎では兄弟子が多く騎乗機会に恵まれなかったため、武田師と親しかった戸山為夫厩舎に移籍し、長らく籍を置いていた。

 戸山師は、栗東トレセンに坂路コースが完成すると、完成したばかりのものを積極的に取り入れることを躊躇して実際に利用する厩舎が少なかったのをいいことに、坂路コースを存分に使って所属馬たちをみっちりと鍛えあげていた。「坂路の鬼」と呼ばれた戸山師のもとから1992年のクラシック二冠馬ミホノブルボンが誕生したことは有名だが、当時坂路コースを積極的に利用していたのは、戸山厩舎のほかには渡辺栄厩舎、小林稔厩舎くらいしかなかったため、彼らは

「栗東の坂には3人の鬼がいる」

と揶揄されていた。

 その「3人の鬼」の1人である渡辺栄厩舎に所属していた若手騎手が、角田晃一騎手だった。角田騎手は、渡辺厩舎の馬に調教をつけるために坂路コースによく出入りしており、そこで知り合った戸山師にもかわいがられていた。

 当時の角田騎手は、まだデビュー2年めで20歳を迎えるか迎えないかという若さだったものの、デビューの年にいきなり43勝を記録し、この年も前年を上回るペースで勝ち星を重ね、「乗れる若手」と評価されていた。鶴留師にしてみても、恩人の戸山師にかわいがられており、さらに武田厩舎の兄弟子だった渡辺厩舎の所属騎手ということで、何かと縁がある角田騎手に、シスタートウショウを任せることにした。クラシックに乗れる器とみられていたシスタートウショウの主戦騎手にデビュー2年目の若手を起用するのは思い切った抜擢であり、競馬サークルでもちょっとした話題になった。

 鶴留師にレースでの騎乗含みで調教をつけることを依頼された角田騎手は、最初にシスタートウショウにまたがった時、

「これは凄い馬だ!」

と感じたという。シスタートウショウは乗り味が抜群で、またがっただけでこの馬の並々ならぬ素質を容易に感じ取ることができた。また、実際に走らせてみても、シスタートウショウは牡馬顔負けの瞬発力を持っていた。気性も素直で、鞍上の意思を感じ取ると、素直にそのとおりに動いてくれる。角田騎手は

「この馬なら桜花賞、オークスも十分楽しめる」

と野心と闘争心を燃え立たせた。

『桜花街道』

 シスタートウショウは、やがて角田騎手の期待どおりに成長していった。後の快速馬バンブーパッション以下を相手にあっさりと新馬戦勝ちを飾り、次いで福寿草特別、チューリップ賞(OP)と3連勝し、桜花賞へと駒を進めた。

 もっとも、3連勝の過程の中で、調教の時には素直なシスタートウショウが、次第に行きたがるようになるという誤算もあった。しかし、若い角田騎手は、力ずくで抑えようとしても、どうにも抑えきれないシスタートウショウのパワーに心酔してもいた。

「この馬で大レースを勝つ!」

 それは、大器を預けられた騎手の心の誓いだった。

 桜花賞は、誓いを立てた角田騎手に訪れた最初のチャンスだった。また、藤正牧場の人々にとっても、トウショウボーイの子でGlを勝つことは牧場の悲願だった。彼らの夢は、今現実のものになろうとしていた。

『底知れぬ実力』

 馬群から完全に抜け出したシスタートウショウは、後続の追撃に対しても差を詰めることを許さず、ついに桜のゴールを駆け抜けた。2着は中団から伸びてきたヤマノカサブランカが入った。こちらは直前までコズミで桜花賞を回避するとの情報が流れていたほどで、単勝13番人気の人気薄だった。そのため、この日の枠連は22630円という高配当がついた。1番人気のイソノルーブルは、直線で失速して5着に沈んだ。

 この年の桜花賞は、阪神よりも時計が出やすい京都コースの変則開催ということもあったとはいえ、馬場状態がやや重だったにもかかわらず、1分33秒8という桜花賞史上最速のタイムで決着した。この一点をもってしても、この日のレースがいかに激しい流れだったかがよく分かる。

 そんなレースを先行してそのまま押し切ったのだから、この日のシスタートウショウの強さは半端なものではなかった。初めてのGl制覇を飾った角田騎手は、レース後

「オークス、エリザベス女王杯も勝って牝馬三冠を目指したい」

と高らかに牝馬三冠宣言をぶちあげるほどに喜んだ。なるほど、この年に牝馬三冠を達成する可能性が残されているのは、既にシスタートウショウただ1頭だけだった。

 また、シスタートウショウの桜花賞制覇に、彼女の故郷の藤正牧場も喜びに酔った。かつて「天馬」トウショウボーイを出した名門オーナーブリーダーは、その後、重賞勝ちはあっても、Glにはなかなか手が届かない状態が続いていた。藤正牧場生産馬のGl級レースの制覇といえば、当時G制度による格付けがなされていなかったトウショウボーイの宝塚記念以来、実に14年ぶりのことだった。牧場の誇りであるトウショウボーイの娘で見事Gl制覇を成し遂げたというのは、藤正牧場にとってまさに夢の実現、運命のめぐり合わせだった。藤正牧場の人々の胸を去来したのは、果たしてシスタートウショウの幼き日の思い出だったか、それとも往年のトウショウボーイの思い出だっただろうか。

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