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1991年牝馬三冠勝ち馬列伝~彼女たちの祭典~

『抽選馬』

 中央競馬には、「抽選馬」という制度がある。競走馬の売買には閉鎖的な慣行、しきたり等が多いため、資金力が小さく、馬産界と特殊なパイプを持たない零細馬主は、馬を買うことさえなかなか難しい。そこで、こうした馬主のために、日本中央競馬会自身がセリで馬を買ってきた上で競走馬になれるよう調教し、最後には割り当てを希望する馬主に抽選で決められた順番に従って、調教した馬を配布する制度である。

 この制度は、もともと小馬主の便宜を図るためのものだから、価格に制限があり、高額な馬は買ってはいけないことになっている。イソノルーブルは、血統が悪くてなかなか買い手がつかなかったものの、馬自体は悪くなく、走ったとしてもおかしくはない。こういう馬を安く手に入れて馬主に配布することこそが、抽選馬制度の真骨頂だった。

 イソノルーブルは、抽選馬のための育成施設に送り込まれ、そこでデビューに備えて調教を受けた。デビュー前のイソノルーブルは、とてもやんちゃな負けず嫌いで、牝馬の集団でいつも先頭に立つだけでなく、前に少し離れて走っている牡馬の集団を見つけるとたちまち走っていき、追い抜いてしまったという。そのため、なんとか牡牝を別々に走らせようとする育成担当の人々は、大いに困らせられた。

 そんな逸話を残しつつ、競走馬としてたくましく育ったイソノルーブルは、やがて抽選馬として馬主に配布され、栗東の清水久雄厩舎に入厩した。この時には、イソノルーブルはすっかり競走馬として通用するたくましさを身につけており、成長ぶりを見に来た生産者の能登氏を感動させた。すっかり喜んだ能登氏が仲間に

「あの馬、3勝はしますよ」

と自慢すると、それを聞きつけた育成場の場長は

「生産者の方はずいぶん欲がないんですね」

と笑ったという。

 そんな期待を集めるに至ったイソノルーブルは、入厩後も調教中に騎手を振り落としたり、周りの馬を蹴飛ばしたりという困った癖はあったものの、その能力は栗東でも早くから噂になっていた。

『華に憧れ、野に生きる』

 ただ、評判馬とはいっても、血統信仰が根強い競馬界では、抽選馬は安馬として侮られがちである。デビュー戦で中京芝1000mを58秒4で走破してあっさりと新馬勝ちを飾り、骨膜炎で2ヶ月休養した後、復帰戦の500万下でも3馬身半差で逃げ切ったイソノルーブルだったが、これらのレースは2戦とも抽選馬限定レースだったこともあって、その実力はまだまだ過小評価されていた。

 「抽選馬=レベルが低い」という偏見は、競馬サークル内だけでなく、ファンの間にも根強かった。イソノルーブルが次走に選んだ初めての重賞、ラジオたんぱ杯3歳牝馬S(Glll)(年齢表記は当時の数え年)では、初めて抽選馬以外の相手と戦うということもあったとはいえ、その人気は16頭中8番目という低いものだった。この日の出走馬には、3歳重賞戦線で次々と牡馬を踏み砕いてきたミルフォードスルー、ノーザンテースト産駒で社台ファームが送り込む良血スカーレットブーケらがおり、抽選馬のイソノルーブルに出番はないはずだった。

 しかし、イソノルーブルは、このレースをきっかけに、本当の実力を人々に思い知らせることになった。事前の予想では、スピード自慢の快速馬がそろっていたことから激しい先行争いになるといわれていたが、卓越したスピードを持つイソノルーブルは、馬なりで先頭に立ち、そのままレースを引っ張ったのである。

 そして、直線に入った後は、それまで執拗にからんできたナスノホシジョーが沈むと、イソノルーブルの行く手を阻む者は誰もいなかった。ミルフォードスルー、スカーレットブーケといった実績馬、良血馬を寄せつけないまま、イソノルーブルはゴールでは完全に「独走状態」を築き上げていった。後続に3馬身半差をつけての圧勝劇は、イソノルーブルにとっての記念すべき重賞初制覇だった。そして、完全な逃げ切りで人気上位の馬たちを完封した実力は「たかが抽選馬」のものではなく、イソノルーブルは遅ればせながら、一般のファンからも評価されるようになった。

『桜花賞まで』

 ラジオたんぱ杯3歳牝馬Sを勝ったことでイソノルーブルに与えられたのは、それまでとは一転して「クラシックに最も近い存在」という評価だった。イソノルーブルも、その評判に応えて連勝を伸ばしていった。

 年明け初戦のエルフィンS(OP)を逃げ切って幸先のよいスタートを切ったイソノルーブルは、クラシックを見据え、ベテランの五十嵐忠男騎手に替わって鞍上に松永幹夫騎手を迎えた。初めて松永騎手とのコンビで臨んだ桜花賞トライアルの4歳牝馬特別(Gll。年齢表記は当時の数え年)でも、単勝120円という圧倒的支持に応え、2着トーワディズニーを3馬身半ぶっちぎっての大楽勝を遂げた。

 逃げて自らレースを作りながら、直線でさらに後続を突き放すそのレース内容は、もはや誰にも「たかが抽選馬」などとはいわせない圧倒的な強さを備えていた。そうして勝ち星をひとつひとつ重ねてきた結果が、桜花賞での1番人気だった。

『シンデレラの憂鬱』

 しかし、その結果は前述のとおりだった。1番人気を裏切る5着に沈んだ桜花賞での屈辱を雪ぐためには、オークスで巻き返すしかない。出直しを誓った清水師や松永騎手だったが、イソノルーブルに対するファンの反応は必ずしも温かいものではなかった。

「やっぱり抽選馬じゃあなあ」
「競馬は血統が良くないとダメだよ」

 ファンは、自分たち自身が1番人気に押し上げた桜花賞のレース前とは手のひらを返したように、イソノルーブルへの評価を急落させていた。

「血統の割には頑張ったけど…」
「あの程度の血統では、やっぱりGlでは通用しない。敗因は落鉄ではなく血統」

という声が主流を占めていた。

 こうした評価は、当然、清水師らイソノルーブル陣営の人々の耳にも入ってきていた。

「これまでのレースはフロックじゃない」

 そう言い返したくとも言い返す術を持たない彼らは、さぞ悔しかったことだろう。

 さらに、運はどこまでも彼らに味方しなかった。オークスでの枠順で、イソノルーブル陣営は20頭だての大外20番を引き当ててしまった。大外からの出走馬は、他の馬よりも余計な距離を走らなければならない。スタートで先手をとらなければならない逃げ馬のイソノルーブルにとって、それは致命的ともいえる枠順だった。

 オークス当日、イソノルーブルの人気は単勝1210円の4番人気まで落ち込んでいた。今度は桜の女王シスタートウショウが単勝210円で、断然の1番人気となっていた。2頭の地位は桜花賞とは逆転し、今度は「血統の価値」の順番どおりになっていた。

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