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アグネスフライト列伝~一族の見た夢~

『最後の戦友として』

 前年の皐月賞馬ノーリーズンを含む16頭の出走馬たちのうち12頭が重賞勝ちというメンバーの中で、アグネスフライトに寄せられた支持は、ラストウィークの河内騎手への「応援馬券」を含めても5番めにとどまった。さらに、河内騎手には前々走の鳴尾記念(Glll)を自分とのコンビで勝ったイブキガバメント陣営からの騎乗依頼もあった。ひとつの勝利を目指すだけなら、既に往年の面影はないアグネスフライトを選んだ河内騎手の選択は、愚策と言わなければならないだろう。

 だが、河内騎手を駆り立てたものは、そんな損得計算ではなかったに違いない。京都記念を前にした河内騎手は

「フライトは、僕にダービーを勝たせるために生まれてきたような馬。僕の最後の重賞でこの馬に乗れるのは運命というよりほかに言いようがないね」

と話している。この日は、くしくも河内騎手の48回目の誕生日でもあった。河内騎手がイブキガバメントへの騎乗を断って騎乗したことは、「運命」ではありえない。アグネスフライトによって悲願のダービーを制し、彼を特別な馬として想う河内騎手の意思そのものだった。

 河内騎手との最後の戦いに臨んだアグネスフライトには、かつてのような爆発的な末脚は望むべくもなかった。やや重の馬場を利して好位からの粘り込みを図ったアグネスフライトは、マイソールサウンドの6着に入るのがやっとだった。河内騎手が騎乗を辞退したイブキガバメントは、2着に入っている。

 しかし、河内騎手の胸には、アグネスフライトを選んだことへの無念や悔恨は一片もなく、ただ自分にダービーを勝たせてくれたアグネスフライトへの感謝と使命を果たした安堵があっただけだろう。通算2位(当時)となる2111勝を記録した名手は、最後の重賞騎乗を終えて、静かにステッキを置いた。

 河内騎手が引退した後、アグネスフライトは1戦だけ走っている。松永幹夫騎手を背にした阪神大賞典(Gll)で13着に敗れたのを最後に、彼は引退することになった。通算成績は14戦4勝、そのうち勝った重賞は、日本ダービーと京都新聞杯の2つである。祖母、母から受け継いだクラシックの血を受け継いだアグネスフライトは、一族に縁ある河内騎手をダービージョッキーにしたことでそのすべてを燃やし尽くしたかのように、競走生活を終えた。

『それぞれの足跡』

 アグネスフライトは、その後、種牡馬生活を送ることになった。アグネスレディー、アグネスフローラと続いた血は、アグネスフライト、アグネスタキオンへと受け継がれ、どちらが先にその血統をさらに延ばすことができるかどうかに関心が集まった。

 しかし、その結果は、残酷なまでに明らかになった。皐月賞馬となった弟がダイワスカーレット、ディープスカイ、レーヴディソール、ロジックといったGl馬を次々と輩出したのに対し、日本ダービー馬である兄は、JRAで条件戦を何勝かするクラスの馬までしか輩出できなかったのである。もともと馬産地の期待を背負ってシンジケートが組まれ、サンデーサイレンスの直系種牡馬を次々呼び集めていた社台グループに繋養されたアグネスタキオンとは違って、シンジケートが組まれることもなく渡辺氏の個人所有種牡馬となり、日高地方の種馬場に入ったアグネスタキオンへの期待は低く、そして結果もその期待通りになってしまったのである。4戦4勝、底を見せないまま引退した弟に比べ、ダービー後はついに勝てず、限界を見せた兄に対する馬産界の風は、決してやさしいものではなかった。結局、アグネスフライトは、2011年をもって種牡馬生活を引退してしまった。

 もっとも、その後のアグネスフライトは、功労馬として悠々自適の生活を送っており、2021年10月現在でも存命である。長寿を保っている20世紀最後の日本ダービー馬の兄とは対照的に、種牡馬として大成功した20世紀最初の皐月賞馬となった全弟のアグネスタキオンは、2009年に若くして死亡してしまったというのも、皮肉な話である。

『夢を継ぐ者』

 このように、「祖母、母、子と続く三代の血」「河内にダービーを勝たせた馬」としての物語を担ったアグネスフライトだが、彼を含む2000年4歳世代は、こと中長距離戦線に話を限れば、非常に厳しい評価を受けている。彼らの世代は、規則上外国産馬を完全に締め出した最後の世代となったが、クラシックから締め出されたアグネスデジタル、エイシンプレストン、タップダンスシチーといった外国産馬たちがトップクラスの輝きを見せたのに比べると、アグネスフライトたちの影はあまりにも薄い。特に強烈だったのが、クラシック戦線直後のジャパンCでの世代全体の壮絶な敗北であり、それゆえにアグネスフライトについても、

「ダービーで燃え尽きた」

と言われたり、さらには

「エアシャカールの三冠を阻止したことが最大の功績」

とまで言われることも珍しくない。

 しかし、祖母、母に続いてクラシック、それも日本ダービーという最高のレースを制し、河内騎手という関西の誇った名手にとってもかけがえのない存在となったアグネスフライトを、そうした否定的な評価のみで語り尽くすこと、決して許されてはならない。競馬が紡ぐ歴史の縦糸を一身に背負った彼もまた、競馬界にかけがえのない1頭だった。

 アグネスフローラ産駒のアグネスフライトがダービー、1歳下の全弟アグネスタキオンが皐月賞を制したように、今後もアグネスレディー、あるいはイコマエイカンといった牝系の血を継ぐ一族が今後大きなレースを勝つことは、21世紀の今日においても、いつあったとしてもおかしくない。この世に競馬ある限り、世界のどこかで、新たな夢は産声をあげ続ける。栄光に満ちた一族の末裔として生まれ、競走馬として多くの人々の夢の結晶を結実させたアグネスフライトのように、彼の一族が現代、そして未来においても夢を紡ぎ続けることは、果たしてできるのだろうか。

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