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エルウェーウィン列伝~28戦目の奇跡~

『幾年もの時を超えて』

 その後のエルウェーウィンは、とてもGl馬が出走するレースとは思えないようなレースに出走しては、そのたびに負け続けた。エルウェーウィンが負けを重ねていく間にも、競馬界は大きく動いていった。かつてのライバルだったビワハヤヒデが最強馬として古馬戦線に君臨し、そして突然の故障によってターフを去った。ビワハヤヒデの後はその弟であるナリタブライアンが伝説を作り、そして時代はマヤノトップガン、サクラローレルらの群雄割拠の時代へと移っていた。

 しかし、その長い時の中で、競馬場の片隅には、常にレースに出走しては負け続けるエルウェーウィンの姿があった。

 4歳時、2戦0勝。このころ使えた「故障明け」の言い訳は、次第に使えなくなってくる。

 5歳時、4戦0勝。このころになると、「ただの早熟馬だったのでは?」という声が出てくる。

 6歳時、7戦0勝。ここまでくると、「朝日杯はフロックだったのだろう」と言われるようになるのも致し方のないことだった。

 そして、7歳時。月1戦以上のペースで走り続けたエルウェーウィンは、14戦にわたって負け続け、もはや「早熟」説、「フロック」説は拭いがたいものとなっていた。そんな冷たい視線にさらされながら、来る日も来る日も負け続けるエルウェーウィン。ここで引退しては、「早熟」「フロック」といった心無い声を認めたことになる。こうして、彼は現役を引退することさえできないところに追いつめられていった。

 エルウェーウィンのこの間の戦績も、2着が2度、3着が7度あるとはいえ、そのほとんどはオープン特別でのものだった。重賞での実績は、マイラーズCで2度3着に入ったことがあるくらいにすぎない。しかも、7歳に入ってからの戦績はむしろ下り坂で、今後の見通しも暗かった。そんな彼の姿を見て、人はいつしかこんなことを言うようになっていた。
 
 「故障して引退でもしない限り、エルウェーウィンがオペックホースの記録を超えるのは時間の問題だ…」

『オペックホースの再来』

 オペックホース。それは、競馬界のひとつの伝説である。しかし、その伝説は決して名誉なものではない。

 オペックホースとは、太陽王子と呼ばれた大本命モンテプリンスをクビ差競り落とし、4歳春にして競走馬としての最大の栄光へと登りつめた第47代日本ダービー馬である。

 しかし、彼の名前は、「ダービーを勝った」という名誉よりも、その後に「ダービー馬でありながら負け続けた」という恥辱の事実によって、後世にその名を知られることになった。ダービーの後のオペックホースは、8歳で引退するまでの4年半の間に、32戦走って32回負け続けた。負けの中には、ダービー馬が出走するにふさわしい伝統の重賞ばかりではなく、ダートのレースやオープン平場のレースも含まれる。負け続けるオペックホースを勝たせるために、人々はそこまで力を尽くしたのである。それでも彼は、勝てなかった。

 オペックホースの現役生活の末期には、障害転向のプランもかなり具体化していたが、結局取りやめになった。

 「いくらなんでもダービー馬を障害で走らせるなんてあんまりだ」

というのがその理由である。こうしてオペックホースは障害転向を断念し、32連敗という不名誉な記録を残したまま、ターフを去った。ダービー以降ついに勝つことができなかった彼の最後のレースは、中京競馬場でのダート戦ウィンターSだった。

 3歳時には無敗の3連勝で朝日杯3歳Sを制したエルウェーウィン。しかし、かの栄光の時からは既にとても長い時が過ぎゆき、強かった時の彼の記憶は遠い過去へとかすんでいた。その間3年11ヶ月で彼が負け続けたレースを数えてみると、実に27戦に達していた。エルウェーウィンがオペックホースに並び、そして超えるのは時間の問題と思われた。

『忘れ去られた老兵』

 なんとかエルウェーウィンを勝たせてやたい坪師は、それまでマイルから2000mの間の距離ばかりを走らせていたエルウェーウィンの気分を変えるかのように、東京2500mコースで開催されるアルゼンチン共和国杯へと出走させることにした。
 
 アルゼンチン共和国杯は、古くはスピードシンボリ、メジロアサマ、ミナガワマンナといった名馬たちも歴代勝ち馬として名を連ねる伝統のGllだが、当時はハンデ戦となり、一流馬の参戦は途絶えていた。しかし、第34回アルゼンチン共和国杯の馬柱に「エルウェーウィン」の名があることに気がついても、違和感を感じる人はいなかった。エルウェーウィンの評価は、もはやそこまで落ちていたのである。
 
 第34回アルゼンチン共和国杯の出走馬は、1番人気がオースミベスト、2番人気がカミノマジックという名前を見れば分かるように、Gl級とはほど遠い顔ぶれが並んでいた。有名どころではナイスネイチャも出ていたものの、9歳ではいくら何でも分が悪い。そんな中で、エルウェーウィンのハンデはたったの53kg、単勝馬券に至っては14番人気というのが、かつての朝日杯馬の現実だった。

『復活祭は突然に』

 レースが始まった後も、既に忘れられかけた黒い老馬の位置を気にする者は、よほどの穴党しかいなかったことだろう。この時のエルウェーウィンを人間に例えるならば、過去の栄光を忘れられず、見果てぬ夢を追い続ける哀れな老人だった。そんな老人に対して、移り気なファンはあくまでも冷たい。まるで、弱者に対してはどこまでも厳しい都会の喧噪のように。
 
 そして、この日のレースも、都会の喧噪のように味気ない平凡なものとなりつつあった。ひと足早く抜け出した人気どころのオースミベスト、カミノマジックを急襲したのは、前年菊花賞でマヤノトップガンの2着に入った実績を持つ、3番人気のトウカイパレスだった。ハンデ戦でありながら、レースがほぼ人気どおりに決まってしまうかと思われた、その時だった。
 
 外から彼らに襲いかかったのは、誰もがその存在すら忘れかけていた老雄エルウェーウィンだった。
 
 エルウェーウィンの鞍上には、朝日杯と同じ南井騎手の姿があった。南井騎手も4歳時の2戦を最後にエルウェーウィンの鞍上を離れていたが、約2年11ヶ月ぶりに呼び戻されたこの日、彼はエルウェーウィンが忘れかけていた「何か」を引き出そうとしていた。これまで直線では、好位にとりつけば勝負どころで置いていかれ、後方に陣取れば末脚不発に終わってきたエルウェーウィンだったが、この日は違っていた。これまで侮られ、貶められ、卑しめられ続けた4年分の思いのたけをぶつけるような爆発的な末脚だった。
 
 エルウェーウィンは、トウカイパレスを差し切り、1馬身半差をつけてゴールした。他に例を見ない、Gl馬による3年11ヶ月ぶりの重賞制覇は、JRA史上最長の重賞勝利間隔だった。この日の勝利がいかに意外なものだったかを物語るように、馬券はというと複勝ですら1210円をつけ、単勝はなんと5000円、そして3番人気との組み合わせだった馬連に至っては31710円をつけた。忘れ去られていたGl馬が、誰もが忘れても自分だけは忘れることなく追い続けた復活の夢を果たし、己の矜持を取り戻したのである。

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