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エルウェーウィン列伝~28戦目の奇跡~

『遅すぎた目覚め』

 その後、1993年の有馬記念以来ちょうど3年ぶりのGlとなる有馬記念へと駒を進めたエルウェーウィンだったが、やはり上位馬とは力の差があったのか、見せ場もまったく作れないまま13着に大敗し、これが結果的には彼にとって最後のGlとなった。
 
 しかし、8歳となったエルウェーウィンは、オープン特別のブラッドストーンSでまたも優勝し、アルゼンチン共和国杯での復活劇がまぐれではないことを証明した。それと同時に、2500mのアルゼンチン共和国杯に続いて2200mのこのレースを勝ったことは、エルウェーウィンに対するある疑い・・・実は、中長距離こそが得意距離だったのではないか、という疑問を差し挟むに十分なものだった。朝日杯を勝ったがゆえにマイラーと思われるようになったエルウェーウィンは、その後はアルゼンチン共和国杯までの間、有馬記念を除くと2000m以下のレースばかり使われていたのである。
 
 もしエルウェーウィンの適性が本当に中長距離にあったとしたら…?彼がそれまで歩んできたのは、あまりにも長くて遠い回り道だった。

『長すぎた時の終わり』

 実際には、エルウェーウィンの距離適性が本当の意味ではっきりすることはなかった。ブラッドストーンSの後、またも脚部不安を発症したエルウェーウィンは、10ヶ月の戦線離脱を余儀なくされたのである。
 
 次にターフへと帰ってきた時、エルウェーウィンはもう9歳になっていた。この年齢では、彼が完全に燃え尽きていたとしても、誰が責めることができるだろうか。
 
 エルウェーウィンは、9歳にして7戦、今度は距離が長めのレースを消化したものの、一度も掲示板に載ることすらないままに敗れ去っていった。エルウェーウィンの現役引退が決まった時、朝日杯の栄光からは既に5年8ヶ月の歳月が流れていた。そのころ北海道では新馬戦が始まり、かつてライバルだったビワハヤヒデの初年度産駒が競馬場でデビューしつつあった。
 
 エルウェーウィンの通算成績は40戦5勝、3歳時に朝日杯3歳S、7歳時にアルゼンチン共和国杯を勝った異色の個性派は、6年間の長きにわたる戦いの記録と記憶を残し、静かにターフを去っていった。

『苦難の道いまだ半ば』

 9歳にしてついに現役を引退したエルウェーウィンは、種牡馬入りの道が模索されたものの、これがなかなか平坦ではなかった。
 
 もちろん戦績が戦績だけに、大スタッドで華やかな記者会見とともに種牡馬入りが発表される・・・ということははじめから期待できなかった。しかし、エルウェーウィンの苦難はそんなものではなかった。種牡馬としての繋養先がなかなか決まらず、一部では種牡馬入りできるかどうかすらも危ぶまれた。ようやく「種牡馬入り決定」という報は流れたものの、その時エルウェーウィンの「繋養地」として漏れ出てきた情報は、サラブレッドの生産のイメージがほぼない滋賀県とされていた。北海道からわざわざ滋賀までエルウェーウィンの血を求める生産者が何人いるというのか。滋賀にサラブレッドの繁殖牝馬が何頭いるというのか。これでは、「種牡馬」といっても名ばかりでしかない。
 
 最終的には、エルウェーウィンの血統に注目して繋養しようというスタッドが現れ、エルウェーウィンは、なんとか北海道で種牡馬入りすることができた。
 
 エルウェーウィンは、亡きカーリアンの貴重な後継種牡馬として、最初の2年間はそこそこの需要を集めたようである。しかし、エルウェーウィンのもとに集まってきた繁殖牝馬の質は、必ずしも上等とはいえないものであり、2002年にデビューした産駒たちもさしたる結果を残すことができなかったことで、急速に忘れられていった。結局、JRAで勝利を挙げたエルウェーウィン産駒は、02年生まれのキープウインただ1頭に終わり、そのキープウインが引退した後は、JRAで登録されることすらなかった。

『ささやかな夢』

 エルウェーウィンは、種牡馬としては完全に失敗に終わってしまった。もともと期待値も高くはなかっただけに、産駒が重賞をひとつ勝つといったきっかけで評価が大きく化ける可能性はあったかもしれないが、そんなかすかな可能性が現実に変わることはなかった。
 
 とはいえ、その事実がエルウェーウィンの評価を貶めることにはならないだろう。確かに競馬は血のロマンであり、かつて活躍した名馬の子がターフに帰ってくるのを見ることは、「ブラッドスポーツ」として始まった競馬が持つ極めて根元的な魅力である。しかし、エルウェーウィンの場合、彼が見せた「奇跡の復活劇」はあまりに鮮やかであり、また突発的なものだった。有力な産駒が出なかったとはいえ、
 
「彼のドラマは彼1頭の中で完全に完結した」
 
と言い切れるとしたら、それはそれで痛快ではないだろうか。
 
 エルウェーウィンは、Gl勝ちの実績を持ちながら、我々から現役時代に「名馬」と認められることはなく、「名種牡馬」と呼ばれることもないまま終わってしまった。しかし、私たちは、強さとは違った次元で、彼のことを記憶にとどめ続ける。多くの名馬たちの栄枯盛衰を横に見ながら、自身はただ復活を目指して己の道で戦い続け、そしてそのささやかな夢を果たした馬として。広い競馬界には、そんな馬だっていてもいいはずである。

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