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メジロブライト列伝~羊蹄山に季節は巡り~

『秋の訪れ』

 こうして天皇賞馬となったメジロブライトは、ついに本格化して、現役最強馬への道を歩み始めたかに見えた。しかし、天皇賞・春で古馬中長距離戦線の頂点に立ったメジロブライトのその後は、決して順風満帆といえるものではなかった。

 メジロブライトは、天皇賞・春の次走として、父メジロライアンとの父子制覇の夢がかかった宝塚記念(Gl)に出走することになった。しかし、勝てば現役最強馬の地位を確固たるものとできるはずだったこの晴れ舞台で彼が見せたのは、あまりにも無残な背信の姿だった。

 メジロブライトは、発走直前にゲート内で立ち上がり、発走時刻を大きく遅らせた上に、外枠発走のペナルティーを受けてしまったのである。しかも、スタートの際にも大きく出遅れ、彼の馬券を握りしめたファンを絶望に陥れた。

 結局この日のメジロブライトは、見せ場もまったく作れないまま11着に終わった。重賞4連勝中だったメジロブライトの連勝は、デビュー以来初めて掲示板を外す大敗によって、あまりにも不本意に止まってしまった。

 宝塚記念の後放牧に出され、やがて戦場に帰ってきたメジロブライトを待っていたのは、激化する世代間抗争であり、特に台頭する新世代の強豪たちによる突き上げだった。

『迫りくる蹄音』

 復帰戦となった京都大賞典(Gll)では、宿敵シルクジャスティス、天皇賞・春に続いて宝塚記念でも2着に入ったステイゴールドも出走してきたが、そんな中で1番人気に支持されたメジロブライトの前に立ちはだかったのは、彼らではなかった。この春のクラシック戦線をにぎわし、皐月賞を制したセイウンスカイである。

 このレースでメジロブライトは、セイウンスカイと横山典弘騎手に絶妙のペースでの大逃げを許し、最後に猛追したものの、クビ差とらえ切れないままの2着に終わった。1歳下のクラシックホースで、後に菊花賞も勝って「最強世代」の二冠馬となるセイウンスカイに敗北したことは、今思えばメジロブライトが若い世代とこれから繰り広げるあくなき闘争の始まりだったのかもしれない。天皇賞・春の勝ち馬として新世代を迎え打つべき立場に立ったメジロブライトは、古馬を代表する強豪として、正面から彼らの挑戦を受けて立つべき宿命にあった。新時代の蹄音は、ひたひたとメジロブライトに迫りつつあった。だが、この時既にその事実に気づいていたものは、まだほとんどいなかった。

 京都大賞典の後、予定どおりに天皇賞・秋(Gl)に向かったメジロブライトは、サイレンススズカの大逃走とその後の悲劇で場内が騒然とする中、早めに動いて勝ちにいったものの反応が鈍く、5着にとどまった。このレースで勝ったのは、ナリタブライアン世代の生き残りとなる8歳馬のオフサイドトラップだった。

 天皇賞・秋に敗れたメジロブライトは、その後、ジャパンC(国際Gl)を回避して有馬記念(Gl)一本に絞ることになった。当時のローテーション、競馬界の常識上、本来は菊花賞へ向かう4歳馬の出走を想定していない京都大賞典、天皇賞・秋と異なり、ここは4歳馬も含めたすべての世代の決戦場となる。闘いの時は、すぐそこまで迫っていた。

『世代対決』

 有馬記念は、古馬中長距離戦線を戦ってきたトップ級の馬と、4歳戦線を戦ってきた4歳世代の強豪たちが激突する年末の大レースである。

 1998年4歳世代とは、近年の競馬の中でも有数の名馬たちを多数生み出した、黄金世代のひとつとして知られている。ただ、「4歳世代」のことを「クラシック世代」ということも多いが、この世代についてはそう言い切ることに語弊もあろう。この世代を代表する強豪には、クラシック戦線をにぎわしたセイウンスカイ、スペシャルウィークだけでなく、クラシックへの出走権がない外国産馬のエルコンドルパサー、グラスワンダーもいたからである。

 彼らのうち、有馬記念に出走してきたのは、皐月賞、菊花賞を制した二冠馬であり、京都大賞典ではメジロブライトをはじめとする古馬の一線級を封じ込めているセイウンスカイと、復活を目指す前年の3歳王者グラスワンダーだった。他に、クラシック無冠に終わったものの、当時はクラシック二強と並ぶ評価を得ていたキングヘイローの姿もあった。

 この年天皇賞・春を制したメジロブライトは、古馬中長距離路線の代表格として、そんな新世代の若い力を迎え打つべき立場にあった。古馬たちのメンバーを見ても、この日が引退レースとなる女帝エアグルーヴ、天皇賞・秋を勝ったオフサイドトラップ、そしてメジロブライトと同世代でしのぎを削りあったシルクジャスティス、マチカネフクキタル、ステイゴールドといった馬たちが揃い、当時として望み得るベストメンバーに近いものだった。

 メジロブライトは、このメンバーの中で、セイウンスカイ、エアグルーヴに次ぐ3番人気に支持された。長距離での安定した戦績から見れば、十分うなずける評価である。台頭する新世代に対し、経験十分な古馬の実力を見せること―それが、メジロブライトに課せられた使命だった。

 しかし、メジロブライトがこの日までに積み上げてきた17戦のキャリアには、ある特徴があった。そして、その特徴は、メジロブライトからこの日―そして、それから先の勝機を奪っていくものだった…。

『蘇ったウィークポイント』

 有馬記念のレースを作ったのは、京都大賞典に続いて菊花賞をも逃げ切った二冠馬セイウンスカイだった。セイウンスカイは、自分の実力で流れを作り、前の馬に有利なレースを形成することができる「強い逃げ馬」ということができる。

 メジロブライトがこれまで戦ってきた「強い逃げ馬」といえば、セイウンスカイの他には、大西直宏騎手との名コンビで限界のレースをつくりあげ、皐月賞、日本ダービーの二冠を奪取したサニーブライアンと、無人の野をゆく圧倒的なスピードでターフを駆け抜けたサイレンススズカがいたが、セイウンスカイは、彼らにも負けず劣らずの強い逃げ馬だった。そして… メジロブライトの戦績をみると、こうした「強い逃げ馬」と一緒に走ったレースでは、彼は1勝もあげることができていない。

「自分でレースを作れない」

 これは、ダービーの頃にはしきりにいわれていたメジロブライトの弱点だった。その弱点は、5歳春の活躍によって表立って言われることは少なくなった。だが、それはメジロブライトが弱点を克服したからではなく、自らレースを作れなくとも勝てる展開が続き、あるいはそのこととは無関係な敗因で敗れることが続いたからにすぎない。セイウンスカイの登場は、そんな弱点を思い起こさせるものだった。

 いつものように後方からの競馬を進めた河内騎手だったが、大逃げとなったセイウンスカイを見て何かを察し、この日は第3コーナー付近から強引なまくりを仕掛けていった。強い逃げ馬が作ったペースの中でこの馬が勝つには、早めに仕掛けてその差を詰めておくしかない。前年のクラシックではメジロブライトに騎乗していなかった河内騎手だが、あらかじめ読んでいたのか、それとも騎手としての勘で感じ取ったのか。いずれにしろ、この日の彼の騎乗は、考え得るあらゆる騎乗の中でも、おそらくは最善に近いものだった。

 河内騎手の好判断もあり、メジロブライトは第4コーナーから直線入り口では中団まで押し上げてきていた。レースを作ったセイウンスカイは、失速するかと見せてながらしぶとく粘り、豪華すぎる脇役たちではとらえることができない。だが、メジロブライトの末脚なら―。事実、直線に入ってからもセイウンスカイとメジロブライトとの差は縮まる一方で、ゴールまでにかわすことは明らかに見えた。

 しかし、彼らの2、3馬身ほど前にいたのは、セイウンスカイだけではなかった。この時、河内騎手とメジロブライトの目には、彼らよりもひとあし早く、セイウンスカイの鈍色の馬体をとらえる黄金色の背中がはっきりと映っていた。

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