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メジロブライト列伝~羊蹄山に季節は巡り~

『絶望の底から』

 この日、メジロブライトの鞍上に松永騎手の姿はなく、代わって河内洋騎手がその手綱を取っていた。松永騎手は、この日WSJSへの出場が決まっていたため、関西に残らざるを得なかったのである。そのため、メジロブライトのステイヤーズSへの出走も、

「世間から批判されての乗り替わりではなく、WSJSを口実に円満な乗り替わりを演出するためのレース選択だったのではないか」

という穿った見方までされたほどである。

 さらに、ステイヤーズS当日、中山競馬場は大雨に見舞われた。ただでさえスタミナ勝負となる距離に加え、馬場状態までが力のいる重馬場となったことにより、このレースは、まさにその名のとおり、究極のステイヤー適性を問われる戦場となった。「中距離馬」のレッテルを貼られた上、やや重のスプリングSで敗れたことがあるメジロブライトにとっては、決して有利な条件とは思えなかった。

『雨の中の再出発』

 だが、新しいパートナーとともに過酷な戦場へ向かったメジロブライトは、見事に甦った。…いや、「過酷な戦場」というのは正しくないかもしれない。他の馬たちにとって過酷な戦場であるはずの距離と重馬場だったが、ことメジロブライトにとっては、これらのすべてが新しいメジロブライトに生まれ変わるための転機となった。

 この日も例によって後方からの競馬となったメジロブライトだったが、この日の競馬はこれまでとは違っていた。それまでは動きを見せなかったはずの向こう正面で、他の馬たちが次々と息切れして脱落していく中、メジロブライトだけはまくり気味に進出していったのである。彼のこの時の走りは、他の馬たちとはまったく次元が異なるものだった。

 直線に入って先頭に立ったメジロブライトは、その後も容赦なく後続を突き放し、完全な独走態勢を築いていった。メジロブライトの大独走劇に、雨中の中山競馬場は、轟音のような喚声に包まれた。

 結局、メジロブライトがゴールまでに2着アドマイヤラピスにつけた差は約12馬身、タイム差にして1秒8という驚異的なものだった。

「あの馬、バテるっていうことを知らないのか」

 この日、他の馬に騎乗していたある騎手は、メジロブライトについて、レース後にこう漏らして絶句した。究極のスタミナとパワーが必要とされるレースで見せた圧倒的な強さ。河内騎手との新コンビ結成は、メジロブライトにとって新して境地を開拓したようだった。この後、河内騎手はメジロブライトの新たな主戦騎手として、その後の戦いを共にすることになった。

『盾へと続く道』

 ステイヤーズSの勝利だけではまだメジロブライトに対する懐疑的な声も根強かったが、その後のメジロブライトの実績は、そうした声を完全に封じ込めるものだった。

 ステイヤーズSの後も厩舎に残り、他の一線級の馬たちが休養に入った厳寒期も実戦を使われたメジロブライトは、まずAJC杯(Gll)でローゼンカバリー、イシノサンデー、マイネルブリッジといった相手を問題にせず、幸先の良い1998年のスタートを切った。

 次走の阪神大賞典(Gll)では、前年の有馬記念馬シルクジャスティスとの激突となったが、メジロブライトはこの直接対決をも制した。前年の有馬記念でマーベラスサンデー、エアグルーヴといった当時のトップクラスの古馬たちを差し切ったシルクジャスティスは、マーベラスサンデーが引退し、エアグルーヴも天皇賞・春の回避が濃厚な情勢の中で、天皇賞・春の最有力候補と見られていた。直線では、そんな同世代の強豪との2頭並んでの叩き合いとなったが、一歩先に抜け出したシルクジャスティスに対し、メジロブライトは最後の最後まで追い出しを我慢したことが功を奏し、わずかに14cm差し切った。

 相手に久々の実戦と1kgの斤量差があったとはいえ、前哨戦で眼下のライバルを破って重賞3連勝を飾ったメジロブライトは、最高の形で天皇賞・春に向かった。天皇賞・春― それは、浅見師がステイヤーズSを使った時から最大の目標として視野に入れていたレースだった。

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