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タレンティドガール列伝 ~秋の淀に咲いた才媛~

『揺れ動く凪』

 オークスの後、しばらく休養に入ったタレンティドガールは、3ヶ月後に北の地で復帰した。オークス3着とはいっても、本賞金に反映される実績は未勝利戦、400万下で挙げた2勝だけ、重賞で2着以上に入った実績がないタレンティドガールは、自己条件となる900万下級に戻って函館の漁火特別(900万下特別)から始動した。

 ここで1番人気に応えて4馬身差で圧勝したタレンティドガールは、続いてクイーンS(Glll)へと出走した。1987年4歳牝馬三冠戦線は、牝馬三冠最後の一冠・エリザベス女王杯に向けて大きく動き始めており、このレースもエリザベス女王杯へ続くステップレースのひとつと位置づけられていた。

 10頭の出走馬のうち重賞勝ちの経験を持つのが1頭だけ、という情勢の中、オークス3着の実績を持ち、前走では古馬を破ったタレンティドガールは1番人気に支持された。

 しかし、このレースで勝ち名乗りをあげたのは、「才媛」ではなく「強い女」・・・タレンティドガールではなくストロングレディーだった。内を衝いて一歩先に抜け出したストロングレディーに対し、大外を回ったタレンティドガールは約2馬身の差を詰めきれなかったばかりか、ダイナシルエットにも遅れる3着に敗れた。

 他のレースを見ると、サファイヤS(Glll)は人気薄のマルブツロンリーが制してファンを驚かせたものの、この馬は2400mの距離を敬遠してスワンS(Gll)に回った。本番に向けて注目を集めたのは、最後のステップレースとなったローズS(Gll)の結果・・・というよりも、ここに出走してきたマックスビューティただ1頭だった。

『死角なき女王』

 マックスビューティは、ローズSを当然のように勝った。4歳初戦のバイオレットS(OP)を勝ったのを皮切りに、これで桜花賞、オークスを含めて8連勝である。同世代の牝馬たちをことごとく屠っただけでなく、秋の初戦となった神戸新聞杯では、皐月賞2着のゴールドシチー、ダービー3着のニホンピロマーチをはじめとする牡馬たちもなぎ倒した彼女に、

「マックスビューティの優位は不動・・・」
「牝馬三冠を阻む者なし・・・」

という声が出るのは当たり前のことだった。

 エリザベス女王杯当日、マックスビューティは単勝120円の圧倒的1番人気に支持された。1987年になって無敗の8連勝で史上2頭めとなる牝馬三冠の最終関門に挑む彼女に、死角はなかった。

 それに対し、前哨戦の敗戦で評価を落としたタレンティドガールがその後本番までに注目を集めたといえば、2週間前の天皇賞・秋(Gl)を、半兄のニッポーテイオーが制したことくらいだった。無論、その事実によって、タレンティドガールにも「母チヨダマサコの血統の底力が証明された」という評価をすることはできる。だが、そうは言っても、しょせんは彼女自身ではなく兄の実績である。他力本願で主役になることはできない。単勝1230円の4番人気は、マックスビューティはもちろんのこと、クイーンSで先着を許したダイナシルエット、ストロングレディーにも遅れをとっていた。・・・後にはタマモクロスの妹ミヤマポピー(88年)、サクラチトセオーの妹サクラキャンドル(95年)らの勝利によって「名馬の妹が活躍する・・・」などと言われるようになったエリザベス女王杯だが、当時はカブラヤオーの妹ミスカブラヤ(79年)くらいしか例がなく、そのようなジンクスはささやかれていなかった。

『燃える思い』

 もっとも、タレンティドガール陣営には、ファンの評価とは違った思いを持つ人々がいた。まずは、天皇賞・秋をニッポーテイオーが勝った喜びに沸く、生まれ故郷の千代田牧場である。ニッポーテイオーは、前年のマイルCS(Gl)、この年の安田記念(Gl)、宝塚記念(Gl)とGlで2着が3度続いていた末のGl初制覇だっただけに、その喜びは大きかった。さらに、その翌週にはニッポーテイオー、タレンティドガールの姉にあたるスリードーターが条件戦を勝っている。

「ニッポーテイオー、スリードーターに続いて、タレンティドガールも頑張ってほしい・・・」

 くしくもこの年は、「タレンティドガール」の名前の由来となった娘の13回忌だった。さらに、エリザベス女王杯当日は月命日でもある。奇縁を感じた千代田牧場の人々は、タレンティドガールに願いを託するために、京都競馬場へと駆けつけていた。

 おそらく、千代田牧場の人々よりさらに強い思いでこの日のレースに臨んでいたのが、蛯沢騎手であろう。蛯沢騎手は、この日の目標を、最初からひとつに絞っていた。

「着はいらない、あの馬を倒す!」

 蛯沢騎手が考えたのは、ある意味非常に簡単な理屈だった。

「勝利に近づく一番手っ取り早い方法は、一番強い馬を倒すことだ・・・」

 彼の目には、大本命の二冠牝馬・マックスビューティの姿しか映っていなかった。

『閃きに賭ける』

 蛯沢騎手の理屈は、実際にはなかなか現実のものとはならない。展開が変わるだけであっさり崩れるような1番人気では、倒したところで勝利にはつながらない。展開無用の1番人気が相手になると、力のない馬では、どう乗ったところで勝てないことがほとんどである。だが、マックスビューティとタレンティドガール・・・この2頭は、あらゆる条件が揃いすぎていた。

 1987年は8戦8勝、そして桜花賞を8馬身差、オークスを2馬身半差で制している二冠牝馬マックスビューティが展開無用の強さと安定性を誇ることについては、誰も疑いようがない。そのマックスビューティを倒すことは、普通の方法では無理である。しかし、蛯沢騎手にはひとつの確信があった。マックスビューティと戦ったただ1度の騎乗・・・オークスで得た手応えと予感が、彼の頭にある閃きをもたらしたのである。

 タレンティドガールは、スタート直後から大本命馬のすぐそばにつけた。蛯沢騎手は

「もし出遅れたら、直線だけの競馬をするしかない」

と思っていたというが、そうはならなかったことで、マックスビューティを徹底的にマークすることができた。

 さらに、この日のマックスビューティは、行きたがる気持ちが前面に出すぎて、田原騎手の手綱でも抑え切れない状態になっていた。それに対して蛯沢騎手は、この日のペースをスローと読み切っていた。

「ためていけば、35秒台の脚が使えるはず・・・」

 タレンティドガールの末脚を信じる蛯沢騎手は、ひたすらに馬との折り合いをつけることに専念していた。

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