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阪神3歳牝馬S勝ち馬列伝~仁川早春物語(下)~

『芽吹きの季節』

 やががて、池添厩舎に入厩してデビューに向けた調教を始めたヤマカツスズランは、牝馬にしては大柄で500kg前後の体格があったが、いったん走り始めると、素直な気性もあって仕上がりは早く、夏の小倉でのデビューを果たした。

 デビュー戦当初にヤマカツスズランの背中にいたのは、アインブライドの主戦騎手でもあった古川吉洋騎手だった。古川騎手と臨んだデビュー戦で3着、折り返しの新馬戦を6馬身差で優勝して小倉遠征を終えたヤマカツスズランは、阪神開催に戻ると、デビュー3戦目となるききょうS(OP)では、池添師の息子である池添謙一騎手と初めてのコンビを組んだ。

 池添騎手は、前年の1998年に騎手としてデビューすると、いきなり38勝を挙げて新人賞を獲得した。99年も27勝を挙げており、この時点で既に父親の平場での通算勝利数(55勝)を超えている。

 そんな池添騎手とのコンビでききょうSを3馬身差で勝ったことで、ヤマカツスズランの道は大きく拓けた。通算3戦2勝、しかもOP勝ちを飾ったことで、進むべきローテーションの自由度は、大きく高まった。

 池添師は、ヤマカツスズランを阪神3歳牝馬Sに挑戦させることにした。3月に開業したばかりの池添厩舎では、引退した調教師らから引き継いだ馬でGlどころか重賞すらまだ1度しか出走していなかった。しかし、池添氏自身が見出したヤマカツスズランなら、夢を見ることができる。その鞍上が自分の息子であれば、文句のつけようがない…。

『M.キネーン』

 もっとも、そんな池添師の夢は、この時点ではかなわなかった。池添騎手が阪神3歳牝馬Sの3週間前の開催で斜行による降着となり、騎乗停止処分を受けてしまったのである。阪神3歳牝馬Sでヤマカツスズランに騎乗することは、レースを待たずして不可能になってしまったため、池添師は、やむなく…と言っては語弊もあろうが、ワールドスーパージョッキーズシリーズ等のために来日していたM.キネーン騎手に依頼をすることにした。

 M.キネーン騎手は、この時点までに既に凱旋門賞をキャロルハウス(89年)とMontjeu(99年)、英国ダービーをコマンダーインチーフ(93年)、キングジョージをBelmez(90年)、King’s Theatre(94年)で勝ち、世界的な名騎手という評価を得ていた。余談ではあるが、2009年の引退までに、さらに英ダービー2勝、愛ダービー2勝、凱旋門賞1勝、キングジョージ3勝、ブリーダーズCターフ2勝などの勝ち鞍を積み上げることになる。

 そんなキネーン騎手が、阪神3歳牝馬S当日、WSJSのために阪神競馬場で騎乗するが、メインレースである阪神3歳牝馬Sでの乗り鞍は決まっていないという。ちなみに、キネーン騎手は、その1週間前も日本で騎乗するが、この時はジャパンCに凱旋門賞馬Montjeuで騎乗するための来日であり、当然のことながら東京での騎乗である。

 これは、池添師にとってはとてつもない僥倖だった。手腕と実績もさることながら、翌年のクラシック戦線で再び池添騎手に戻すこととの兼ね合いも含めて、キネーン騎手という選択肢は、実に都合の良いものだった。

『世界の圧力』

 阪神3歳牝馬S当日の人気は、単勝420円のヤマカツスズランが1番人気に推され、マヤノメイビー460円、ゲイリーファンキー500円、エンゼルカロ720円、アルーリングアクト900円、ウォーターポラリス920円と、6頭が単勝10倍を切る混戦模様となった。

 この日の池添師は、キネーン騎手に対して

「前に行ってください」

と指示を出したという。しかし、他の出走馬たちがやすやすそれを許してくれるかどうかは分からない。中でもテネシーガールは、6戦2勝2着2回のうち、逃げたレースは連対率100%、そうでないレースは0%という実に分かりやすい実績である。

「そうそうたやすく逃げさせてはもらえない…」

「下手をすれば、逃げ馬同士の潰し合いになる可能性も十分にある」

というのが、一般の予想だった。

 しかし、世界の名手は至極冷静だった。キネーン騎手は、池添師から事前に魅せられたヤマカツスズランのレースのVTRや実際に騎乗してみての印象から、ヤマカツスズランの卓越した先行力と折り合いのつく賢さを感じていた。この馬ならば、スタートから強く押してハナを切れるし、そうしても折り合いはつけられる。

 しかも、周囲の先行馬たちは、ヤマカツスズランの動きをうかがうばかりで、敢然とハナを切ろうとする彼女に本気で競りかけてくる様子はない。キネーン騎手の技術とヤマカツスズランの先行力を恐れるばかりである。

 そうであればなおさら、遠慮なく前に行かせてもらう…。キネーン騎手は、思い切ってヤマカツスズランを行かせた。キネーン騎手がにらんだ通り、他の先行馬たちはそれでも控えたままである。キネーン騎手は、周囲の反応を確認すると、今度はヤマカツスズランを抑え、レースの流れを落ち着かせることに成功した。

『新女王、誕生』

 キネーン騎手の手綱で単騎逃げのままマイペースに持ち込んだヤマカツスズランは、先頭を一度も譲らないまま、第4コーナーを回って直線へと入っていった。先手争いでヤマカツスズランに譲った結果、レースの主導権まで渡してしまったことを知ってか知らずか、2番手集団のテネシーガール、ウォーターポラリスが差を詰めてくる。だが、後続の馬群がヤマカツスズランを飲み込むかに見えたその時、キネーン騎手の手が動き、ヤマカツスズランに再度のゴーサインが出た。すると、ヤマカツスズランもキネーン騎手の意思に応え、一気に加速する。

 キネーン騎手は、レース後に

「仕掛けてスピードがグッと上がった時、勝ったと思いました」

と語った。ヤマカツスズランが他の馬を置き去りにして、後続との差を3、4馬身まで広げると、2番手グループの脚は完全に止まった。中団から脚を伸ばしたゲイリーファンキーがその差をようやく2馬身まで縮めたところが、栄光のゴールだった。

 こうしてヤマカツスズランは、阪神3歳牝馬Sを制し、JRAの3歳女王に輝いたのである。

 ちなみに、ひだかトレーニングセール出身のヤマカツスズランがGlを勝ったことで、売り手の馬産家、買い手の馬主や調教師らの間でのこのセール、そして日本でのトレーニングセールの認知度が大きく高まったとも言われている。それまでほとんどのホースマンたちにとって、海外、つまり外国産馬の購入時しか関係ないイベントだったトレーニングセールは、日本でも始まったと言いつつ小規模なものに過ぎなかったが、この頃から参加者の増加によって規模が拡大していったことは、競馬史の中でも決して小さくない出来事だった。

『消えた夢』

 レース後にキネーン騎手が語ったヤマカツスズランへの評価は、非常に高いものだった。

「現時点で、他の牝馬がこの馬を負かすのは難しいと思います」

 3歳女王の栄冠に加え、世界的名手のお墨付きまでもらったヤマカツスズランが、翌年の牝馬クラシック戦線の中心になることは、もはや必然と思われた。

 しかし、好事魔多し。桜花賞、そしてオークスに向けて期待に燃えていた池添厩舎に冷水がぶっかけられたのは、年明け早々のことだった。ヤマカツスズランが、調教中に左第3中手骨々折を発症したのである。

 患部をボルトで固定する手術を受けたヤマカツスズランの経過は順調だったものの、池添騎手を鞍上に復帰させることまで決まっていた彼女の牝馬クラシックは、この時点で絶望となった。

 ヤマカツスズランがいない2000年牝馬クラシック戦線は、桜花賞がチアズグレイス、オークスがシルクプリマドンナの勝利に終わった。特に桜花賞は、阪神3歳牝馬Sでは0秒5差の4着だったチアズグレイスが勝ち、阪神3歳牝馬Sで3着だったマヤノメイビーが2着に入っている。桜花賞は、阪神3歳牝馬Sと同じ阪神芝1600mコースだけあって、勝ち馬のヤマカツスズランが出走できていれば…という思いが残るのもやむを得ない。

 だが、実際には、出走できなかった馬に勝利の可能性はない。ヤマカツスズランの4歳春は、無念とともに過ぎていった。

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