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阪神3歳牝馬S勝ち馬列伝~仁川早春物語(下)~

~スティンガー~
1996年5月15日生。牝。鹿。藤澤和雄厩舎(美浦)。
父サンデーサイレンス、母レガシーオブストレングス(母父Afirmed)社台ファーム(早来)。
3~7歳時21戦7勝。阪神3歳牝馬S(Gl)、京王杯スプリングC(Gll)2度、4歳牝馬特別・東(Gll)、京都牝馬特別(Glll)優勝。

『太く長く』

 概して早熟なイメージが強い阪神3歳牝馬Sの勝ち馬たちの中で、1998年の勝ち馬スティンガーは、99年の勝ち馬ヤマカツスズランと並んで、阪神3歳牝馬S以降も長く活躍したと言える。

 スティンガーの3歳女王への登頂自体は、阪神3歳牝馬Sの歴代勝ち馬たちの中でもずば抜けて早かった。彼女が阪神3歳牝馬Sを制してGl馬の仲間入りを果たしたのは、デビューからわずか29日目のことである。それも、新馬戦を勝った後、中2週で赤松賞(500万下)を勝ち、翌週に連闘で阪神3歳牝馬Sを制するという異例ずくめのローテーションは、ファンに驚きと衝撃をもたらした。

 しかし、スティンガーが特異だったのはむしろその後である。これほどの早熟さを見せながら、4歳時はもちろん古馬になってからも長らく一線級で走り続け、7歳で引退するまでの間、再びGl制覇することこそできなかったものの、京王杯スプリングC(Gll)2勝、4歳牝馬特別・東(Gll)、京都牝馬特別(Glll)と重賞4勝を挙げ、ラストランとなった高松宮記念(Gl)でも3着という実績を残したのは、当時の牝馬の戦績としては、極めてまれといってよい。

 このように、スティンガーは、3歳から7歳までの長期間にわたってトップクラスの実力を維持し続け、牝馬限定戦に限らず牡牝混合戦でも実績を残して単なる「Gl1勝馬」にとどまらない残像をファンに焼きつけた。また、前記の「連闘で阪神3歳牝馬S制覇」にとどまらず、いくつもの異例のローテーションによって競馬界に波紋を投げかけ続け、それでいて一流の戦績を残したのである。

『目立たぬ存在』

 スティンガーは、1996年5月15日、早来の社台ファームで生まれた。父は89年の米国年度代表馬にして、日本競馬の歴史を変えた大種牡馬でもあるサンデーサイレンスであり、母はやはり米国で走って17戦1勝の戦績を残したレガシーオブストレングスである。

 父母の戦績だけを並べるといかにも不釣合いな2頭にも見えるが、母レガシーストレングスの父は米国三冠馬Affirmedであり、母もやはり米国で重賞を含む11勝を挙げたKatonkaというから、母も血統面では抜群の良血馬である。さらに言うならば、初年度産駒が95年にデビューしたサンデーサイレンスの種牡馬成績は今さら触れるまでもないが、レーシーオブストレングスも、日本に輸入されてから初めて生んだ持込馬レガシーオブゼルダ(父Buckaroo)がOP入りを果たし、スティンガーの4歳上の全姉となるサイレントハピネスも重賞2勝を挙げたことで、血統に対する評価が急上昇していた。両親とも注目の血統から生まれたスティンガーは、皆の注目を集める存在・・・となるはずだった。

 ところが、牧場関係者によると、社台ファーム時代のスティンガーは

「手のかからない子馬であり、またそのことしか印象に残っていない」

という。前者はともかく、後者は一流馬の評判にそぐわない。幼駒時代の評判だけならば、全姉のサイレントハピネスの方がよほど高かったという。

 ちなみに、結果論ではあるが、96年に社台ファームが生産したサラブレッドからは、スティンガー以外にGl馬は出ていない。育成時代の世代一番の期待馬は、チョウカイリョウガだったとされている。…この世代に混じって「目立つことは何もなかった」というスティンガーが、単なるGl馬ではなく、短中距離界で長く一流馬として活躍するのだから、競馬とは走ってみなければ分からないものである。

『自分だけの道』

 そんなスティンガーを預かることになったのは、かつてサイレントハピネスも管理した関東のトップトレーナー・藤澤和雄調教師だった。

 藤澤師は、スティンガーについて

「姉よりスケールは上かもしれない」

と、早くから重賞2勝をあげた全姉を引き合いに出しており、少なくとも社台ファームの人々よりは高く評価していた。藤澤師によると、サイレントハピネスは長い距離をこなすタイプなのに対し、スティンガーは短い距離を全力で走るタイプであり、全姉妹でありながら対照的な存在である一方、挙げた4勝がすべて1400m以下であり、生涯30戦のうち1800m以上のレースに出走したのは2戦だけ、という半兄レガシーオブゼルダほど極端なスピードタイプでもないと感じたという。

「スピードが勝っているタイプであることは間違いないだけに、最初からスプリントやマイルの競馬を覚えさせてしまったら、それより長い距離のレースへの対応ができなくなってしまう」

と考えた藤澤師は、デビュー戦としてあえて長めの距離のレースを選び、騎手には若駒に競馬を教え込む騎乗に定評がある岡部幸雄騎手を起用することにした。岡部騎手は、かつてレガシーオブゼルダの主戦騎手でもあったが、スティンガーに初めて騎乗した直後、

「この馬は、兄とは違って、距離が短すぎない方がいいね」

と、奇しくも藤澤師の考えと同じ意見を述べたという。

『順調すぎた船出』

 スティンガーのデビュー戦は、藤澤師と岡部騎手の話し合いもあって、1998年11月8日東京競馬場、芝1800mの新馬戦に決まった。

「藤澤厩舎の良血馬、鞍上が岡部騎手」というのは、当時の競馬界では無条件に人気を集めるパターンで、デビュー戦のスティンガーも単勝190円の1番人気に支持されている。

 競馬に使われたことがない若駒にとって、デビュー段階での最大の不安は、距離と折り合いである。しかし、スティンガーは、スローな流れの中でかかってしまうこともなく、折り合いをつけてレースを進めた。そして、直線ではいきなり上がり3ハロン34秒9の末脚を披露し、人気を裏切ることなくデビュー勝ちを飾った。2着との着差こそ半馬身と大きくはなかったものの、岡部騎手は

「なかなかいいセンスをしている。磨けば光る素質を持っている」

と、スティンガーの初めての競馬に確かな手応えを感じていた。

 藤澤師も、新馬戦のレースを見て、スティンガーに向ける思いが、期待から確信へと変わってゆくのを感じていた。・・・だが、そんな彼が考えていたスティンガーの未来図は、誰もが想像しないものだった。

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