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メリーナイス列伝~戦友の死を乗り越えて~

『春の蹉跌』

 こうしてサクラロータリーなき後の朝日杯をメリーナイスが制した1987年クラシック世代だったが、この世代における有力馬の故障は、サクラロータリーだけにとどまらなかった。関西でデイリー杯3歳Sをはじめとする3戦3勝の戦績を残していたダイナサンキューも、やはり故障のため引退を余儀なくされ、本命なき阪神3歳S(Gl)は、3番人気のゴールドシチーが制したのである。東西のクラシック戦線の最有力候補の相次ぐ挫折に、三冠の構図は、俄然混戦模様となっていった。

 朝日杯を勝った東の3歳王者のメリーナイス、そして阪神3歳Sを勝ち、西の3歳王者となったゴールドシチーは、ファンからは「Gl馬といっても、今ひとつ信頼感に欠ける」とみられていた。

 東西の3歳王者は、ともに4歳緒戦として皐月賞トライアルのスプリングS(Gll)を選んだことから、クラシック本番を前に、両馬の激突が見られることになった。しかし、ファンの間では彼らの対決はほとんど話題となることもなく、その単勝も、トライアルであるにもかかわらずメリーナイスが2番人気、ゴールドシチーに至っては5番人気という辛いものだった。

 しかも、3歳王者たちは、この低い評価にふてくされたのか、ただでさえ王者にふさわしくなかった人気よりさらに下の着順に沈んでしまった。ゴールドシチーが6着、メリーナイスが9着という結果は、3歳王者の4歳初戦としてはあまりにも無残なものといわなければならなかった。

 メリーナイスが大敗したことの背景には、調整過程で外傷が化膿したり、骨瘤を発症したり、とトラブルが相次いで順調さを欠いたというハンデもあった。ただ、だからといってこれほど負けてしまったのでは、3歳王者の言い訳にはならない。このような結果では「クラシックの主役」の称号を奪回することなどできようはずもなく、彼らの評価は逆に地に堕ちてしまった。

『戻らぬ評判』

 だが、クラシックを目の前にして、主役の座が空白であることを許しておくほど、競馬ファンは寛容ではなかった。彼らの目は、同じレースの第3コーナー辺りで、ブービーの馬からもさらに5馬身ほど遅れたシンガリにいたにもかかわらず、直線だけで全馬を差し切る離れ業を演じた馬へと注がれた。

 桁違いの瞬発力で壮絶な差し切り勝ちを収めたその馬・・・マティリアルは、この日の勝利で通算成績を4戦3勝3着1回とした。マティリアルは名門シンボリ牧場の生産馬であり、血統が「父パーソロン、母父スピードシンボリ」といえば、3年前に圧倒的な強さで三冠を制した「絶対皇帝」シンボリルドルフをいやがおうにも思い出させてくれた。絶対皇帝とまったく同じ血統的配合から生まれたマティリアルには、シンボリ牧場の牡馬の生産馬に必ずつくはずの「シンボリ」の冠名がついていない。それは、生まれた直後から将来の海外遠征を見越して、世界に通用する馬名をつけたいということであえてつけなかったから、とされていた。そんな評判が流れることで、マティリアルの株は暴騰した。

「マティリアルはとんでもない大物だ!」

 かくしてマティリアルは、牡馬クラシック第一弾・皐月賞を前にして、一躍スターダムに押し上げられた。暴落したメリーナイスの評価とは、あまりにも対照的だった。

 だが、1番人気を背負った皐月賞(Gl)で、そのマティリアルは、激しく追い込んだものの、末脚及ばずの3着に終わった。見事な差し切り勝ちを演じたのは、弥生賞の勝ち馬で2番人気のサクラスターオーだった。また、2着に入ったのは11番人気まで人気を下げていた西の3歳王者ゴールドシチーだった。

 この日のレース内容は、勝ったサクラスターオーはもちろんのこと、敗れたとはいえ2着のゴールドシチーは「西の3歳王者」、マティリアルもまた「皐月賞1番人気」の面目を施すもので、彼らのダービーでの反攻を予感させるものだった。

 ・・・しかし、この激走で名誉を回復した西の3歳王者をよそに、東の3歳王者は、8番人気よりひとつ上の7着が精一杯だった。数字に表れる3歳王者の不振は、非常に根深いものに思われた。

『素晴らしき特典』

 ただ、メリーナイスの主戦騎手である根本騎手は、皐月賞の大敗後も、ダービーに向けてまったく悲観していなかった。彼は、皐月賞の敗因を、自分がマティリアルのマークにこだわりすぎた結果、脚を余してしまったからだと知っていた。7着に敗れたとはいえ、追い始めてからは、メリーナイスは後方からよく伸びた。勝ち馬との差も、0秒4しかない。2着に2馬身半差をつけて勝ったサクラスターオーはともかくとして、2着ゴールドシチーからメリーナイスまでの着差は、アタマ、アタマ、クビ、ハナ、クビというものだった。

 しかも、その中でもサクラスターオーは、皐月賞の後に脚部不安を発症し、ダービーを回避することになった。

「サクラスターオーのいないダービーならば、十分に勝てる可能性もある!」

 それが、根本騎手の皮算用だった。

 ところで、この年のダービーには、例年にはない特典が付いていた。競走馬「オラシオン」と彼を取り巻く人々の人間模様を描いた宮本輝の小説「優駿」が映画化されることになり、競馬のイメージアップ戦略を進めるJRAも、撮影に全面協力することになったのである。

 「優駿」のクライマックスは、牧場関係者の思いを乗せた「オラシオン」が出走する日本ダービーであり、ここで「オラシオン」は、ライバルたちをねじ伏せて同世代のチャンピオンに輝く。

 映画の成否を決めると言っても過言ではない迫力のあるレースシーンは、セットではとても撮影できないだろうということで、日本ダービーを前に、映画の日本ダービーにはこの年の実際のダービーの映像を流用するとされ、大々的に宣伝されていた。さらに勝ち馬は「オラシオン」のモデルとなり、原作では青鹿毛とされる「オラシオン」は、誕生からダービー制覇まで、勝ち馬ないし同じ毛色の馬で撮影を進めていくという。

 この年の日本ダービー勝ち馬は、「オラシオン」として映画のモデルとなり、その勝利のシーンは映画のクライマックスとして、全国の映画館で繰り返し上映されることになる。それは、競馬界の歴史に類を見ない試みだった。

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