タカラスチール列伝~想い出ぬすびと~
『見えなかった実像』
新春4歳牝馬S、クイーンCを連勝して勢いに乗るタカラスチールは、桜花賞のトライアルレースのひとつとされる4歳牝馬特別・西(Gll)へと向かった。坂本厩舎の歴史上最高の名馬というべきタマミとまったく同じローテーションで、目指すは桜花賞ただひとつである。
4歳牝馬特別・西でタカラスチールの前に立ちはだかったのは、トウショウボーイ産駒で前走のエルフィンS(OP)を含めて3戦3勝のラッキーオカメや、前年に函館3歳S、テレビ東京杯3歳牝馬Sでタカラスチールを2度破っているエルプス、4戦2勝、連対率100%のアイランドゴッデスといったライバルたちだったが、桜花賞で有力視される強豪が集結したこのレースで、タカラスチールはライバルたちを抑え、堂々の1番人気に支持された。
・・・しかし、タカラスチールは、このレースで3着に敗れた。ハナを切ったレースでは負けたことのないエルプスを好位から追走したものの、直線入口で「物見をして」(木藤隆行騎手)外によれたエルプスと接触する不運もあって、いったん失速してしまった。その後再び追い上げたタカラスチールだったが、結局エルプスはもちろん伏兵ロイヤルコスマーをもとらえることができなかったのである。タカラスチールとエルプスが同じレースに出走するのはこれが3度目だったが、函館3歳S、テレビ東京杯3歳牝馬S、そして4歳牝馬特別・西とすべてエルプスに敗れたという事実は、桜花賞を目指すタカラスチールにとって、決して軽いものではなかった。
ただ、ファンは「3戦3敗」という戦績を、タカラスチールがエルプスに劣る証とは見ていなかった。タカラスチール自身、3歳末以降に無名馬から急成長した馬である。台頭する前の3歳時の戦績を重視しすぎると、痛い目にあう。さらに4歳牝馬特別・西でも、第4コーナーでエルプスと接触して勢いを殺されたという悲運もあって、
「エルプスとの勝負づけは、まだ終わっていない・・・」
「いや、むしろ強い競馬をしたのはタカラスチールの方だ」
という声も根強くあがっていた。結局、「桜花賞の最有力候補」という呼び声は敗北によっても揺るぐことなく、タカラスチールは桜花賞本番を迎えることになった。
『期待、その裏側』
桜花賞(Gl)でのタカラスチールは、前哨戦の3着という結果にも関わらず、堂々の1番人気に推された。前走を含めて3連敗中のエルプスを上回る人気は、タカラスチールに寄せられた期待の大きさを物語っていた。当時のタカラスチールへの期待の大きさを物語るエピソードとして、タカラスチールの生産者である鈴木氏にまつわる話が伝えられている。この時鈴木氏は、いやでも目に入ってくる
「タカラスチール、気配絶好」
「桜へ向けて、死角なし」
という専門紙、スポーツ紙の報道にすっかり有頂天になり、生産馬の晴れ舞台を見守ろうと、静内から阪神競馬場へと駆けつけた。桜花賞当日に35万円を懐に入れ、飛行場から阪神競馬場までタクシーで乗りつけると、そのうち25万円をタカラスチールの単勝に突っ込んだという。大卒の初任給が14万円、1ドル約240円という時代のこの金額は、現代の感覚よりさらに価値が高いはずだが、日高の小牧場の主であった鈴木氏にとって、自分の生産馬がクラシックで1番人気に支持されたという事実の重み、喜びがどれほどのものだったかは、馬産の当事者ならざるファンには想像することもできない。
ただ、この日タカラスチールの鞍上を任されていたのは、それまで主戦騎手を務めてきた佐藤騎手ではなく、稲葉的海騎手だった。佐藤騎手は、障害レースに騎乗した際の落馬事故によって骨折し、桜花賞での騎乗が不可能になっていた。
佐藤騎手がマイナーな感を拭えない騎手だったことを否定できないが、稲葉騎手も1984年の阪神3歳S(Gl)をダイゴトツゲキで制したばかりとはいえ、クラシックレースには初挑戦ということで、大舞台での経験という意味では大いに不安があった。・・・そして、その不安は現実のものとなる。
『壮絶なる挫折』
雨の中で始まった第45回桜花賞・・・ゲート入りまでは無難にこなしたタカラスチールだったが、スタートでゲートから出る際にタイミングを誤り、ゲートに脚をぶつけてしまった。
「しまった!」
だが、1マイルの戦いは後悔の暇を与えないほどに激しく、速い。タカラスチールは、レースの波から外れたまま、逃げ馬・・・宿敵エルプスが先導する戦いの中へと呑み込まれていった。
ゲートでのミスにも関わらず、タカラスチールのスタート自体はうまくいった。好位につけて進出の時機をうかがう競馬は、これまでのタカラスチールが積み重ねてきた勝ちパターンそのものである。
「いける!」
少なくとも、彼女の馬券を握り締めたファンはそう思ったはずである。スタートでのミスを知っていた稲葉騎手も、この時は挽回の希望を十分に持っていたかもしれない。
しかし、彼らの期待は、第4コーナーであっさりと断ち切られた。乱ペースと見せかけながら巧みにペースを落とし、しかも内ラチ沿いを走ることで十分なスタミナを温存していたエルプスよりはるかに早く、タカラスチールは一杯になっていた。
「(ゲート内で脚をぶつけた)そのためか、第4コーナーで手応えがなくなった・・・」
稲葉騎手は、レース後にそう悔やんだ。しかし、時既に遅し。早くも力を失ったタカラスチールは、殺到する馬群の中へと沈んでいった。
タカラスチールの桜花賞への挑戦は、15着というあまりに壮絶な玉砕で幕を閉じた。自らの生産馬の雄姿を見るために応援にやってきた鈴木氏も、あまりの結果に呆然としながらとぼとぼと帰路につかざるを得なかった。