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アグネスフライト列伝~一族の見た夢~

『最後のチャンス』

 アグネスフライトよりもひとあし早く馬群を抜け出したのは、馬群の中ほどから一気に伸びてきたエアシャカールだった。馬にとっては皐月賞に続く二冠、そして鞍上にとっては前人未到のダービー3連覇を目指す彼らの豪脚は他の馬たちを圧倒し、その差を広げていった。この時のエアシャカールについて、

「セーフティリードだと思った」

と振り返るのは、エアシャカールを管理する森秀行調教師である。

 しかし、大外からそんな彼らに迫るのは、エアシャカールと同じ父を持ち、同じ牧場で生まれたアグネスフライトと、武騎手より13年早く、同じ師のもとで騎手としてデビューした河内騎手だった。社台ファームでは常に「一番の期待馬」といわれていた馬と、河内騎手がどうしてもとれなかったダービーを2年続けて奪取し、今また「3度目」を手にしようとしている弟弟子の背中を前にして、彼らは奮い立った。

 河内騎手は、

「ゴールよ、まだ来るな、まだ来るな」

と念じ続けた。なかなかつまらない差に、一瞬は

「向こうの方が強いのかな」

と思ったが、すぐに

「ここまできたのに、やらないでどうする」

とさらに強くアグネスフライトを追った。

「あと100mでダービーが終わってしまうのに・・・」

 年齢的に、最後のチャンスになるかもしれないダービーだった。悔いだけは残したくない・・・。そんな河内騎手の闘志に後押しされて、アグネスフライトはエアシャカールに迫り、そして並びかけていった。

『河内の夢か、豊の意地か』

 2頭が馬体を併せた時、斜行癖があるエアシャカールが外によれ、2度にわたってアグネスフライトに接触した。だが、一度火がついたアグネスフライトの激情は、とどまるところを知らず、ゴールを目指してひた走る。

 鞭を右に持ち替えた武騎手の手綱とともに、エアシャカールも激しく抵抗した。残り50mほどで完全に並んだ両雄は、その後互いに一歩も譲ることなくせめぎ合い、しのぎを削り、そしてそのままゴールへと駆け込んだ。この時の実況は、

「河内の夢か、豊の意地か、どっちだ!?」

と伝えている。デビュー以来夢見てきたダービーに、17度目にして王手をかけた河内騎手の夢と、日本最高の騎手としての意地を賭けた武騎手の2分26秒2にわたる戦いは、この時終わりを迎えた。だが、その結果はまだはっきりしない。

「どっちが勝った!?」

 場内のファンも、興奮に満ちた戸惑いに包まれていた。

『おめでとう・・・』

 ゴールの瞬間、最も正確に勝敗を把握できるのは、当事者の騎手同士だといわれている。ゴールした瞬間は

「勝った!」

と思ったという河内騎手だが、その後、はたと不安になった。

「オレ、本当に勝ったんやろうか?」

 確かに他の騎手たちは、口々に

「おめでとうございます」

と言ってくれる。しかし、彼らは後ろから見ていたにすぎない。3馬身半以上後ろでゴールした馬の騎手が、ゴール前でほぼ並んでゴールした前の2頭の勝ち負けをどれほど正確に判断できるというのか・・・河内騎手はそのことを、身をもって知っていた。これでは信用ならない。

 そこで河内騎手が思いついたのは、

「ユタカに聞けば確実だ」

ということだった。そこで、先に馬を止めて一日千秋の思いで武騎手を待った河内騎手だが、武騎手はなかなか帰ってこなかった。

 その後、武騎手はようやく戻ってきた。河内騎手が自らの勝利を確信したのは、武騎手のこの時の言葉を聞いた後だった。

「おめでとうございます・・・」

 写真判定では、アグネスフライトとエアシャカールの差は、わずかに7cmだったという。しかし、馬上の騎手たちは、7cmの差をはっきりと体で感じ取っていたのである。そして、その7cmの差こそが、河内騎手、長浜師、渡辺氏らの夢見た勝利の証だった。

『血の輪舞の果てに』

 長浜師は、アグネスフライト、エアシャカールのゴールを見届けてすぐに検量室へと走ったが、そこで裁決委員に呼ばれた。何事かと思えば、アグネスフライトが進路を妨害された、ということだった。しかも、審議の対象はエアシャカールだという。

 レースの時は興奮して気づいていなかった長浜師だが、確かにエアシャカールは大きくよれ、アグネスフライトに接触していた。だが、アグネスフライトの先着がはっきりしたため、長浜師は

「せっかくのダービーですし、大騒ぎしなくていいじゃないですか」

ととりなし、それ以上の詮索はされなかったという。かつて父が手がけてオークスを勝ったアグネスレディーの娘アグネスフローラで母子二代制覇を狙ったオークスは、2着に敗れた。しかし、そのアグネスフローラの子であるアグネスフライトで、オークスと同じ舞台で行われ、格式ではオークスをさらに上回る日本ダービーを手にしたことは、彼にとって何よりの喜びだった。

 ゴール直前では、我を忘れて大声で叫んでいたという渡辺氏も、レースの後は知人に対して

「やっとやな・・・」

と漏らしたという。東京2400mというこの舞台でのGlの思い出である祖母アグネスレディーのオークス制覇から21年、母アグネスフローラの惜敗から10年が経っていた。かつての盟友だった長浜彦三郎調教師は既に亡く、息子の長浜博之調教師の代になっている。「アグネス軍団」結成のきっかけとなった娘たちも、既に成人して独り立ちしていた。

 アグネスフライトは、祖母、そして母と続く血に定められた宿命を背負い、ついにダービーを制した。だが、第67回東京優駿における「一族」の物語はそれにとどまらず、彼を取り巻く人々の物語も含んでいる。そんな彼ら・・・一族の見た夢を現実のものとした河内騎手は、自らも17度目の挑戦で日本ダービーの栄光を手にしたのである。

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