アグネスフライト列伝~一族の見た夢~
『予期せぬ敗北、予期された構図』
こうして第67代日本ダービー馬の栄光を手にしたアグネスフライトだったが、彼の戦いは、その後も続いた。
皐月賞がエアシャカール、日本ダービーがアグネスフライトの勝利に終わったことで、2000年牡馬クラシックロードの焦点は、秋の菊花賞での両雄の対決へと移っていくことになった。
アグネスフライトとエアシャカールの対決は、両馬のローテーションの関係で、本番を待たずトライアルの神戸新聞杯(Gll)で実現することになった。休養明け初戦となるアグネスフライトは、夏に欧州遠征を決行したエアシャカールに1番人気を譲った。オッズもエアシャカールの170円に対し、アグネスフライトは460円と大きく水を開けられていた。
だが、そんな2頭に待ったをかけたのは、超新星フサイチソニックだった。2番手で競馬を進めたこの馬は、直線入口で早めに先頭に立つと、中団から押し上げるアグネスフライト、エアシャカールらをまったく寄せつけることなく、そのまま押し切ってしまったのである。シャトル種牡馬として日本へやって来たデインヒル産駒のフサイチソニックは、日本ダービー当時はデビューすらしておらず、勝ち上がりもデビュー3戦目だったが、夏に急成長を遂げてだダービー馬、皐月賞馬をまとめて下したのである。
フサイチソニックに遅れをとって2着に敗れたアグネスフライトだったが、陣営に悲壮感はなかった。出遅ればかりだった春と違って中団からの競馬が出来たこの日のレース内容は、気性的な成長をうかがわせるものだった。さらに、アグネスフライトを意識して競馬を進めてきたはずのエアシャカールは、その追撃を振り切っている。菊花賞本番ではひとつ叩いた上積みも期待できた。不安を残したのは、むしろ直線で何度もよれてろくに追うことができなかったエアシャカールの方で、武騎手はレース後
「この馬の頭の中がどうなっているのか、見てみたい・・・」
と嘆いている。
菊花賞の後、フサイチソニックは菊花賞ではなく天皇賞・秋(Gl)へ進むことを表明し(結果的には、直後に屈腱炎を発症して引退したため出走できず)、もうひとつのトライアルであるセントライト記念(Gll)を制したアドマイヤボスも、同様に菊花賞回避の意向を表明した。秋の新勢力たちの思わぬ回避という興ざめな形ではあったが、菊花賞はアグネスフライトとエアシャカールとの再戦という当初の予想どおりの構図ができあがりつつあった。
『ダービー馬への期待』
菊花賞当日、アグネスフライトは単勝190円の1番人気に支持された。意外なことのようだが、アグネスフライトが1番人気に支持されたのは、この日が生涯で最初であり、かつ最後であった。ライバルのエアシャカールは280円の2番人気で、彼らに続く3番人気となると、トーホウシデンの1080円まで一気に差が開くから、この日の構図は文字どおりの「二強決戦」だった。
河内騎手は、レースの開始後もアグネスフライトを中団につけさせることに成功した。春はしたくてもできなかった競馬を、神戸新聞杯に続いてすることができた。それは、彼らの大きな自信となっていたに違いない。
ゴーステディが引っ張るレースは、淡々と流れていった。そんなレースを動かすのは1番人気の使命で、アグネスフライトに騎乗する河内騎手の手は、向こう正面で動いた。馬も、騎手に応えて第3コーナーから外を衝いて上がっていった。ついに動いた1番人気のダービー馬に、淀のスタンドは沸いた。ファンは、誰もが疑わなかった。3000mという未踏の距離も、完成期を迎えつつあるアグネスフライトの前では問題にならないだろう。ダービー馬にふさわしい競馬が、これから始まるのだ・・・。
『謎の敗戦』
しかし、アグネスフライトの見せ場は、そこまでだった。直線入口では好位まで上げてきたアグネスフライトだが、そこからの伸びが鈍い。最後に加速するのではなく、むしろ失速していく。勢いが目立つのは、彼の右にもたれる癖を見抜いた武騎手によって内ラチ沿いの競馬を進めてきたエアシャカールだった。
直線も半ばを過ぎ、直線入口でははるか後方にいたはずのエアシャカールが抜け出すと、アグネスフライトについていく脚は、もう残されていない。粘るトーホウシデンと追い込むエアシャカールの後ろで、アグネスフライトは置き去りにされていった。
アグネスフライトは、勝ったエアシャカールから約5馬身遅れての5着に敗れた。
「休み明けを使って、状態は上向いていたんだけど・・・」
河内騎手は、レース後首をひねった。状態が思ったほどよくなかったのか、それとも3000mという距離が堪えたのか。敗因をつかみかねていたのは河内騎手のみならず長浜師、スタッフも同様だったが、いずれにしても、負けは負けである。
菊花賞の終戦は、クラシック戦線の終わり・・・そして古馬たちとの戦いの始まりを意味していた。だが、それからのアグネスフライトを待っていたのは、苦難と焦燥の連続だった。