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メジロブライト列伝~羊蹄山に季節は巡り~

『遠い背中』

 セイウンスカイを射程範囲にとらえ、復活勝利に向けて猛然と追い込んだメジロブライトだったが、彼らよりも一歩早くセイウンスカイをとらえたのは、中団から競馬を進めていたもう1頭の強い4歳Gl馬、グラスワンダーだった。

 グラスワンダーは、前年に朝日杯3歳S(Gl)を無敗のままレコード勝ちし、「怪物」との名をほしいままにした前年の3歳王者である。しかし、3歳時の「怪物」もこの年に入ってからはご難続きで、まずNHKマイルC(Gl)を大目標に調整を始めたものの調教中の骨折が判明し、長期休養を余儀なくされ、秋には骨折から復帰したものの、復帰戦の毎日王冠(Gll)では5着、次走のアルゼンチン共和国杯(Gll)でも6着と不本意な成績に終わった。そのため一部からは

「グラスワンダーは終わった」
「ただの早熟馬だったのだ」

という声も上がり始めていた。

 しかし、最高の相手が揃った大舞台で、一気に馬群を抜け出そうとするその末脚は、間違いなく「怪物」のものだった。

 メジロブライトも、外から懸命にグラスワンダーを追いかけた。彼らがセイウンスカイをかわしたころには、優勝の行方は完全に彼ら2頭に絞られていた。メジロブライトは、そんなグラスワンダーと馬体を併せると、一完歩ごとにその差を詰めていく。

 だが、彼らの差は、あるところからぴたりと縮まらなくなった。グラスワンダーとの差がおよそ半馬身になったところで、メジロブライトの脚も上がってしまったのである。この時グラスワンダーはまだ余力を残しており、必死に追撃するメジロブライトを横目に見ながら、なおその間隔を測る余裕があった。メジロブライトとグラスワンダーとの間の半馬身は、その数字、見た目以上に大きかった。

 この日の有馬記念は、「グラスワンダーのための有馬記念」となった。メジロブライトは、彼を支える人々のため息の中、2着でゴールを迎えざるを得なかった。各世代の選ばれし精鋭たちが集う有馬記念での2着は、本来ならば十分誇りうるものである。しかし、この日ばかりはグラスワンダーの「引き立て役」となってしまった感が強い。そういえば、父のメジロライアンの有馬記念も、怪物オグリキャップが見せた奇跡の復活の「引き立て役」としての2着だった―。メジロブライトに対する期待の高さからすれば、この日の結果は、決して満足すべきものではなかった。

『変わりゆく時代』

 有馬記念2着の後、前年と同様に厩舎に残って調整を続けたメジロブライトは、ハンデ戦の日経新春杯(Gll)へと出走した。天皇賞・春優勝、有馬記念2着の実績があるメジロブライトは、一線級不在のハンデ戦では重い斤量とならざるを得ず、酷量というべき59.5kgを背負わされた。

 しかし、この斤量を背負ったメジロブライトは、55kgを背負ったエモシオンとの激しい叩き合いに持ち込み、敵をわずかにクビ差凌いで久しぶりの勝利をあげた。エモシオンといえば、凱旋門賞馬トニービンを父、オークス馬アドラーブルを母に持つ、グラスワンダー、セイウンスカイらと同世代の良血馬であり、皐月賞4着、菊花賞3着といった実績も残している。ただ、多くのスターホースを輩出する彼らの世代の中では、エモシオンはあくまで一流半クラスにすぎない。京都大賞典でセイウンスカイ、有馬記念でグラスワンダーという1歳下の世代の2着に敗れているメジロブライトだったが、だからといって、否、だからこそ下の世代でもトップクラスではない馬に敗れるわけにはいかなかった。メジロブライトは、あくまでも旧勢力の代表として、台頭する新世代、変わりゆく時代に抗い続けようとしていた。

 その後のメジロブライトは、阪神大賞典(Gll)から天皇賞・春(Gl)という前年と同じローテーションを歩むことが決まっていた。その足がかりとなる年明け初戦での幸先のいいスタートに、陣営の意気は上がった。…だが、メジロブライトの日経新春杯制覇とほぼ時を同じくして、関東でも盾を目指す1頭の強豪が始動していた。日経新春杯と同日開催の中山競馬場のメーンレース、そして前年はメジロブライト自身が始動戦に選んで勝利しているAJC杯(Gll)で、前年のダービー馬スペシャルウィークが圧勝したのである。

『もう1頭の強敵』

 前年のクラシック戦線でセイウンスカイ、キングヘイローらと多くの名勝負を繰り広げ、日本ダービーでは5馬身差つけて圧勝したスペシャルウィークは、この年の天皇賞・春戦線で主役の1頭となることが予想されていた。もっとも、AJC杯の直前追い切りでは手ごたえが悪く、騎乗したオリビエ・ペリエ騎手に

「この馬が本当にダービーを勝ったのか」

といわれてしまったほどだった。しかし、AJC杯では、レースの後にそのペリエ騎手から

「私が間違っていた。ダービー馬はやっぱりダービー馬だった」

と認められる貫禄のレースを見せた。

 こうしてメジロブライトの前に、セイウンスカイ、グラスワンダーに続く新世代の強豪が、また1頭立ちはだかった。天皇賞・春では、グラスワンダーが外国産馬であるため出走資格がなく、セイウンスカイ、そしてこのスペシャルウィークがメジロブライトの最大の敵となると思われた。そして、それこそがメジロブライト世代とスペシャルウィーク世代との、時代の覇権を賭けた最後の決戦だった。

『凶兆』

 同じ日に東西に分かれて始動し、勝利を飾った2頭の強豪の対決は、前哨戦で早くも実現した。メジロブライトだけでなく、スペシャルウィークも阪神大賞典から天皇賞・春へと進むことになったのである。

 ただ、スペシャルウィークはダービーで圧倒的な強さを見せた反面、3000mの菊花賞ではセイウンスカイの鮮やかな逃げ切りを許しており、長距離適性にはやや疑問符がつけられていた。対するメジロブライトは、前年このレースを勝ったことにより、距離、コース適性とも実証済みである。9頭だての少頭数ならば、不器用な脚質のメジロブライトでも、他の馬に邪魔されることなく自分の競馬を進めることもできる。雨が降って重馬場となった馬場状態も、同様の状態のステイヤーズS大差勝ちの経験を持つメジロブライトに有利と思われた。

 こんな理由もあって、単勝170円で1番人気に支持されたのは実績と経験に勝るメジロブライトで、スペシャルウィークが210円で2番人気に続いた。この2頭の馬連はわずかに150円であり、やはり一騎打ちといわれて「二強」シルクジャスティスとメジロブライトの馬連が160円だった前年を超える人気を集めた。

 阪神大賞典のスタートは、比較的無難なものだった。メジロブライトの欠点は、先行して横綱競馬をとれるスペシャルウィークと違い、後ろからしか競馬ができないことである。しかし、この日は少頭数にも助けられ、中団からの競馬を進めることができた。いつものように3番手の好位から競馬を動かすスペシャルウィークを見ながらの競馬は、メジロブライトにとってこの上なく有利な流れと思われた。

 メジロブライトは、己の勝ちパターンに持ち込むべく、向こう正面から徐々に位置を上げ、スペシャルウィークが動けばいつでもこちらも動けるよう、マークを強めていった。そして、スペシャルウィークが第3コーナー過ぎから仕掛けると、メジロブライトも仕掛けた。

 スペシャルウィークは、第4コーナーでは先に馬群を抜け出して先頭に立ったが、メジロブライトも道中徹底的にマークしてきた強みを生かし、スペシャルウィークに並びかけていった。阪神大賞典で、後ろから前の馬に並びかけ、直線での叩き合いに持ち込むといえば、前年のシルクジャスティスを下した展開とまったく同じである。夢よ、もう一度。河内騎手の鞭が宙に舞った。

 しかし、そこからの展開は、前年とは違っていた。前年は2頭で並び、最後にはハナ差先んじることができたが、この年は、一度差を詰めるとまた広げられ、次に差を詰めてもまた広げられ…の繰り返しで、ついにスペシャルウィークとの間の最後の4分の3馬身差を、どうしても縮めることができなかった。道中はずっとスペシャルウィークをマークし、彼を差すためにタイミングを測って動いたにもかかわらず、スペシャルウィークをどうしても捉えられない。結局メジロブライトは、4分の3馬身差を縮めることができず、スペシャルウィークの2着に敗れた。3着スエヒロコマンダーには7馬身差をつけて、並みの馬とは違うことこそ示したものの、スペシャルウィークに対して、そして盾への前哨戦としては、完敗だった。

 一般のファンは、

「マッチレースには負けたけれど、斤量が1kg重かった」
「着差もわずかで、本番では逆転できる」

などと論評し、メジロブライトの可能性を信じてくれた。だが、浅見師らは、そんな楽観的な見方とは正反対の不安にとらわれていた。思えば前年、ライバルのシルクジャスティスが阪神大賞典でメジロブライトに敗れた時も、この年のメジロブライトとまったく同じことを言われていたではないか。その結果はどうだったか。天皇賞・春で阪神大賞典の結果がひっくり返ることはなく、逆に2着も確保できずに馬群へ沈んでいったではないか…。浅見師は、前年の阪神大賞典、天皇賞・春の後、今も長い不振にあえぐライバルの姿を思い浮べずにはいられなかった。

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