TOP >  年代別一覧 > 1990年代 > メジロブライト列伝~羊蹄山に季節は巡り~

メジロブライト列伝~羊蹄山に季節は巡り~

『羊蹄山の日没』

 天皇賞・春の後、前年と違って宝塚記念(Gl)を使うことなく夏休みに入ったメジロブライトは、今度こそ十分な休養をとって秋に備えた。しかし、6歳秋を迎えたメジロブライトに、もはやかつての輝きはなかった。

 前年に2着に入った実績がある京都大賞典(Gll)から始動したメジロブライトは、春に2度にわたって辛酸をなめさせられた宿敵スペシャルウィークが馬群に沈む中、持ち前のしぶとい末脚を発揮した。宿敵への雪辱を果たすとともに、秋の初戦を飾るかに見えたメジロブライトだったが、彼の前に思わぬ伏兵が潜んでいた。やはりスペシャルウィークらと同世代の夏の上がり馬、ツルマルツヨシだった。

 スペシャルウィークらと同世代ながら体質が弱く、それまでろくにレースに使うことができなかったツルマルツヨシだったが、この年の夏ごろからはようやくまともにレースに使うことができるようになり、前走の朝日チャレンジC(Glll)で重賞初制覇を飾っていた。そのツルマルツヨシが、天皇賞馬メジロブライト、現役最強馬スペシャルウィーク、そして菊花賞へのステップにここを選んだ皐月賞馬テイエムオペラオーをまとめて降すことになろうとは、多くの人は予想していなかった。メジロブライトは、スペシャルウィークとテイエムオペラオーには先着したものの、ツルマルツヨシに力でねじ伏せられた形での2着に終わった。…そして、この日のレースは、メジロブライトがメジロブライトらしいレースと成績を残した最後の日となったのである。

 京都大賞典2着の後、天皇賞・秋(Gl)、有馬記念(Gl)と前年とまったく同じローテーションを歩んだメジロブライトだったが、まず天皇賞・秋では、後方一気に賭けた末脚がまったくの不発に終わり、11着に沈んだ。前年は2着だった有馬記念でも、昨年に続く連覇を狙ったグラスワンダーが、京都大賞典の大敗から立ち直って秋の中長距離Gl完全制覇を目指したスペシャルウィークをハナ差抑えて連覇を達成する中、さしたる見せ場もないままの5着に敗れた。羊蹄山から昇り、競馬界で約3年間に渡って輝き続けたひとつの太陽は、この時確実に沈もうとしていた。

『さらばブライト』

 まだ燃え尽きていない。そう判断され、もう1年現役生活を続けることになったメジロブライトだったが、7歳になった彼を待っていたのは、歓喜ではなく悲運だった。5歳時に続く二度目の天皇賞・春制覇を目指したメジロブライトだったが、その戦いが始まる前に、左前脚屈腱炎を発症してしまったのである。3歳時からさしたる故障もないまま戦い続けたメジロブライトだったが、長年の死闘で蓄積された疲労によって、その脚は既にぼろぼろの状態だった。その爆弾が、ついに爆発したのである。

 屈腱炎という競走馬にとって最悪の業病は、メジロブライトから3度目の天皇賞・春への挑戦の機会だけでなく、春シーズンの全てを奪い去った。そして―、メジロブライトは秋になってようやくターフへの復帰を果たしたものの、その傷ついた脚に、かつての輝きが戻ることはなかった。

 二年連続2着と相性は悪くない京都大賞典(Gll)で復帰したメジロブライトだったが、その鞍上に見慣れたパートナーの姿はなかった。騎乗予定の河内騎手が前日のレースで落馬したため、鞍上は急きょ石橋保騎手に交代したのである。

 そして、石橋騎手と最初で最後のコンビを組んだメジロブライトは、12頭立ての5番人気で8着に敗れ去った。この日勝ったのは、春に天皇賞・春、宝塚記念を制し、秋は古馬中長距離Gl完全制覇という覇業に向けて、その蹄跡を踏み出した世紀末覇王テイエムオペラオーだった。これまでも多くの馬たちと戦い抜いたメジロブライトだが、この日もまた、歴史に残る1頭の名馬が誕生する瞬間の立会人となる結果となった。

 だが、そんなメジロブライトは、レースの後、再び左前脚をかばう仕草を見せた。獣医の診断結果は、左前脚浅屈腱炎の再発という最悪の結果だった。その後、関係者による協議がなされた結果、メジロブライトの現役引退が決まった。通算25戦8勝、天皇賞・春をはじめ重賞7勝を記録し、8億円を超える賞金を稼ぎ出した強豪は、こうして現役生活を終えた。

『巡りゆく季節の中で』

 3歳から7歳まで走り続け、その大部分で常にトップクラスの戦績を残してきたメジロブライトは、こうして競走生活を終え、静かに表舞台を去っていった。だが、メジロブライトが去っても、競馬界の季節は以前と変わることなく巡り続ける。

 メジロブライトの最後のレースとなった京都大賞典から約2ヵ月後、20世紀最後となる朝日杯3歳S(Gl)を勝ったのは、未勝利戦を勝ったばかりで格上挑戦してきたメジロブライトの半弟メジロベイリーだった。並み居る人気馬たちを切り捨てて果たしたGl制覇の快挙にファンは快哉を叫び、メジロ牧場の人々もまた、予想もしなかった勝利の歓喜に沸いた。

 2000年といえば、それまでメジロ牧場にとってはあまりいい年ではなかった。メジロブライトは故障で長期離脱し、メジロブライトとともにメジロ牧場の復活を支えたメジロドーベルも、前年限りで引退している。そして何より、春にメジロ牧場の近くにある有珠山の噴火したため、馬たちをすべて他の牧場へ「疎開」させなければならないという悲運にも見舞われたのである。だが、悲運の季節もあれば、歓喜の季節も必ず巡ってくる。Gl馬3頭を輩出した黄金世代の後の長いトンネルを経験したメジロ牧場は、そのことをよく知っていた。そんな彼らは、メジロブライトの後を継ぐ可能性を持った新たな夢の誕生に胸を躍らせた。

 もっとも、メジロベイリーは、その後故障などもあって、期待通りの成績は残せなかった。・・・そして、日本有数のオーナーブリーダーだったメジロ牧場が、2011年5月を最後に解散したため、メジロベイリーの朝日杯勝利が「メジロ軍団」の最後の輝き・・・Gl勝利となったことは、残酷な歴史上の事実である。

 しかし、メジロブライトやメジロ牧場の戦いが終わった後も、すべての馬たちと競馬関係者たちの戦いは続き、競馬界の季節も巡り続ける。

 メジロブライトの主戦騎手を務めた河内騎手によれば、生粋のステイヤーだったメジロブライトは、生まれた時代がもっと早ければ、さらに多くのGlを勝てたに違いないという。だが、それもまた競走馬の運命なのかもしれない。自らに背いた時代の中で、あまりにも不器用に己の走りを貫き、そして敗れていったメジロブライトは、その運命のもとで、ファンの記憶の中に自らを、そして自らと戦った強豪たちを強く刻み続けた。

 引退後、種牡馬となったメジロブライトは、静内のアロースタッドに繋養されて、種牡馬生活を送ることになった。アロースタッドには祖父のアンバーシャダイ、父のメジロライアンも繋養されていたため、メジロブライトの種牡馬入りによって父子三代が同じ種馬場に繋養されるという「快挙」が実現したことになる。

 ・・・しかし、父内国産馬の王道を往くものとして血のロマンを色濃く感じさせる役割を担うはずだったメジロブライトは、自身の初年度産駒のデビューを目前とした2004年5月16日、心臓発作で急死した。父内国産種牡馬の系譜を後世に伝えるという役割を背負うはずだったメジロブライトだが、寿命がこれほどに限られると、その使命を果たすことはできない。結局、彼の産駒からの重賞馬は、ステイヤーズSを勝ったマキハタサイボーグだけとなった。

 メジロブライトは、100人の競馬ファンの100人が名馬と認める馬ではなかったかもしれない。しかし、彼が果たした時代の語り部という役割は、彼以外のどの馬も果たし得なかったものだった。メジロブライトが競走馬として走っていた頃に、彼が脇役として参加した競馬界の物語、彼の存在ゆえに輝いた名馬は数多い。それらが私たちの記憶の中に生きている限り、メジロブライトの功績は生き続ける。そんなメジロブライトの功績が生きている限り、彼を名馬と呼ぶ人がいたとしても、他の人は決してそれを否定することはできない。「名馬の中の名馬」ではないけれど、やはり名馬と呼ばれ得る資格を持った時代の語り部、それがメジロブライトである。私たちは、そんな彼の残した記憶に思いを馳せつつ、競馬のより新しい世代がいずれ紡ぐであろう新しい季節を待ちたいものである―。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
TOPへ