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メジロブライト列伝~羊蹄山に季節は巡り~

『夢の相続』

 ラジオたんぱ杯3歳Sを勝ったことで「クラシックロードの主役」の1頭に名乗りをあげたメジロブライトは、他の有力馬たちよりもひと足早く、共同通信杯4歳S(Glll)から動き始めた。

 東京競馬場で行われるこのレースをクラシック本番、そして春の大目標となる日本ダービー(Gl)への予行演習と位置づけたメジロブライト陣営は、本番を意識してのレース運びに徹することにした。デイリー杯3歳S以降、メジロブライトに騎乗していた松永幹夫騎手は、この馬の最大の持ち味を、直線での瞬発力とみていた。だが、この瞬発力は、道中でなし崩し的に足を使ってしまうと威力が損なわれてしまう。松永騎手は、メジロブライトの末脚を活かすため、前半は周囲に流されず、自分のペースを守っての競馬に徹することにした。そのことは、メジロブライト陣営が、春のクラシックでも同じ作戦を選ぶことを意味していた。

 後方2番手。それが、この日の道中、メジロブライトが陣取った位置だった。第2コーナー、向こう正面、勝負どころの第3コーナー。流れてゆくレースの中で、せっかちな他の馬の一部が待ちきれなくなって動き始めても、メジロブライトはまだ動かなかった。

 松永騎手が動いたのは、メジロブライトが第4コーナーを回って東京競馬場の長くて広い直線に入り、その後もさらに待った上での、レースの最後の最後という局面だった。だが、戦機を十分に選んだ松永騎手の手が動くと、それまで封印されていたメジロブライトの末脚は、一気に解き放たれた。他の馬とは次元が違う瞬発力を見せてゴールへと突き抜けたメジロブライトは、セイリューオーを4分の3馬身差差し切り、ラジオたんぱ杯3歳Sに続く重賞2連勝を飾ったのである。

 この日のメジロブライトは、単勝160円の人気に応えただけでなく、ナリタブライアンが記録したレースレコードと肩を並べる優秀な勝ちタイムを記録した。4ヵ月後にはダービーの舞台となる東京競馬場で、その実力をいかんなく発揮したメジロブライトへの評価は、これで確固たるものとなった。

 それまでメジロブライトを管理していた浅見国一師も、この日の勝利には満足した。浅見師によれば、他の有力馬が始動していないこの時期にメジロブライトを東京のレースに使ったのは、浅見師が2月いっぱいで定年を迎えて調教師を引退することになっていたため

「最後にもう一度自分の管理馬としてメジロブライトを走らせたい」

という「わがまま」を通してもらったのだという。メジロブライトの勝利を見届けた浅見国一師は、自分が手がけた最後の大物に満足しながら、競馬界を去っていき、メジロブライトは、浅見師の息子である浅見秀一師のもとへと移籍した。クラシックの季節の始まりは、浅見国一師と秀一師、そしてメジロライアンとメジロブライト、二組の父から子へと、それぞれの夢が受け継がれたことを意味していた。

『見落とされた欠陥』

 クラシックに向けて至極順調であると見られていたメジロブライトの前途に、予想もしない翳がさし始めたのは、スプリングS(Gll)での敗戦がきっかけだった。共同通信杯の後、メジロブライトは、さらに皐月賞に直接つながるトライアルレースであるスプリングSに出走した。しかし、レース当日は「やや重」という主催者の発表以上に芝コースの馬場状態が悪く、メジロブライトの最大の武器である瞬発力が殺されてしまったのである。

 単勝140円の断然人気に支持されたメジロブライトは、この日も最後方から競馬を進めたが、勝負どころでの末脚は、ラジオたんぱ杯や共同通信杯に比べると迫力を欠くものだった。それでも他の馬たちはかわしたものの、スローペースに持ち込んで前残りの展開に持ち込んだ8番人気のビッグサンデーだけは差すことができず、2着に敗れてしまった。クラシック本番を目前にしての予想外の敗北は、メジロブライトの出鼻をくじくものだった。

 それでも、この敗北によってメジロブライトを支持する人々が大きく減ったわけではなかった。この敗北についての一般的な見解は、以下のようなものだった。

「メジロブライトのような追い込み馬の場合、ある程度展開に左右されることはやむを得ない。メジロブライトは、馬場状態が悪く、展開も不向きになった中で敗れたとはいえ、最後にはしっかりと脚を伸ばしてきた。世代ナンバーワンの実力は十分見せた。前哨戦のここでは、まずはこれだけで十分だ…」

 実際には、この敗北は、クラシックを目指すメジロブライトの重大な弱点を示唆するものだったが、ほとんどの人々は、まだそのことに気づいてはいなかった。

『最後方に置かれて』

 メジロブライトは、スプリングSの敗北はあったものの、その後はこれといったトラブルもなく、クラシック戦線第一弾・皐月賞(Gl)への出走を果たした。この日メジロブライトは、スプリングSでの敗北にも関わらず、単勝290円の1番人気に支持された。2番人気には、武豊騎手の手綱で弥生賞(Gll)を圧勝したランニングゲイルが350円で続いた。サンデーサイレンスやブライアンズタイムを父に、高額な輸入牝馬たちを母に持つ若駒たちがずらりと並ぶ中で、内国産馬を父に持つこの2頭が人気に推されたことは、日本で生まれて日本で走った馬たちを父に持つ父内国産馬へのファンの率直な期待を物語っていた。

 ただ、皐月賞の事前の予想では、確固たる逃げ馬が不在という情勢の中で、レースの流れはスローペースとなることが予測されていた。レース開始直後に11番人気のサニーブライアンが先手を取ろうとしたところを、18番人気のテイエムキングオーがさらにそのハナを叩いて強引に先頭を奪ったが、2番手に下がったサニーブライアンは、その位置でしっかりと折り合ったことで、その予想は現実のものとなった。サニーブライアンが2番手に控えつつ主導権を握ったことで、緩やかで落ち着いたレースの流れが形成されていった。

 緩やかで落ち着いた流れは、メジロブライトのように後方一気の末脚に賭ける馬にとって、前の馬が最後までばてにくい分、不利となる。メジロブライトはこの日、スローペースを読んで、思い切っていつもより前の位置で競馬を進めるのではないか、という予想もあった。だが、馬群の中にメジロブライトの姿を探したファンは、ざわめいた。メジロブライトと松永騎手は、この緩やかな流れにもかかわらず、いつも通り…というよりは、いつもよりさらに後方からレースを進めていたのである。

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