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メジロブライト列伝~羊蹄山に季節は巡り~

『宿命の東京優駿』

 メジロブライトの生まれ故郷であるメジロ牧場は、その長い歴史と数々の輝かしい栄光とは裏腹に、日本ダービー制覇の経験がなかった。メジロ牧場の馬は息長く活躍させるために仕上げを遅らせるといわれているが、それでも「ダービー2着馬」については、牧場創設後30年間でメジロモンスニー、メジロライアン、メジロアルダンと3頭も送り出している。生産馬で三度も2着をとりながらいまだ縁がないダービー制覇は、メジロ牧場の夢であり、また悲願でもあった。

「ダービーよりも天皇賞がほしい」

 メジロ牧場の歴史を語る際に必ず引き合いに出されるのが、創設者の北野豊吉氏によるこの言葉である。しかし、当初は生産者から馬を買って走らせる普通の馬主だった北野氏が、自らの生産拠点であるメジロ牧場を開設してオーナーブリーダーに進出することを決意したきっかけは、所有馬のメジロオーがハクショウにダービーでハナ差の2着に敗れたことだった。この時僅差の敗北を悔しがった北野氏が

「この雪辱を果たすため、自分の生産馬でダービーを獲る」

と立てた誓いこそが、メジロ牧場の歴史の始まりにほかならない。もともと伝統的な価値観を重視することでは人後に落ちないメジロ牧場が、古くから日本競馬最高のレースと広く認められてきたダービーをほしくないはずなどなかった。

 メジロ牧場が生産したダービー2着馬の中でも、メジロ牧場が最もダービー制覇に近づいたのが、メジロブライトの父にあたるメジロライアンだった。ミスターシービーという絶対的な名馬と戦わなければならなかったメジロモンスニー、人気薄の中穴扱いだったメジロアルダンと違い、メジロライアンは皐月賞こそ3着だったものの、その脚質、血統を買われて日本ダービーでは1番人気に支持された。だが、牧場の期待を一身に背負ったメジロライアンは、疾風の逃げ馬アイネスフウジンが見せた一世一代の大逃げの前に、無念の2着に屈したのである。

 日本を代表するオーナーブリーダーが今なお勝つことのできない、日本競馬最高の格式を持つGlについて、

「ダービーは、最も運の良い馬が勝つ」

と言われることがある。こうしてみると、メジロ牧場がダービーを勝てないのは、不思議なめぐり合わせの悪さ、運の無さによるものとしか思えない。それだけに、メジロ牧場の人々の第64回日本ダービー、そしてメジロブライトに賭ける思いは強かった。

 また、馬自身に着目しても、メジロブライトの父がダービー2着なのは前記の通りだが、祖父のアンバーシャダイも、出走は果たしたものの9着に敗れている。メジロブライトの挑戦は、実に父子三代目となる。

 牧場30年の悲願を賭けた夢、そして祖父が跳ね返され、父があと一歩及ばなかった野望。第64回日本ダービーはメジロ牧場にとっても、そしてメジロブライトにとっても、因縁のレースだった。

『浅見師の不安』

 こうした物語を背負って日本ダービーに挑んだメジロブライトは、ファンの思い入れも一緒にその身に背負ったこともあり、過剰なほどの人気を集める結果となった。だが、こうした物語、思い入れは、時に冷静な分析を困難にし、人を盲目にする。

 メジロブライトがスプリングS、皐月賞で敗れた事実、そのレースの内容は、スローペースに持ち込まれた時、メジロブライトがなおすべての馬を必ず差し切るほどの絶対的な能力は持っていないことを雄弁に語っていた。しかし、メジロブライトのスプリングS、皐月賞の敗因が、ダービーを前に詳細に検討されることはなかった。

 第64回日本ダービーの馬券は、あらゆる種類がメジロブライトから売れていった。馬券の前々日売りで、メジロブライトが圧倒的な1番人気に支持されている、と聞いた浅見秀一師は、予想をはるかに超える人気の集中ぶりに、戸惑いと危惧を隠せなかった。

 メジロブライトが1番人気、それも圧倒的な支持を集めていると聞いた浅見師は、感想を求めてきた競馬マスコミに対して

「自分でレースを作れないこの馬が1番人気になるようだと、また前残りになるぞ…」

と漏らした。自分の管理馬が日本競馬の最高峰・日本ダービーで1番人気に支持されるということは、浅見師にとっても大変な名誉である。しかし、その反面で浅見師の頭からは、他の馬のマークがメジロブライトをはじめとする後方の馬たちに集中した結果、サニーブライアンにまんまと逃げ切りを許してしまった皐月賞の苦い結果が離れなかった。それなのに、ダービーでも皐月賞以上にメジロブライトに人気が集中しているというのは、浅見師にとっては不安以外の何者でもなかった。

 しかし、浅見師が鳴らした警鐘は、他の陣営からは逆に「牽制」ととられてしまった。周囲は余計にメジロブライトへの警戒を深め、ファンの人気の流れも変わることはなかった。

『ダービーの日』

 メジロブライトのダービー当日の単勝オッズは、240円となった。それに続くランニングゲイルとシルクジャスティスが620円だから、完全な「一本かぶり」である。事後的にメジロブライトと他の馬の戦績、状況を分析すれば、これはいかにも過剰人気に思われる。しかし、実際に当時の競馬を見ていたファンの中に、メジロブライトの人気を奇異に思う者は、極めて限られていた。

 メジロブライトが圧倒的な1番人気に支持される中、最初に競馬場を騒然とさせたのは、皐月賞2着のシルクライトニングが落鉄のうえ釘を踏んで暴れ、発走除外になるというアクシデントだった。だが、ざわめき残るスタンドに見守られながら発走となったダービーのレース展開は、予想とそれほどたがわないものだった。

 スタートして間もなく、シルクライトニングの除外で6番人気に繰り上がった皐月賞馬サニーブライアンが大外枠からするすると上がっていった。予想どおりの果敢な逃げに、スタンドはどっと沸いた。もっとも、スタンドの大部分は、この時点では、彼らの逃げが持つ意味を察してはいなかった。

 サニーブライアンの鞍上の大西直宏騎手は、戦前から強烈な逃げ宣言を発していた。

「絶対逃げます!」

 人気薄の皐月賞を2番手で支配し、早めに先頭に立ってそのまま押し切ったこの馬にとって、逃げは当然の作戦だった。だが、あまりにあちこちで逃げを触れ回るため、他の先行馬たちの陣営は

「競りかけたとしても、大西とサニーは絶対に引かない」

と刷り込まれてしまい、レース前から、サニーブライアンが逃げを打つことは、既成事実となりつつあった。予想ではサニーブライアンと先頭を争うと見られていたサイレンススズカも、上村洋行騎手が強引に手綱を抑え、サニーブライアンとの「共倒れ」を避けたため、サニーブライアンは見事単騎逃げに持ち込んだ。後続を引き離してセーフティリードをとり、そのままレースの流れを落ち着かせたサニーブライアンは、皐月賞の時以上に、自分のペースでレースを支配することに成功したのである。

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