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メジロブライト列伝~羊蹄山に季節は巡り~

『混戦の予感』

 ダービーの後、夏休みのために生まれ故郷のメジロ牧場へ帰ってきたメジロブライトは、さすがに春の激闘がこたえたのか、かなり疲労困憊していた。メジロ牧場に帰ったばかりのころは飼い葉食いが悪く、牧場の人々を心配させたという。

 メジロブライトにもう少し馬格がほしいと望んでいた浅見師は、メジロブライトをメジロ牧場に送り返す時、成長分への期待も込めて

「秋には10kgくらい増えてくれれば」

と考えていた。しかし、夏休みを経て浅見厩舎へ帰ってきたメジロブライトの馬体重を計ってみると、春とほとんど変わっていなかった。浅見師にとって、メジロブライトが過ごした夏は、決して納得のいくものではなかった。

 だが、満足のゆく夏を過ごした者にも、そうでない者にも、秋は平等に訪れる。4歳秋のメジロブライトは、春に手が届かなかった、そして父がついに手に入れることのできなかったクラシックの最後の関門となる菊花賞(Gl)を目指し、動き始めることになった。

 春の二冠馬サニーブライアンは、ダービーのレース中に骨折していたことが判明し、秋の復帰は絶望となっていた。二冠馬不在となった菊花賞のトライアル戦線は、神戸新聞杯(Gll)ではダービー7着馬マチカネフクキタルが差し切り、セントライト記念(Gll)では皐月賞11着、ダービー不出走のシャコーテスコが穴を開けた。その一方で、弥生賞(Gll)馬ランニングゲイルは脚部不安で戦線を離脱し、ダービー2着馬シルクジャスティスも神戸新聞杯で惨敗していた。春の実績馬たちの苦戦と、春のクラシックで用なしだった馬たちの台頭により、菊花賞は混戦模様となっていった。

『満たされぬ秋』

 混戦の予感漂う菊花賞戦線の中で、京都新聞杯(Gll)から始動するメジロブライトは、挫折が相次ぐ春の既成勢力のエースとして、注目と期待を集めた。

 しかし、スプリングS、皐月賞、ダービーと3戦続けて1番人気に支持されながら敗れ続けたメジロブライトの勝負弱さと不器用さは、夏を越してもまったく変わっていなかった。スタートでの出遅れと、それをカバーするために最後方からの直線一気に賭ける戦いぶりは、春と変わらぬものだった。そして、その結果も、上がり3ハロンで出走馬中最速の末脚を記録しながら、一歩先に抜け出したマチカネフクキタル、パルスビートをとらえきれずに3着に敗北した。メジロブライトは、春と何一つ変わってはいなかったのである。

 勝ったマチカネフクキタルは、秋の緒戦として既に神戸新聞杯を使っていた。その意味で休み明けのメジロブライトにとって不利な条件ではあったものの、春から進歩が見られないレースの内容に、不安は残らざるを得なかった。

「メジロブライトは、成長力がないのではないか…」
「直線の競馬ばかりで本当に勝てるのか…」

 メジロブライトの周囲にも、そんな声がちらほらと聞こえてくるようになり始めた。4歳秋を迎えたメジロブライトは、サラブレッドの完成期を迎えつつあるはずだった。しかし、実際に彼に差し込む世間の気配は、暖かな日差しではなく、冷ややかな冷風ばかりだった。

『苦悩の果てに』

 菊花賞を前にして、春から結果が出せない松永騎手の悩みも深まるばかりだった。松永騎手は、それまでメジロブライトの力を生かせると信じたからこそ、周囲の批判は知った上でなお、後方一気の競馬に徹してきた。だが、その結果はどうか。同じようなレースで、同じような惜敗の繰り返しではないか。

 松永騎手の誤算は、この年のクラシック戦線が、ここ数年の中でも最も徹底したスローペース症候群に支配されていたことだった。確固たる逃げ馬は、サニーブライアンただ1頭。逃げ馬不在、あるいは逃げ馬がいても軽視される展開が際限なく繰り返され、メジロブライトのような後方一気の競馬は威力を封じられていた。そして、菊花賞。唯一の逃げ馬サニーブライアンは故障で出走できない。ならば、ここの展開も、春以上のスローペースとなるのではないか…。

 菊花賞で単勝270円の1番人気に支持されたのは、神戸新聞杯で惨敗しながら、京都大賞典(Gll)で古馬ダンスパートナーを鮮やかに差し切って復活したシルクジャスティスだった。春は負けても負けても1番人気だったメジロブライトだったが、この日は380円の2番人気にとどまった。メジロブライトにもう春の威光はなかった。松永騎手は、繰り返される敗北の中から、ある決断を迫られていた。

 この日も若干出遅れたとはいえ、それまでに比べると不利の程度は小さくとどめることができたメジロブライトは、後方5、6番手あたりから競馬を進めた。押し出されるように先頭に立ったのはテイエムトップダンだったが、本来的には逃げ馬ではない彼が作るレースは、3000mの長丁場ということを割り引いても、速いものではなかった。さらに、先頭から2番手までの間も差がついたことで、後続のペースは見た目以上に遅いものとなった。

 馬たちがしきりに行きたがる素振りを見せる中で、メジロブライトもまた、折り合いに苦しんでいた。パートナーとの呼吸が乱れていくのを手綱から敏感に感じ取ってしまった松永騎手は、繰り返されるスローペース症候群の前に、ついに意を決した。春、そして京都新聞杯では、馬の力を信じすぎて自分の競馬に徹した結果、惜敗を重ねてしまった。同じ過ちは、もう繰り返せない。

 今度こそ、早めに動く。そう決意した松永騎手は、向こう正面の上り坂でメジロブライトを外に持ち出すと、徐々に進出を開始した。第3コーナーを回り、下り坂では勢いをつけてまくっていく。

「仕掛けが遅い」

 これまで敗北のたびにそう批判され続けたこれまでの騎乗とは対照的な、積極的な騎乗だった。

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