メジロブライト列伝~羊蹄山に季節は巡り~
『ある決着』
大外を回って直線に入っていったメジロブライトは、外を衝きながらも末脚を伸ばし、内の馬群を封じ込めて先頭に立つかに見えた。…だが、いつもより早くから脚を使ったせいか、一気に突き抜けることができない。先行していたダイワオーシュウに外から馬体を併せるまではよかったが、その後はダイワオーシュウをかわすのではなく、逆に激しい抵抗にあってしまった。
メジロブライトが内の馬たちを突き放すのに手間取っている間に、その内の馬群の中から、もう1頭別の馬が、ものすごい末脚で抜け出した。神戸新聞杯、京都新聞杯の両トライアルを連勝して菊花賞に臨んだマチカネフクキタルだった。
マチカネフクキタルは、春こそダービー7着に終わったものの、その後急成長して秋には神戸新聞杯、京都新聞杯の両トライアルを連勝するに至った。だが、秋の戦績からすれば1番人気に推されても不思議ではないマチカネフクキタルは、血統的に長距離は持たないと言われており、この日は3番人気と軽視されていた。
だが、この日のスローペースは、スタミナに不安があったマチカネフクキタルにとって、大きなアドバンテージとして作用した。他の馬たちがかかって消耗する中で、きっちりと折り合ってスタミナの消耗を最小限にとどめたマチカネフクキタルは、南井克巳騎手が追い始めると、鋭い末脚で馬群から一気に抜け出した。その末脚は、メジロブライトよりも、そして他のどの馬よりも鋭いもので、メジロブライトはもうついて行くことができなかった。末脚勝負の馬といわれていたメジロブライトが、末脚勝負を捨てたそのレースで、末脚勝負に徹したマチカネフクキタルに突き放されていく。それは、何よりも象徴的な「決着」の時だった。
『完全なる敗北』
瞬く間に1馬身差をつけられたメジロブライトは、それだけでなく、並んでの競り合いで2着争いを繰り広げていたダイワオーシュウにも競り負けた。メジロブライト、菊花賞3着。父の無念を晴らしてクラシック戴冠を果たすことを期待されたメジロブライトだったが、その結果は父に続いてクラシック無冠に終わるというものだった。
皐月賞4着、日本ダービー3着、そして菊花賞3着。メジロブライトのクラシック戦線は、父のメジロライアンが皐月賞3着、日本ダービー2着、菊花賞3着だったのに比べると、父に並ぶことさえもできず、むしろスケールダウンさせた結果でしかなかった。誰もが認める実力を持ちながら、あまりにも不器用であるがゆえについにクラシックを勝てず、父をも超えることができなかったメジロブライト。その戦績は、まるで父の軌跡をそのまま繰り返したようであり、血の宿命に敗れた哀しみさえも感じさせるものだった。
レースの後、
「今回は完全に仕上がっていました。よく頑張ってくれました」
そう言って馬の労をねぎらった松永騎手は、敗因を聞かれると、
「超スローでしたからね。内外の差もありました。2着馬は、前で楽をしていましたから…」
と語った。馬のせいではない。ただ、ほんの少し展開と、運に恵まれなかっただけ…。だが、あまりにも同じような敗北を見続けた世間の見方は、松永騎手の心とは正反対のものに敗因を求めずにはいられなかった。
『決定的な挫折の後で』
皐月賞、日本ダービーに続いて菊花賞でも敗れ去ったことで、メジロブライトは、クラシック無冠に終わってしまった。そんなメジロブライトが次走として選んだのは、ジャパンC(国際Gl)、有馬記念(Gl)といった華やかな大舞台ではなく、ステイヤーズS(Gll)だった。
浅見師は、このレースを選んだ理由について、「来春の天皇賞・春(Gl)を視野に、長距離に慣らすため」と語っている。しかし、ステイヤーズSは、3200mの天皇賞・春よりなお長く、いまや日本でも最長距離の重賞となった3600mのレースである。この年にGlllハンデ戦からGll別定戦へと変わったとはいえ、長距離レースの比重が薄れゆく現在となっては、三冠レースのすべてで上位に入ったメジロブライトほどの馬が出走するようなレースではない。
有馬記念を回避したこと自体については、同じメジロ牧場の生産馬で、この年の牝馬三冠のうち二冠を制したメジロドーベルが出走するため、同じメジロ軍団の馬同士で「同士討ち」をするのは避けたいというオーナーの要望があったといわれている。だが、ならばなぜその代わりがステイヤーズSなのか。「距離が延びてこそ」といわれながら菊花賞で3着に終わったメジロブライトを、やはり「距離が延びてこそ」といわれながら、終わってみれば勝ったレースは中距離ばかりだった父メジロライアンと重ねる向きは多かった。
「メジロブライトは、実は中距離馬なのではないか…」
そういう評価が流れる中でのステイヤーズS出走は、共同通信杯4歳S以来勝ちがなく、何よりも勝利が必要なはずのメジロブライトの選択として、首をひねる向きが多かった。だが、そうした声とは無関係に、ステイヤーズS当日はやってきた。