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1984年牝馬三冠勝ち馬列伝 ~セピア色の残照~

『奇策』

 レースが始まった直後は、快速馬マーサレッドがレースを引っ張り、ハイペースになるかと思われた。・・・だが、よく見ると、マーサレッドらを追いかける先行集団の中に、当然いるだろうと思われた馬たちの姿が見えない。ダイアナソロンは、馬群の後ろにつけている。彼女だけではない。ジムベルグ、トウカイローマン・・・。有力馬たちはことごとく中団か、それより後ろに控えていた。また、キクノペガサスは約2馬身出遅れていた。

 そうした流れになると、前の馬たちはレースを落ち着かせにかかる。また、後方の馬たちは、有力馬たちを見てペースを抑える。そして、有力馬たちは互いに牽制しあう。こうして、レースはすぐにスローペースへと変わっていった。この日のラップを見ると、800m地点通過タイムは48秒1だが、1600m地点通過タイムは1分39秒9で、実に51秒8かかっている。常識的には、こうしたレースで有利になるのは好位で競馬を進めた馬である。

 ・・・しかし、キョウワサンダーはこの時、ダイアナソロンよりもさらに後ろ、馬群の最後方につけていた。徹底的に後方待機策をとり、末脚勝負に賭けるというのが、樋口騎手の作戦だったのである。樋口騎手の作戦は、好位につけたものの結果が出なかったサファイヤSの反省によっていた。とはいえ、このペースの中での最後方待機が奇策であることは間違いない。

 もっとも、ダイアナソロンの後方待機には驚いても、キョウワサンダーの最後方待機に驚くファンはいなかった。キョウワサンダーなどは「眼中にない」というのが、平均的な競馬ファンの姿だった。だが、そんな人気の薄さも、樋口騎手に、周囲を一切気にしない思い切った競馬を可能ならしめた。

『雷光煌く』

 すっかり1ハロン13秒前後のスローペースでまとまっていたレースが再び動き始めたのは、第3コーナーを回って坂下りに入ったころだった。このあたりになると、力尽きた馬たちは沈みはじめ、逆に積極策をとる馬たちは、勝負に出始める。・・・だが、キョウワサンダーはまだ動かない。

 直線に入ると、先行した馬たちは次々と脱落していった。そんな中で内を衝いて上がっていったのは、やはりダイアナソロンだった。外からは、トウカイローマンも伸びてくる。

 だが、この日の主役は、彼女たちではなかった。この時点で過去8回行われていたエリザベス女王杯では、桜花賞馬が制したのは2回しかなく、オークス馬に至っては、制覇の例がない。その先例のとおり、春のクラシックを制した彼女たちを差し置いて外から一気に突き抜けたのは、無冠どころかクラシックへの出走歴さえない2頭だった。4戦3勝、3着1回と底の見えない成績で5番人気の穴人気になっていたキクノペガサス、そしてキョウワサンダーである。

 彼女たちは、いずれも道中では後方待機策を決め込んでいた。その優劣を決めたものは、もはや一瞬の瞬発力しかない。アタマ差相手を抑えたのは、キョウワサンダーだった。稲妻の名を持つキョウワサンダーは、桜花賞馬を3着、オークス馬をも4着に屠り、最後方から第3コーナー以降だけですべての馬を抜き去って、ここに頂点に立ったのである。

『フィナーレ』

 この日のキョウワサンダーの勝ちタイムは2分28秒4で、9回目を迎えたエリザベス女王杯の勝ちタイムとしては、史上3番目のものだった。スローペースながら前崩れで、勝ったキョウワサンダーは最後方からの直線一気。その事実がキョウワサンダーの末脚の物凄さを物語っていたが、その物凄さに誰よりも驚いていたのは、彼女のまわりにいる人々だった。

 彼女を管理する吉岡師は

「まさか、という気持ち。斬れ味には僕もびっくりしました」

と素直に驚き、また樋口騎手も

「夏を越して成長したというより、展開のアヤだったと思います」

と勝因を振り返った。騎手までが勝因を「展開のアヤ」と評するのはあんまりだとも思えるが、これまで18戦2勝という戦績にすぎなかったキョウワサンダーがこの日見せた競馬は、確かに歴史に残る番狂わせと評するよりほかにない。ちなみに、この日キョウワサンダーのオーナーは、競馬場には来ていたものの、ネクタイをしていなかったため、ネクタイなしで記念撮影をするのは格好悪いということで、あわててネクタイを借りて記念写真を撮影したという逸話も残っている。後に馬主席はネクタイの着用が義務化されたことからすれば、なんとも当時の鷹揚さを象徴する出来事である。1984年牝馬三冠戦線のフィナーレを飾った戦いは、その番狂わせゆえに、人々の記憶に刻まれることとなった。

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