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1984年牝馬三冠勝ち馬列伝 ~セピア色の残照~

 ~キョウワサンダー~
 1981年4月12日生、1987年8月12日死亡。牝。芦毛。協和牧場(新冠)産。
 父ゼダーン、母キョウワレディ(母の父バウンティアス)。吉岡八郎厩舎(栗東)
 通算成績は、23戦4勝(旧3~5歳時)。主な勝ち鞍は、エリザベス女王杯(Gl)、大原S(OP)。

『十字架を背負いし一族』

 1984年のエリザベス女王杯を制して牝馬三冠戦線のフィナーレを飾ったキョウワサンダーには、ダイアナソロンやトウカイローマンはもちろんのこと、他の馬たちとはまったく違った血統的な特徴があった。キョウワサンダーの血統は、常に純粋なサラブレッドとは区別される「サラ系」としての宿命を背負っていたのである。

 「サラ系」とは、その馬自身、あるいはその馬の祖先の血統書が紛失されるなどの理由で、血統が分からなくなったり、あるいは証明できなくなったりしてしまった馬のことをいう。サラブレッドの血統表をたどれば、父系は三大始祖、母系もナンバーファミリーとして残る牝馬まで遡ることができる。しかし、それがサラ系の場合は、ある先祖まで遡った段階で、そのルーツが断ち切られてしまう。それゆえにサラ系は、サラブレッドに比べて一段も二段も価値の低い存在とみられてきた。それどころか、サラ系の血が入るとその子、孫もサラ系の烙印を押されてしまうことから、彼らはたとえどんなに優れた競走成績を残しても、ほとんどの場合で冷遇されてきた。

 もっとも、日本で競馬が始まった当初はサラブレッドの血統登録すら行われていなかった。そのため、馬主や生産者が血統の重要性を理解しないまま、血統書を紛失したり、破棄したりしてしまった例も多い。現存するサラ系の中でも最大勢力を誇るといわれる「ミラ系」の牝祖ミラは、まさにこのパターンにあたる。彼女が輸入された1899年当時の日本では、サラブレッドにおける血統の価値がまったく問われていなかったため、馬が輸入された際の様々な記録は残っているにもかかわらず、血統、あるいは血統書に関する記録は一切残っていない。そもそも日本競馬自体、草創期においてはサラ系ということをほとんど意識していなかったのだから、それもむしろ当然の話である。記念すべき第1回日本ダービーの勝ち馬ワカタカも、サラ系に属している。

 だが、1925年にようやくサラブレッドの血統登録が日本でも始まり、その影響が競馬界にいきわたって血統とそれを証明する血統書の重要性が理解され始めると、今度はサラ系の問題がクローズアップされるようになった。それ以前から活躍していた馬たちの多くは、この時既に血統書がなくなっていたため、完全な血統登録をしようと思ってもできない状態となっており、日本の競馬界からは、血統登録から取り残された大量の「サラ系」が生じることとなってしまった。これがサラ系の悲劇であり、十字架だった。

『謎の牝祖』

 ただ、キョウワサンダーの牝祖たるバウアーストックが日本へ輸入されたのは、1926年のこととされている。ミラをはじめとする日本のサラ系の多くが血統登録の開始前に輸入された系統であることからすれば、血統登録の開始後に輸入されながら血統書がないバウアーストックは、かなり異例である。そこで、彼女の場合は他のサラ系と同様に血統書が紛失したのではなく、血統書が最初からなかったという説・・・密輸されてきた、あるいは軍馬から転用された、という説も飛び交っている。彼女については輸入に関する一切の記録がないため、長らく「謎に包まれている」とされてきたバウアーストックの出自は、2021年現在では、豪州で血統登録された1922年生まれの牝馬「Brown Meg」(父Baverstock、母Frivolity)と同一視する説が台頭しているようだが、現在もなお定説をみるには至っていないようである。

 このような事情で、出自は謎に包まれていたバウアーストックだが、その競走成績は素晴らしいもので、抽選馬として走って平場12勝、障害10勝という戦績を残した。バウアーストックの娘であるバウアーヌソルも繁殖牝馬としては歴史に残る成績を残し、その産駒から中山大障害を勝ったアシガラヤマ、天皇賞、菊花賞、朝日杯3歳Sなど16勝を挙げたキタノオー、牝馬ながら朝日杯3歳Sを勝ったキタノヒカリ、菊花賞を勝ったキタノオーザなどを輩出している。バウアーヌソルの産駒の中で最も素晴らしい戦績を残したキタノオーは、同時にハクチカラのライバル・・・というよりは常に一枚上手の存在でもあった。日本馬として初めて海外の重賞を勝ち、それも当時の米国最強馬の1頭ラウンドテーブルを破ったハクチカラだが、2頭の一騎打ちといわれた三冠レースでは、そのすべてでキタノオーに1番人気を譲っている。

 バウアーストックの一族からは、その後もキタノヒカリの子であるアイテイオーが1963年のオークスを勝ち、アイテイオーの孫ヒカリデユールが82年の有馬記念を制して年度代表馬にも輝いた。このように、牝系としての「バウアーストック系」は、数々の栄光に包まれている。

 だが、それほどの輝かしい実績を残しながらも・・・あるいは、それほどの実績を残したがゆえに、彼女の一族は「サラ系」という烙印による暗い影響を避けることができなかった。自分自身はもちろんその血を引く子孫もすべてサラ系となってしまうという宿命ゆえに、この系統から出た種牡馬はことごとく失敗に終わった。この系統から出た最高の名馬・キタノオーは、5歳時までに名馬と呼ばれるに十分な実績を残しながら、種牡馬としての将来性の薄さゆえに6歳時も競走生活を続け、そこで肺炎を得て悲劇的な死を遂げている。バウアーストックの一族は、生まれながらにサラ系という十字架を背負わなければならない宿命を背負っていた。

『白の系譜』

 キョウワサンダーは、そんな悲劇の牝系ともいうべきバウアーストックの牝系に属している。キョウワサンダーの祖母キタノフジは、先に紹介した馬たちの中ではキタノヒカリの娘、アイテイオーの姉にあたる。従って、キョウワサンダーはバウアーストックからみて5代孫となる。

 サラ系の十字架を背負いながらも輝かしい実績を残してきたバウアーストック系だったが、アイテイオーの子孫と違ってキタノフジの子孫からはこれといった活躍馬は出ておらず、キョウワレディも当時、特別に期待を集めていた存在ではなかった。キョウワレディ自身は現役時代不出走であり、キョウワサンダーの兄姉3頭も未勝利に終わっているという点からすれば、むしろ凡庸な牝馬というべきであろう。

 そんなキョウワレディだったが、かつて仏2000ギニーやイスパーン賞を制し、仏での種牡馬生活でもカラムーンら2頭の仏2000ギニー馬を輩出した後、その晩年を日本で過ごしていたゼダーンと配合された。後に日本へ輸入されて2頭の年度代表馬、2頭のダービー馬を輩出したトニービンは、ゼダーンが仏に残してきた産駒であるカラムーンの直系の子孫にあたる。ゼダーンに限らず、彼らグレイソヴリン系の種牡馬は、古くからスパニッシュイクスプレス、フォルティノ、ドンらが実績を残しており、日本の馬場への適合性は証明されていた。

 ちなみに、キョウワサンダーの毛色である芦毛は、父のゼダーンから受け継いだものである。グレイソヴリン系にはもともと芦毛が多いが、ゼダーンは、芦毛の馬の中でも特殊な遺伝構成を持ち、その産駒はすべて芦毛に出るという特徴を持っていた。

 母系の悲劇と、父系の芦毛の系譜を継いで生まれたのがキョウワサンダーだった。彼女の生まれ故郷である新冠の協和牧場は、当時既に浅川吉男氏のオーナーブリーディングファームであり、生まれた瞬間から彼女の勝負服は決まっていた。

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