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1984年牝馬三冠勝ち馬列伝 ~セピア色の残照~

『決着のとき』

 直線に入ったダイアナソロンは、やがて他の馬たちをかわして先頭に立った。だが、桜花賞の時はいったん先頭に立つや、そのまま後続を置き去りにして一気に突き抜けた彼女が、今度は思いどおりに抜け出すことができない。果たして距離の壁か、それとも道中のスムーズさを欠いた競馬のつけか。・・・そんな彼女に襲いかかったのが、満を持して動いたトウカイローマンだった。

 トウカイローマンは、先頭に立ったもののそこから伸びないダイアナソロンをとらえ、一気に前に出た。そうなるとダイアナソロンもそのままでは引き下がれない。桜花賞馬の意地と誇りに賭けて、トウカイローマンを差し返そうと闘志をもう一度燃え立たせる。・・・だが、闘志には再び火がついても、末脚にも火がついた、というわけにはいかない。トウカイローマンのしぶとく力強い末脚によって一度逆転した形勢をさらにもう一度自分に引き寄せるだけの余力は、もうダイアナソロンには残っていなかった。

 トウカイローマンは、ダイアナソロンに1馬身4分の1の着差をつけたまま、栄光のゴールに駆け込んだ。トウカイローマンはダイアナソロンの二冠への野望を阻み、第45代オークス馬の栄冠を見事に勝ち取ったのである。

『それぞれの光景』

 トウカイローマンによって栄光を手にしたホースマンたち・・・岡冨騎手は当時23歳で、中村均師も36歳だった。これは騎手、調教師としては、それぞれ最も若い部類に入る年齢である。彼らは、前年のオークスにもジョーキジルクムで参戦し、5頭が横一線で入線する激闘の末、勝ち馬のダイナカールと同タイムの4着で大魚を逃がして悔しい思いをしていた。彼らは同じコンビでその雪辱を果たしたい、と願っていたが、その機会は彼らの予想よりはるかに早く訪れたのである。

 この日は馬主の内村氏、生産者の岡部誠氏も東京競馬場に応援にきており、彼らもまた喜びを現地で分かちあった。2人とも東京競馬場に行くのはこの日が初めてであり、当事者いわく「田舎者と知らない者同士だから、えらい目にあって」ようやくたどり着いたほどだった。だが、東京競馬場についた後、内村氏は

「急に表彰台に上がってのめったらいけないので、練習しましょう」

と言い出して、岡部氏とともに表彰台への上り下りの練習をしていた。最後の直線の攻防について彼らは

「ダイアナソロンには差されると思っていた」

としているが、ちゃっかり勝った時の準備はしていたというのが面白い。

 何はともあれ、一度滅びかけたヒサトモの血統は、トウカイローマンのオークス制覇によって再び現在へとよみがえった。ヒサトモのダービーから数えて、実に47年目の復活だった。

『草葉の陰から』

 競馬界は、例年オークスの翌週に行われる日本ダービー(Gl)の終了をもって、ひとつの区切りがつくといわれる。この年の日本ダービーは、「絶対皇帝」シンボリルドルフが不敗の6連勝で二冠を達成した。シンボリルドルフの最大の特徴である競馬の安定感は威厳すら感じさせるものであり、このレースを見ていた内村氏が「畏敬を感じた」というほどのものだった。グレード制導入の年にふさわしい名馬の中の名馬、絶対皇帝と称されたこの馬の登場と戴冠により、競馬界は新たなる時代を迎えていく。

 それはさておき、オークスで牡馬、人間たちより1週間早く区切りをつけた桜花賞馬とオークス馬は、いずれもそのまま休養に入った。彼女たちの復帰はそれから3ヶ月半後、それぞれが秋の大目標に据えたエリザベス女王杯(Gl)を前にしての阪神競馬場での前哨戦、サファイヤS(Glll)でのことだった。彼女たちがいずれも秋の緒戦にサファイヤSを選んだことから、本番を前にして早くも彼女たちは相見えることになったのである。

 桜花賞馬とオークス馬の競演を恐れたか、サファイヤSにおける他の有力馬たちからは、登録見合わせや回避が相次いだため、このレースの出走頭数は、わずか7頭となった。

 桜花賞馬とオークス馬の対決は、それまでの実績と安定感に加えて、レース自体が桜花賞とまったく同じ阪神1600mで行われることもあって、桜花賞馬ダイアナソロンが単勝180円の1番人気に支持された。一方トウカイローマンは、「道悪の鬼」ロングロイヤルに2番人気まで奪われての3番人気にとどまった。ファンは、この時点ではオークス馬の実力を信じきれていなかった。

 そして、この日のレース内容は、ダイアナソロンの強さばかりが目立つものだった。少頭数でコーナーでも窮屈になりにくい利を生かして内につけたダイアナソロンは、直線で一気に後続を置き去りにする競馬ではなかったものの、ゴールまでにきっちりと抜け出して、秋へ向けての順調なスタートを切った。後続では、2着で入線したロングキティーが直線で内側に斜行した咎で失格となるというアクシデントがあったものの、トウカイローマンはそのアクシデントとは無関係に末脚不発で5着に沈んだ。この日最も評価を上げたのは、ロングキティーの斜行の被害を受けたものの3着に頑張ったキクノペガサスで、エリザベス女王杯へ向けて「新星登場」をアピールした。着順的にはキクノペガサスを上回る3着入線、繰り上がり2着となった馬は、人気に応えて安定した強さを見せた勝ち馬と、大きな不利を受けながらなお結果を残した3着馬の間に挟まれ、その分影が薄くなる形となった。

 だが、この影の薄い2着馬こそが、後のエリザベス女王杯馬キョウワサンダーだった。後になって考えれば、この日のレースは1984年の牝馬三冠勝ち馬がすべて揃い踏みしていた形になる。無論、当時の人々は、その事実にまだ誰も気づいていない。

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