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マックスビューティ列伝~究極美伝説~

『ただ1頭の”S”』

 しかし、酒井氏自身も意味が分からなくなるような配合の中から、実際に生まれてきたマックスビューティは、生まれながらに走りそうな雰囲気を漂わせていた。無事に生まれて立ち上がったマックスビューティを見た酒井氏は、

「この馬は、俺の生産馬の中でも最高の馬になるかもしれない・・・」

という予感に背筋を震わせたという。

 酒井氏は、生産馬が生まれた後、その馬の立ち姿から見た期待度を「A」「B」「C」の3段階で書き込む癖を持っている。そして、彼が残したマックスビューティの記録には、「S」という字が書き込まれていた。「A」を超える「S」・・・酒井牧場の歴史の中で、酒井氏がこの評価を下したのはマックスビューティただ1頭だという。マックスビューティというサラブレッドは、酒井氏がそれまで夢見てきたサラブレッドの理想型に限りなく近い馬だった。

『娘1人に婿・・・』

 酒井牧場には、マックスビューティの噂を聞きつけた中央競馬の調教師たちが次々と駆けつけ、彼女を自分に任せてくれるよう懇願してきた。そんな中には、実際にマックスビューティを預かることになる伊藤雄二調教師も含まれていた。

 マックスビューティが生まれた1週間後、いち早く酒井牧場に駆けつけた伊藤師は、マックスビューティの素晴らしい馬体に衝撃を受け、なんとかこの逸材を自分の手でデビューさせ、サラブレッドの極みへと近づいてみたいと思った。伊藤師が話をすると、酒井氏は、競走馬にすると自分の牧場に帰ってこない可能性があるので、彼女は競走馬にせずにそのまま繁殖牝馬にすることも考えている、と話した。あわてた伊藤師は、即座に

「買うといっても、競走馬としての間だけでいい。引退したら、酒井さんへ返します」

と約束し、なんとか彼女を自分の厩舎に入れてもらおうとした。また、中村均師も熱心だった1人で、彼は自厩舎のトウカイローマンをオークス(Gl)に出走させることになっていたが、その週に酒井牧場を訪れ、マックスビューティを自分の厩舎に入れてほしい、と頼み込んでいた。

 しかし、酒井氏は、そんな伊藤師、中村師も含めてなかなか返事をしなかった。彼はただ、

「相談したい人がいるから・・・」

と言って、調教師たちへの返事を避け続けるのみだった。酒井氏が首を縦に振らないため、中村師はいったん中断して東京競馬場へと向かわなければならなかった。

 酒井氏は、酒井牧場の生産馬ではないフジタカレディを牧場に連れてきてくれた松山吉三郎師に相談した上で、マックスビューティの行方を決めることにしていた。松山師に相談して了解を取った酒井師が選んだのは、伊藤厩舎だった。東京に戻った中村師は、自分の管理馬であるトウカイローマンによるオークス制覇を見届けることができたものの、その後もう一度酒井牧場に向かった時には、マックスビューティの行き先は伊藤厩舎に決まっていた。彼が非常に悔しがったことは、いうまでもない。

『神の過ち』

 さて、酒井氏からマックスビューティを託された伊藤師は、これほどの馬を託された以上、馬主も彼女にふさわしい人物でなければならないと考えた。また、彼には酒井牧場とかわした

「馬の所有は、現役時代のみ。引退したら、酒井牧場に返す」

という約束もあり、その条件を了承してくれる馬主が必要だった。

 そこで伊藤師が最初に声をかけた馬主は、当時占いに凝っており、マックスビューティを買うかどうかは神様にお伺いを立てて決めると言い出した。ところが、神意は

「マックスビューティは走らない」

と出たようで、その馬主は伊藤師に断りを入れてきた。それを聞いた伊藤師は、

「神さん、そらあんた間違ってまっせ!」

と嘆いたという。

 もっとも、いくら嘆いてみても、それが神意では仕方がない。伊藤師は、その馬主をあきらめ、今度は「マックス」「マヤノ」の冠名を持つ田所祐氏に話を持っていった。

 最初に話を聞いた田所氏は、馬を買う前はどの調教師もダービー馬、オークス馬になることが確実なようなことを言うものだと思っていたため、伊藤師に対しても

「またかいな」

と思っていた。しかし、いつの間にかあまりに熱くこの牝馬への期待を語る伊藤師に引き込まれていった田所氏は、やがて神様に伺いなど立てずに伊藤師の申出を受け入れ、マックスビューティの勝負服は決まった。

 やがてマックスビューティを実際に見に行った田所氏も、

「きれいな馬やなあ」

とたちまち彼女の虜になった。彼女の美しさを認めたのは田所氏だけではなく、2歳の時には浦河地区のサラブレッドの品評会に出展された際には、見事に優勝している。・・・そんな彼女に、田所氏は「マックスビューティ」と名づけた。田所氏の所有馬の冠名は、所属厩舎によって使い分けられており、伊藤厩舎に入る馬は、「マックス」の冠名がつくことになっていた。彼は、冠名と引っかけて、彼女に「究極美」という意味の名前を与えたのである。

 こうして神様を信じた馬主はチャンスを逃し、神様ではなく伊藤師を信じた田所氏が幸運をつかんだわけだが、神様を信じた馬主が後で神様に文句を言ったかどうか・・・は伝わっていない。この馬主は、後になっても「これもまた神意」と素直にあきらめることができたのだろうか。

『老伯楽、目の保養を楽しむ』

 伊藤厩舎にやってきたマックスビューティは、伊藤師の期待どおりに素晴らしい動きを見せ、彼女への期待は高まる一方となった。さらに、彼女について特筆すべきは、牝馬とは思えないタフさであり、どんなに厳しい調教の後でも、いつもケロリとしていたという。

 サラブレッドも人間と同じで、厳しい調教で疲れ果てた後は、食欲もなくなってしまう。まして、デビュー前の牝馬ならなおのことである。しかし、マックスビューティは、伊藤師がどんなに厳しい調教をかけてもばてることを知らず、鍛えれば鍛えただけ飼い葉をたくさん食べ、次の日にはすっかり回復していた。

 仕上がりも順調だったマックスビューティは、当初札幌競馬場でのデビューを目指し、北海道入りした。

 マックスビューティを札幌競馬場に連れて行った伊藤師は、馬場の入り口で、偶然武田文吾調教師に会った。武田師は、戦後初の三冠馬であるシンザンを管理したことで知られる調教師で、伊藤師も武田師のことはおおいに尊敬していた。伊藤師は、武田師に対して

「先生、いい馬がいるんで見ていってください」

と声をかけた。伊藤師の誘いに応じてマックスビューティを見に来た武田師は、ずいぶん長い間マックスビューティをすみずみまで眺めた後、

「久しぶりに目の保養をさせてもらったよ」

と伊藤師に感謝の言葉を述べ、満足そうに去っていった。

 さらに、札幌では、武田師だけでなく、かつてシンボリルドルフを管理した野平祐二師も、マックスビューティのことを見ていった。野平師もマックスビューティのことを

「女ルドルフだなあ」

と評したという。武田師、野平師の満足そうな顔、賞賛の言葉に、伊藤師も、マックスビューティが認められたという光栄な気持ちとともに、これからその大器を手がける責任感にぴりりと身を引き締まる思いだった。

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